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彦坂尚嘉オーラル・ヒストリー 2012年11月30日

立教大学 彦坂尚嘉研究室にて
インタビュアー:富井玲子、足立元
書き起こし:足立元
公開日:2020年9月29日

 

富井:今回は、彦坂さんがなさっている言葉や思想による作品の実践をも取り込み、幅広くお話いただけるだろうかと思います。まず、最初に《フロア・イヴェント》のことからお聞きしたいんですけれども、前回は美共闘の文脈の中でどういうかたちで《フロア・イヴェント》が出てきたかということと、バリケードの中での制作というのが《フロア・イヴェント》の前身としてあったということをお聞きしました。ですので今回は《フロア・イヴェント》そのものということで、1970年の10月になさった《フロア・イヴェント》のことからお聞きしたいと思います。これはラテックスを……、これ産業用のラテックスでしたよね?

彦坂:産業用とか何とかって区別したわけじゃないんですけど、あの段階ではかなり高いんです。1回で20万(円)くらい使っているんです。

富井:えっ、そんなにかかったんですか。じゃあ、あの時2缶お買いになっていましたっけ。

彦坂:4缶ですね。写真に写っているので。高かったですよ。そのあと安いのに変えていきますけど。

富井:高いのと安いのとあるわけですか。

彦坂:高いのというのはそれだけ洗練されていて付加物も加えてあって、つまり普通にゴム手袋に使うとか、コンドームとかゴム製品をつくっていくときに、ゴムの使用価値を高めたもので、これは高いですね。後になって使っているのはドラム缶で輸入した原材料のまま、という(製品です)。こちらは事実上使い捨てしていくわけですから、洗練されている必要はないんですけど。

富井:最初にお買いになったのは一斗缶のようなもの?

彦坂:一斗缶を4缶。だけどほら、そういった時でも、たぶんその、あるいは後付けしていってもそうですけど、ラテックスという物質が選ばれているように思われて、その物質の表現だというふうに思っていくんだと思うのね。普通の人は。

富井:ラテックスを選ばれた理由は前にもお聞きしましたけど、石膏を流そうか、床を白くしたい、ということを最初の動機に持っておられたと聞きました。

彦坂:そうですね。だからまあ、白というのも、白というイメージでそれが選ばれているといわれると、それも違うわけですね。一番大本に問題になるのは、芸術とは何かという問題なわけです。でもこれを日本の中でしゃべっていく時に、非常に難しいわけですね。芸術とは何であるかということが、実は共通の基盤として僕たちは共有できないわけですね。それはなぜかというと、例えば現代美術やっている人たちに《源氏物語絵巻》を見たかっていうと、ほとんどの人、見ていないですからね。この間も五島美術館で展示をやっていたんで、また久しぶりに見に行きましたけど。10年に1回くらいしか基本的には出てこないので、見ようと思うとそれなりの、そういう……。

富井:努力ですね。

彦坂:努力がいるわけだし、教養がいるわけですよ。それで見るたびにそれなりの違いがありますよね。いいものってそうですけども。そういう作業を、普通の人はしてくれないわけですよ。僕でいえば中学生段階から日本の国宝・重要文化財を目で暗記しようとしたのです。それをなぜやるかといえば、まだ中学生段階ですから、美術作品を理解するっていうこと自体が非常に難しいわけですね。僕自身でいうと、実は中学生段階で、読売新聞の文化部長をやっていた海藤(日出男)さんがつくった展覧会をずいぶん見ているわけですね。クレー展も、一番大きなクレー展を見ていますし、日本に来たので一番大きいと思いますし……

富井:そのあたりは、この間少ししゃべっておられるから、もう少し先送りして……。

彦坂:だから、まず芸術が何であるかということがまず問題になるわけですね。《フロア・イヴェント》ということで言っていくと、やっぱり一番大きな影響を与えているのは刀根康尚さんで、彼がジョン・ケージの音楽展開を僕に教えているわけですね。「イベント」という名称そのものもそうですけども、ジョン・ケージ系列の芸術思考から来ています。問題なのは、ジョン・ケージという音楽家をいま僕が高く評価しているのかと聞かれると、ジョン・ケージに対して非常に否定的になっていますけど。

富井:その当時は?

彦坂:その当時はまあ、簡単に言ってわけわかんないですよね。ジョン・ケージがいいかどうかっていう判断を僕ができるわけではなくて。当時ユーチューブがあるわけではないので、今ほど見られるわけじゃないですけども、話の内容は面白いわけ。(ケージは)まず普通の音楽、楽譜があってピアノを演奏するという構造そのものに対して疑問を持って、プリペアド・ピアノを考えるわけですね。つまりピアノの弦の中にいろんなものを挟み込んで音を変化させてしまう。すると優れたピアノの演奏家であれば、例えばドを押せばドが出てくるわけで、そういう対応関係が崩されるわけですよね。それを引き起こすかたちで音楽を考えていく。しかもそれだけでなくて、プリペアド・ピアノが今度は図形楽譜になっていって、最後はインストラクションといって、文字による指示だけになっていく。その構造は非常に面白いと思ったんです。つまり音楽が音楽として、音で聞くっていうだけではなくて、音楽というのは、実は楽譜が存在するという二重性があるわけですね。これはだから、その当時は知りませんでしたけれど、マックス・ウェーバーが『音楽社会学』を書いていて、西洋音楽が楽譜を非常に精緻なリテラシーとして形成できたことが他の地域の音楽とずいぶん違うと指摘をしています。つまり芸術表現というのがリテラシーの問題なんです。つまり文字、識字ということですね。文字の発生そのものが芸術を生み出す。つまり人類史、今だったら700万年っていいますけど、700万年の中で文字を発生させるのはほぼ1万年前ぐらいのはずなんです。おおざっぱにいえばそういうことです。その時に書き文字が出現するわけですね。書き文字が出現することによって、わかりやすくいえばエジプト美術に代表されるような文明の美術が出現するわけ。文明の美術になって初めて芸術になります。これはいま『美術の3万年』(30,000 Years of Art: The Story of Human Creativity Across Time and Space, 2007)という分厚い画集がありまして、それをお見せしながら説明すると非常に早いんだけど話は長くなるのではしょると、それ以前は彦坂が言う「原芸術」です。原始美術は基本的に原芸術です。で、原始美術自体、全部を問題にすると、最初にあるのは、想像界だけです。想像界の最初に石器段階から始まって、原芸術ですが、想像界は最終的には超一流から6400までの分厚いものになります。それが書き文字が出現して文明になると、アートに象徴界が出現することと、想像界も一流だけに限定されます。だから象徴界が一流だけ、想像界も一流だけ。するとその前にあった、6400まであった分厚いものは消えるんですね。文明が成立すると、その後にいわゆる僕たちが普通に言う原始美術が登場する。日本でいうと、縄文式土器の火焔式土器です。岡本太郎が言ったもの。あれは6次元しかない想像界だけの、6次元しかない薄い原始美術です。この薄い原始美術とその前の厚い原始美術は違うものです。2つの原始美術があった。岡本太郎が良いと言ったのはその薄い方の原始美術です。薄い方の原始美術をアドルノの言い方をすると軽アートといいます。

富井:ライト・アート(light art)ですね。

彦坂:ライト・アートですね。簡単に言うとあれはデザインですね。6次元で想像界しかなくてデザイン。それが火焔式土器です。そういうものが文明があったがゆえに出現してきます。だから文明は二重構造なんです。象徴界と想像界。それに対して想像界だけで6次元だけと薄いものが出現してくる。その2つがその後も常に繰り返されてくる。だからアドルノが言うクラシック音楽の分厚い表現があると、それをオペレッタとかワルツとかアメリカのミュージカルとかっていう形で軽音楽が出現していって、だいたいアドルノが言う軽音楽は6次元で想像界しかなくてデザインであるという、薄い構造なんです。つまり厚いものが、元があると、それをコピーして薄い物をつくる。

富井:そうすると、彦坂さんの《フロア・イヴェント》とその前にあった芸術との関係はどうなるんですか。

彦坂:だから僕の表現っていうのは、わかりやすい作家でいえばセザンヌですけど、セザンヌの回顧展ってすごく遅れて来ますよね。あの理由っていうのは、実はセザンヌの中に人殺しをする絵とかレイプをする絵とか雑多なものが入っているわけですね。その欲望がぜんぶ流れ込んできてしかも最後まで続きますから、だからセザンヌっていうのは実は普通にモダニズムが言うキュビスムの説明では説明できないものを抱え込んでいるわけですよね。そういう分厚いものですよね。僕自身は実は小学校1年から日展系の先生についていて、中学2年段階で『世界美術全集』も『日本近代絵画全集』も買ってるし、『世界文学全集』も買ってるし、『世界の歴史』も、筑摩(書房)だったかな、買ってるし。その、中学段階から東京国立博物館に行って見ているし、いわゆる現代美術をやるっていう一般的な人の教養と、教養の幅が違いすぎるわけですね。元から。

富井:アートのリテラシーですね。

彦坂:うん。だからそういう中で刀根さんに出会うわけですね。刀根さんは普通の音楽家ではない。実は千葉大の国文学(出身)なんですよね。国文学で江戸文学なのに、やったのはシュルレアリスムなんですよ。で、まあ、刀根康尚さんの本質を問うのはなかなか難しいですけれど、しかしその、江戸文学と前衛音楽という一見相反するようなものにまたがってる人で、しかもフッサールの現象学を読むということで知り合って、現象学研究会というのをやっていた。その時に、そこにジョン・ケージが流れ込んできていた。刀根康尚さんの場合、ジョン・ケージに触発されてじゃないんですね。ジョン・ケージを知る以前にグループ音楽をやっているときに、独自にというか、何の影響か結果かわかりませんが、即興演奏をそのへんで追っかけてって、それがジョン・ケージに結びつく訳なのです。僕がやっぱり共感するのは、つまり楽譜があって音楽演奏があってという二重構造が、その楽譜の構造が変わっていくってことですね。前は楽譜と音が緊密に結びついているわけです。その緊密な結びつきが次第に弱くなっていくわけです。だけど楽譜の存在そのものはあるわけですよ。だからその楽譜があったからって、鳴る音楽は演奏者によって違ってくるわけですよ。どんどんどんどん違ったものに。実は、楽譜がしっかりあって、その楽譜通り弾いても、演奏者っていうか指揮者によって、クラシック音楽は全然違う、ほんとに違う。例えばカラヤンなんかの場合はクラシック音楽を軽音楽にしちゃうわけ。ライト・ミュージックにしちゃうわけ。だから受けたんだけど。だから軽音楽の出現というのは実はナチズムの出現と密接に結びついているんです。ナチズムがつくる広告の利用法とか、レニ・リーフェンシュタールに代表されるようなみんながいいという映画、ああいう大衆映画。あれも軽映画ですけど。ナチが滅んで残るのはカラヤンです。カラヤンはまったくナチズムと同じ構造です。そういうものが、ナチが終わっても一種の商業主義的な軽文化として続く。この構造を考えたとき、今ライト・ノベルがあるでしょ。ライト・ノベルとは何だったのかと東浩紀さんが言うライト・ノベルを正面から捉えると、かなり怖いことが出現する。例えば、「君死にたまふことなかれ」という与謝野晶子が実はライト・ノベルだったとか。高村光太郎も実はライト・ノベルだったとか。文学史に通底している。有名な文学者がほとんどライトだったという問題がある。中原中也はライト・ポエムです。あれは厳密に言えば詩ではない。詩のようなものです。偽物の詩という視点が出てくる。これは立教の文学部の学生と一緒にやっているのだけど、かなり恐ろしいことが出現するわけ。ジャズもそうなですけど、一番驚愕的なのはマイルス・デイヴィスが軽音楽だったということです。本物のジャズではない。本物のジャズの系譜があるわけです。本当の芸術と僕が言っているものと、軽文化、ライト・カルチャーは違っていて、しかし、世の中で受けていくのはライト・カルチャーです。常に。だから美術史の大半はライト・カルチャーの歴史です。最初に西洋美術史が書かれているのはヴァザーリの『芸術家列伝』ですよね。あそこで褒めているのはミケランジェロですよね。ミケランジェロはライトなんです。あれは偽の彫刻で、彫刻としては非常に不十分なわけ。本来はあれはドナテッロの彫刻の完成を大衆的なものに還元していると見なすべきなんです。同じことはティッツァーノにも言えて、あれはジョルジョーネを通俗化しているのです。西洋美術史の発生そのものがライト・アートに乗っかっているのです。(エルンスト・)ゴンブリッチ(Ernst H. Gombrich)も実はライト・アート・ヒストリーに大きく寄与しています。完全にライト・アートしか取りあげていないわけではないですけれど、簡単に言えば、あの人は見分けがつかない。だから、すごく大きな影響を与えていく。そういう構造があって、問題なのは、芸術には偽の芸術と本物の芸術があるという指摘は何度もいろんな人たちによってなされてはいるんですよね。ただ、どれがそうなのかという区分けというか腑分けが、実はあんまりされてこない。僕には元々あるんですね。国宝・重文を見て暗記するということは、つまり芸術の良し悪しが存在し、それを学ぶこと自体が大変だということを分かっていたということです。大学生時代もそうですけれど、できるだけ評価の高いものを見ようというのはそういうことであって、自分が良いと思うもの、悪いと思うもの、という主観の中に僕は位置していないということです。文化というのは元々そうなわけであって、外部に存在するわけです。そういう視点でやっていくと、結果的に刀根さんが提示した二重構造というものに対して僕が強く反応し(たことが説明できます)。しかも距離ですよね、楽譜と音楽がバラけていくわけです。その段階は、非常に重要なことで、60年代というのは、文化全体が、水の比喩で言うと、液体が沸騰した状態で、気体に変わっていく時期なんです。本当はもっと進んでいくと電離してプラズマになるんですけれど、そこまで含んでいたのかもしれないけれど、日本の中ではせいぜい水蒸気になっていくくらいだったと思います。美術史でいうと完全に気体状態になったものというとポロックだと思いますけれど、ポロックの傑出性はそこにあったと思います。《フロア・イヴェント》だってポロックとの関係が無関係であったとは言えないと思います。床の上に水平に流していって、一種のドリッピングを徹底的にやっているようなものですから、無関係ではない。

富井:撒いてますよね。水撒きするみたいに。

彦坂:そういう中で、それがアクション・ペインティングと違うのは、楽譜の存在があるということですね。それがインストラクションとして残っているということですね。それがあるかないかというのが、大きい。だから、厳密な意味でポロックにそれが無いというふうに言っているんではなくて、ただ、意識として楽譜があって音楽がある、つまり、二重構造になっているかどうかということですね。

富井:楽譜というのは『美術手帖』に掲載された「床・海・道具」になるわけですね(注:彦坂尚嘉、タイトルなし、「誌面解放計画」『美術手帖』1972年10月号)。あれが一番完成されたスコアになる。

彦坂:そうです。だから決して彦坂というのは文章のうまい人ではないということは重要なことでありまして、堀浩哉と僕でいえば、堀浩哉の文章というのは全然うまいんですね。

富井:そうなんですか。

彦坂:あの人は『週刊ポスト』のアンカーをずっとやって稼いでいた人です。それから小説もずいぶん書いていたはずで、筆は立つんです。それからもう1人、柏原えつとむさんも実は小説をずいぶん書いていて、講談社の童話の賞を獲っています(注:柏原えつとむの児童文学・絵本作家活動のペンネームは槇ひろし)。単行本で。もともと文章はうまい人です。だから、柏原さんとか堀とかから見ると、彦坂の文章はよく分からないとずいぶん言われた。うまくないのです。最初のまとまって出た「李禹煥批判」にしてもあれは8回書き直しているんです。ものすごい書き直しして。だから、決して彦坂は文章がうまい人というわけではない。ただ高校生のときは文芸部に入っていて、高校卒業後に浪人しているときに詩画集を出していたりして、詩は好きだったんですね。だから、インストラクションの問題ってのは、言葉の問題ですね。大きく言えばリテラシーの問題です。リテラシーがあって美術作品や表現が成立するという、二重構造があるかないかという問題です。

富井:その場合、彦坂さんはいつも、《フロア・イヴェント》は、アクションそのものというよりも結果であり、写真に撮ったものを情報として流す、情報アートとして考えていたということをおっしゃっていたと思うんですけれど、そうすると三重構造になりますね。

彦坂:三重構造にはならないですね。分かりやすく言えば、レコードにして音楽を出しますというだけですから、ライブ演奏とレコード演奏みたいなものです。その場合に、ライブ演奏にこだわっていくか、レコード出版にこだわっていくか。グレン・グールドという音楽家で言えば、レコードなりCDで出すことにこだわって、ライブ演奏がもっている直接性を要らないと考えていた。それはつまり、他のものになってしまうということです。あの人の場合、速弾きなので、ミスタッチとか揚げ足取りになっているのですが、ライブが持っている面白さというのもあるのです。そうではなくて、近代表現というのは基本的に、映画と演劇の関係で言えば、映画というものが成立するということは、マーシャル・マクルーハンの言うメディアの登場ですね。直接性ではなくリテラシーに移し替えるということで、世界中で上映できる、というのがありますよね。だから生のライブの問題は、僕は実は映画少年でありまして、演劇ではないのですね。演劇もやりましたけれど、演劇が持っている直接性にのめり込んでいくタイプではないのです。映画のほう。映画のフィルムに撮られることで、意味が生じてくるということです。文章もそうですけれど、現実があって、それを文章でミメーシスしていく。トレースしていく。そうすると別の意味が生じてきますよね。写真もそうですけれど、現実を写真に撮ると別の意味が生じてきます。そっちの側に、リテラシーの側で意味構成できると考える。

富井:それが最初の1970年10月に《フロア・イヴェント》をなさった理由でしたよね。それの写真をもとにして、第1次美共闘REVOLUTION委員会の個展をするという予定だったわけですよね。

彦坂:だから、現実の物質性は全部ない状態を考えていた。

富井:ただそうは歴史が展開しなかったわけですよね(笑)。

彦坂:いや、(《フロア・イヴェント》を)やってみて、乾いてきて「綺麗だな」と思ったわけ。誰も見る人がいないわけ。で、堀にも電話したんだけど、当時友人だったけど、彼も出なくて、結局誰も見ない状態になったんだけど、見せたいと思っちゃうわけです。で、結局物質が残っちゃうんですね。だから、その当時『美術手帖』に繰り返し……あれ、富井さんが書いていたのかな。「芸術の非物質化」を書いている人がいましたよね。

富井:ルーシー・リパード(Lucy Lippard)ね。

彦坂:そういう芸術の非物質化というものに対しては、僕自身、共感があったんですよね。

富井:まあ情報アートというかたちで、写真に移し替えていくということですよね。

彦坂:それは、もの派に対する反発というのはあるんです。もの派の人たちを皆さんきちっと捉えていないと思うんですけれど、もの派の人たちというのは基本的には自動車を運転しないんです。

富井:(苦笑)そうなんですか。

彦坂:近代人じゃないわけ。近代人というのは、基本的に自動車を運転しないと近代人ではないわけで、自動車というのは40キロくらいで、1秒で10メートル以上走るもので、そういうものを、命のやりとりをするのに、法律を媒介として、相互信頼の中で走っていくわけですから、まさに近代特有の現象なんですね。汽車と自動車で言うと、最初にできたのは、実は自動車だったわけです。蒸気自動車が最初にできたんだけど、なにしろ舗装道路がないからね、走れないわけ。それで線路というものを考えついて、汽車になったわけで、ガソリンエンジンになった段階でもう1度、自動車が戻ってくるのだけれど、発明そのもので言えば、自動車が最初だったわけです。だから、近代は、蒸気機関の最初の出発点は自動車だった。自動車を運転することは非常に重要なことなんですけど、近代のリテラシーとしては。移動する自由を体現するという意味で。もの派の人たちはほとんど自動車を運転してないですよ。

富井:(笑)

彦坂:まず、原口典之は自動車を運転していないし、それから、眞板雅文も自動車を運転していない。もちろん李禹煥さんも運転してない。そういう、かなり重い物を運ばなければいけないはずの人たちが、重要な作家たちがみんな自動車を運転していないですよ。で、はっきり、つきあったり飲んだりしていると分かりますけれど、みんな後ろ向いてますよ。

富井:もの派への反発とおっしゃったときには、でも具体的には、その部分なんですか? 作品の部分でしょう?

彦坂:作品というよりもまず、直接はやっぱり「発言する新人たち」という……。

富井:『美術手帖』の1970年2月掲載でしたね。

彦坂:僕の中では反発を感じるんだけれど……

富井:あれがやっぱり、その最初の反発ということになるんですか。

彦坂:僕の視点で言うと、自分の父親が本当の父親ではなかったという嘘のなかで育っているから、嘘に対してすごい敏感なんですよね。嘘の匂いって、かぐんだよね。その段階では、自分の出生までは認識していないですけれど。嘘に対して、これは嘘だという感覚をすごく持つのね。あまりイメージが整えられているものは、嘘を感じてしまうのだから、あれは嘘だと思っている。

富井:まあ編集ですか。

彦坂:さっきのナチズムと一緒ですけれど、レニ・リーフェンシュタールの映画のように、ねつ造して作られているわけです。軽だった。ライト・カルチャーというのは基本的にねつ造で作るのであって。僕は李さんと争っているように見えるけれど、李さんとは個人としては普通に飲んでいたし、旅行も何回もしているし。つまり李さん自体を問題にしているわけではないんですよ。李さんが提示してきたものです。それは結局僕から見ると、つまり今から見ると、ライト・カルチャーの問題だった。

富井:それともう1つは、「李禹煥批判」の副題が「ファシズム批判」ということで書いておられましたね。

彦坂:それも同じです。基本的に全部同一だったんです。結局近代文化というものの中に、偽の構造があるんです。偽の構造が非常に魅力的に満ちていて、それが社会を形成する。だから社会というのは、ライト・アートしか分からない。本当に真剣にそう思いますけれど、ただ社会に生きている人間というのは全員が社会人ではないので、社会人として生きながらも、非社会的とか反社会的とか無社会的とか、個人性というものを抱え込んでいるのですよね。その人が、例えばシャルダンの静物画を、今シャルダンの展覧会がやっていて(注:三菱一号館美術館 2012年9月8日〜2013年1月6日)、ずいぶん良い展覧会ですけれど、人がじーっと凝視しているわけですよ。ポロック展のときもそうだったですけれど、日本の観客はずいぶん良くなっていて、じーっと見てくれているわけね。あれは社会人の問題ではないですよね。社会を超えた個人。だけど、もう一方で言えば、モランディのペインティングを、じーっと見るとかね、あれは全くの売り絵に過ぎないのに、あれに深い意味を見るわけね。同じことは音楽もそうですけれど、(マイルス・デイヴィスの)「Kind of blue」に深い意味を見るとか、あるいはブライアン・イーノですけれど、ああいうものを深い芸術を見るわけです。あれは全くの軽アート、軽音楽に過ぎない。今の長谷川祐子さんが言う、芸術とデザインの遺伝子が入れ替わったという主張はまさにそうですけれど、結局ライト・アートに深い意味を見るようになってしまっている。

富井:《フロア・イヴェント》で、物が残っちゃったというところに戻ると、あの後、いろんな形で変奏なさっていきますよね。《フロア・イヴェント》自体を。それはやはり情報のほうではなく、モノのほう、生演奏のほうを取ったゆえの展開ということになるんですか?

彦坂:実は簡単に言えば、一番基本的に僕の中にあるのは、僕はボワイヤン(voyant)になろうとしているんですね。「見者」(を意味する言葉)で、物を見る、認識するということに全力を賭けているのです。ああいう変奏の作品も、作品という視点で見ていったら、写真であろうと経歴であろうと、モノに関わっているように見えるけれど、モノに関わっているのなら、なぜこれだけしつこく書くのかという問題もありますよね。今でもフェイスブックでかなり書いているし。それからフェイスブックに画像を操作した写真をたくさん載っけているけれど、あれも皆手間食っているので、よくあれだけやるなというのがありますよね。結局、僕がやっているのは、あくまで認識を追っかけているのです。認識は、本当は言語がついてきますけれど、僕は物理学者のように数式で認識を表すということができないですから、どうしても言語や図式になってしまいますけれど、認識していくことに重点がある。(僕は)ジャック・ラカンの影響を受けていて、モノの作品という意味で言えば、ジャック・ラカンは、あくまでもシニフィアン、シニフィエという言葉の中で言えば、シニフィアンのほうですね。物質性を持った表現のほうを重視しますよね。僕で言えば、シニフィアンよりシニフィエのほうに、重点がかかっている。

富井:ただし物質なり行為なりのヴァリエーションの中で認識が深まっていく、あるいは認識を追い求めていくということになるわけですか。

彦坂:20世紀の美術史だといって、100本牛乳瓶を並べて、ハンマーで割っていくんですけれど、その1つ1つに、美術史の年号の内容がくっついていて、それを割っていくんですけれど、あれも当時見ている人の中で、例えば峯村さんは比較的正確に見ていた人で、その中で、結論だけ言っていくと、スペインがインカとかアステカに入って、虐殺をしていきますよね。そういう侵略に対して僕は肯定の立場をとるわけ。これはすごい大きな飛躍だった。僕は元々で言うと、特に大英帝国が世界に侵略していったことに対して、すごい反発があって、特に最初の植民地にしたアイルランドに対して共感があって、だから、基本的にああいうアフリカの奴隷を売ったりすることもそうですけれど、そういうものに対して全面否定があったのだけれども、それをどうしても切り分ける必要が生じるんですね。それはなぜかというと、文明史を記述しようとすると、それ自体を単純に悪だと言っていくと、文明史が記述できなくなる。例えば大和朝廷が支配する領域を増やしていくことを、侵略行為だからいけないというふうに言っていくと、文明史は形成できなくなる。そっちのほうを僕は採る。そういう意味で僕は、歴史家なので、基本的に、モラルより歴史を採る。つまり感情論で歴史を言ってみても無理というものがあって、だから、峯村さんが当時僕のパフォーマンスを見ていて、すごい批判するわけね。でも、僕の方からすれば、考えに考えて、これはもうせざるをえないと言って、そういうふうに転換していくから、僕にとっては認識的転回のほうが大きいんですね。

富井:今ちょうど、「僕は歴史家ですから」という言葉と同時に、「認識を追いかける」という言葉が彦坂さんからあって、そうすると年表(「年表/現代美術の50年」『美術手帖』1972年4月、5月号)につながっていくんですけれど。あの仕事も刀根さんと一緒になさったわけですよね。

彦坂:そうですね。あれは文献として残っていますけれど、直接は日展粉砕闘争をやったときの総括文の中で、日本の歴史を知らなければならないということを言うわけですね。で、日展粉砕闘争をしたとき、実は美共闘の主要部隊というのは全部逮捕されてしまっていたんですね。

富井:彦坂さんは残っていたんですよね(笑)。

彦坂:そう、残った残存部隊でやるかやらないかと言ったとき、みんなやらないと言ったわけです。結局僕が単独で60人くらい集めた。だから、いろんなところにやりましょうとオルグにいって集めたから、全く強い部隊じゃないのです。もともと美共闘自体強い部隊じゃないですけれど(笑)、寄せ集めなので、隊列も組めない状態なのです。日展を攻撃するというのは、内閣調査室も動いたし、とても危ない状態なのです。美共闘は実は内閣調査室に早い段階から「アナーキスト集団」ということで、目をつけられていた。実際アナーキストだったんですね。黒ヘルをかぶっているし、物質も真っ黒に塗っていますし。標的にされるんですね。だいたいアナーキズムというのは一番弾圧を受けて殺されてくる政治潮流だから。僕の場合、なぜアナーキストになったのかというと難しいけれど、少なくとも、分かりやすい説明をすれば、ハーバート・リードの『アナキズムの哲学』(大沢正道訳、法政大学出版局、1968年)を読んでいたという(笑)。リードも後から読むと色々問題がありますけれど、しかし彫刻論もほとんどリードを高く評価するし、僕にとって大きな源流ですよね。それで、アナーキズムで、体質的にもそうで、普通に大学に入るとまず日共とか民青につかまって。

富井:それを粉砕したとこの間おっしゃっていましたよね。

彦坂:そう。全部粉砕していくの。論理的に。それができないと組み込まれてしまう。

富井:で、日展闘争の総括として日本の美術の歴史をやろうとした。

彦坂:日本の歴史ですね。正確に言うと美術だけではない。僕は、年表でもそうですけれど、今のアートスタディーズでもやってて一番大きいのは、国体明徴声明という戦中の声明があります。あれはものすごく大きいわけです。少なくとも明治維新から、明治天皇、大正天皇、昭和天皇まで、あくまで近代君主制の枠組みがありますよ。それを崩しちゃって生き神さまに戻したのが、国体明徴声明だから、その構造を、つまり原始に押し戻してしまうという構造が、戦後の岡本太郎を生むのです。岡本太郎の美術は、あれは原始美術に向かう。《重工業》(1949年)の前は違う。その前は普通の近代美術です。それを《重工業》で原始美術に押し戻すんです。キッチュで押し戻したものを、中原佑介が評価したんです。その構造はすごく大きいわけです。その後の現代美術の中に似たようなものが出てくる。すぐに出てくるのは河原温だし、池田龍雄だし。ああいう人たちは全部、彦坂が言う「絶対零度」で、6流の絶対零度で、デザインを打ち込んでくる。次々にそれが子供たちを作ってくるのね。僕自身は岡本太郎の影響があって、岡本太郎の子供の1人ですけれども、やっぱりそういうものに、刃向かっていくわけです。それは美共闘の中にもあった。つまり、岡本太郎への批判がはっきりあった。

富井:「エセモダニスト」みたいな言葉が使われているのは、岡本太郎を指していた。

彦坂:それと「駄々っ子」だという批判もあって、岡本太郎批判はあった。だけれども岡本太郎の直系ですからね。中学2年の頃、カッパブックスで『今日の芸術』(光文社、1954年。カッパブックス版は1955年刊)が出て、買っているし、読んでいるし、直系ですけれど、僕は鬼っ子ですよね。だいたい僕が批判しているのは、のめり込んだ人たちで、その人たちを食い破って出てくるのね。

富井:(笑)。そう思ったところが、面白い。で、その歴史を認識しようとしていくということですね。

彦坂:今は人類史の700万年ですけれど、とにかく最初まで戻ってみないと分からないですって。年表はね、元々直前の過去である60年代を総括しようというので始まったんです。それで『美術手帖』を口説いたんです。なぜそうしたかというと、自分で国会図書館に行って同人誌でやろうとしたんだけれど、本が借りられないので、つまり借りる手間がすごい大変だった、そうすると無理だというのがあって、それでこれはどうしようもないからどっかの出版社をマガジンジャックして、そこの出版社の名前で一気に資料を集めて、どっとやろうという意図があった。

富井:トラック2台分でしたっけ。1台分でしたっけ。前書きのところに書いてありましたね。

彦坂:それを企画して、『美術手帖』を口説くわけですね。それができたのは、刀根康尚さんのところに福住治夫さんという編集者がブレーンとして入っていて、福住さんが何度も来ていたわけです。そういう『美術手帖』との関係があって、そこに入り込んでいくわけです。それで、ある種の詐欺をやったわけです。あそこに赤塚行雄さんという人がいるんですけれど、赤塚さんも実は60年代美術年表に入っている。それで「ここまでできています」と言って見せて、見せ金ですけれど、それで企画を通って、38ページ作りましょうとという話で、第1回の会議のときに僕が赤塚行雄を批判して、赤塚さんを排除しちゃった。

富井:第1回の会議だったんですか。「年表」の掲載は2回に分かれているでしょう。最初の方は赤塚さんの名前があります。共編者で。

彦坂:でも実際赤塚さんも最初の1日目で排除してしまった。酷いよね。

富井:あれを2つに分けている理由は?

彦坂:単純に入らないのと、それと歴史を二重構造していくという理由があった。

富井:あれは重なっている部分があるわけですよね。

彦坂:それも重要なんですけどね、今から見ると。つまり、日本の近代というものに、分かりやすく言えば、近代絵画という部分と現代美術という区分の非連続性というのが現実にあって、それはアメリカにもあると僕は思いますけれど、そういうものが重要で、それを構造化できたこと自体がいいと思います。

富井:いわゆる切れ目みたいなものですか。

彦坂:切れ目というよりも、正確には、今の彦坂的に言えば、様態が変わるのです。だから、「アメリカン・センチュリー」という展覧会(ホイットニー美術館、1999年)が開かれますけれど、富井さんと僕は一緒に観たんですね。あそこで、前半の最後の1945年のところに、会場に大きなキノコ雲が出てきましたよね。キノコ雲の向こう側に行くと、美術作品が変わっているんです。背後が揮発しちゃっている。原爆の登場によって美術はずいぶん変わるんです。少なくともあの展覧会はそれを明示していた。日本にもそのことは起きると思う。世界史的に起きると思う。様態が変わる。そこでポロックが出てくるのですが、ジャズで言うとオーネット・コールマンが出てくる。これは非常に重要で、様態的には気体化するということです。気体になると、水が川の中を、いろんなものが混じって、流れてくるじゃないですか。最終的に海にたどり着く。そのとき塩水になる。ところが沸騰すると塩と水は分かれる。そういう分離が起きちゃう。第2次世界大戦後の段階でそういう様態変化はあったけれど、全体的には広がらなかった。あくまでもポロックに代表されるような本当の前衛の作家たちにあって、コールマンにもありますけれど、そういう様態変化が起きた。多分、60年代の後半になってくると、プラズマ化という現象が起きてきて、音楽で言うと、スライ&ザ・ファミリーストーンから、その影響を受けてハービー・ハンコックが「フューチャー・ショック」(1983年)という音楽を作っていくという流れの中で、あと75年になると、マイルスのジャズが終わって、同時にウェザー・リポートというあれも気象化を象徴するけど、そういうのが出現して、音がガラっと変わってしまう。それは様態変化だというのが彦坂の視点なのです。

富井:「年表」に話を戻すと、赤塚さんは置いておいて、刀根さんと彦坂さんの共同作業ということになるんですね。

彦坂:それは、全くそう。刀根さんと2人で、本当にキャッチボールを繰り返して。

富井:毎日ゼミしているようなものですか。

彦坂:その場合、言っていいかどうか分かりませんけれど、悲劇なのは、そこでやった成果が、そこで歴史家が登場していればいいんだけれど、充分に登場しうる基盤があったけれど、刀根さんはそうできなかった。

富井:刀根さんが歴史家にならなかったという意味ですか。

彦坂:うん。

富井:彦坂さんはそこで歴史家になっていったわけですか。

彦坂:僕はなろうとすればなれただろうけれど、作家であることが危なくなるという気持ちがあったし、もう1つ、今はそこまで書けるけれど、僕自身、結局遠くを見過ぎているんでしょうね。今にいたるまで、すごく歴史を追究していくんです。今の歴史学というものも、歴史によって変わるんですね。原始社会においては神話というかたちで歴史があって、農業が始まると王朝の歴史として歴史が形成されて。天皇の歴史としての皇国史観も世界史の中で見れば異常なものではなくて、司馬遷の史記にしたって王朝の歴史に過ぎないわけですから、産業革命があって近代になってくると違う歴史が書かれて、情報革命が起きてくると、大地の歴史だとか、生物史40億年の歴史だとか、宇宙の歴史だとか、そういうより大きな歴史が書かれてくるから、王朝の歴史からずいぶん離れるわけです。その中に置いたときに、初めて美術というのが分かってくるわけね。この間も、うちのアトリエで展覧会をやった学生の作品があるんだけれど、人体を書いていても、脚を描いていない。幽霊なの。「ダメだよ」と言うじゃない?人類の登場そのものが、最初の700万年の原点というのが何かといったら、二足歩行で、これは僕の立場だけれど、二足でなくて三足だっただろうと思っていて。二足でなんで立ったんだろうという問題があるんだけれど、そのときに杖をついていたんだろうと思う。三足で立ったんだろう。今、東京国立博物館で「中国 王朝の至宝」展(2012年10月10日〜12月24日)というのがやっていますけれど、これは素晴らしい展覧会で、とにかく2000年前後に開けた古墳の盗掘されていないものが出てる。見たこともないものが沢山ある。その中に、三本脚の鼎がある。みんな脚がガシっ!としている。本当に人間の足みたいに有機的なフォルムで。だから、三本足だったというのは、根拠があるんです。なぜ三本足かというと、ちょうどアフリカの真ん中で、やや東側で断層ができているんですけれど、南に下がった方は雨が降るんですけれど、北に上がったほうが雨がなくなって、乾燥地帯になって、そこの猿が歩き始めるんだけど、そのときに、ここからは後は全部想像なんですけれど、いろんな学者がいろんなことを言ってますが、その1つが、ライオンがシマウマを捕って食べているときに、それを見つけた人間が、棒を持ってライオンに殴りかかって追い払って、そうすると棒があると良いということになって、棒を始終持って歩くようになっていたから、二足歩行になったわけ。

富井:なるほど(苦笑)。

彦坂:杖なんだけれど、それが1つ嬉しいのは、動物が獲ったものを横取りしたということ。人間って横取りがすごい多いじゃない? 人間の起源の中に横取りがあるんじゃないかというのは、説得力があって。だから三本というのは、僕は結構好きで。だからそこまで行かないと、立つということが分からなくて。立つということが分かると、セザンヌのね、水辺に立っている男がいるんですよ。ああいう絵って、足がすごくしっかり描かれている。それから、彫刻類でも、足の表現がすごく重要なんです。それは僕が多摩美のバリケード時代に、三島由紀夫の「近代能」を練習しましたけれど、あれは結構たいへんなんです。ただ「立つ」ということの難しさ。彫刻論的に言えば、立つということが彫刻の根源的な問題です。そこまで説明していくのに、人類史700万年知らないといけない。芸術というのはそういう遡行性という面を持っているということですよね。今、授業でやっているのも、オットー・ランクの『文学作品と伝説における近親相姦モチーフ』をやっているんだけど、これもほら、厚いからさ、授業でやんないと読めない(笑)。本自体は易しい本だけど、これも一番最初のタブーまで戻らないと、詩の根拠とか言語表現の根拠とか分からない。

富井:「年表」は、2回目の第2編の部分が具体から始まっていますけれど、1955年で、その後で彦坂さんが具体美術論というか具体についての論考を書かれていますよね。ある意味で具体がひとつの起源という歴史観になるんですか。

彦坂:僕がそういうものを作っちゃって、それが広がっちゃったから……。今どうなんだ?と言われると、それは難しいですけれど。当時は具体は日本美術史の中で言えば、そんなに認められた状態ではないですよね。ほとんど無視されている状態だった。そういう中で具体を評価していくというのはクリエティブだったと思いますけれど、今、とにかく具体はすごいって(笑)、高い評価があるから、僕がなんか言うという状態ではないですよね。

富井:あの論考が面白いのは、具体だけでなく、その後のグループ〈位〉とか、その先に彦坂さん自身の仕事を置いたかたちで、いわゆるプラクティスの問題として考えておられたんじゃないかと思うんですけど。

彦坂:そうです。

富井:だから歴史家になったんですか、とお聞きしたんですけれど、美術家として歴史の中で認識を深めていくという行為だったんでしょうか。

彦坂:今の日本で歴史家というと、歴史の専門家ということになるけれど、美術史の中で美術史家というのを見ていくと、それはアーティスト自身なんです。

富井:ヴァザーリのときからそうです。

彦坂:ヴァザーリよりもっと前で、紀元5世紀くらいで中国の画論というのが沢山でてきます。日本では雪村からですけれど、基本的に美術家が書いている。どの作品が良くてどの作品が悪いという判断を含めて、美術史の中では美術家がやってきたことだから、原点に戻るならば、それは美術家自身がやっていないとおかしいのです。海外の研究でも、ほとんどの重要な論文は美術家が書いているという指摘がある。事実として、美術家が書くということは、歴史的には正当なわけです。日本にいると弾圧されて大変ですけれど(笑)。弾圧したければすればいいのであって、僕で言えば、書いて認識をしていくという作業は重要なことです。少なくともコンセプチュアル・アート、僕とジョセフ・コスースで言えば、コスースのほうが1歳上で世代的にはコンセプチュアル・アートの世代であって、日本のコンセプチュアル・アーティストと言われる中で、何人もの方がいらっしゃいますけれど、真面目に内在的にやろうとしたというふうに僕には見えないという問題があります。コンセプチュアル・アートのファンで、コンセプチュアル・アートもどきのものを作ってきたという人がほとんどであって、形式的にはコンセプチュアル・アートでも、本質としてコンセプチュアル、認識を重視していくという人はいなかった。元々の欧米のコンセプチュアル・アートといえば、「何が芸術を成立させるか」という問いがあったわけです。日本では、みんなその問いを抱えていない。芸術そのものが自明化している。なぜ自明化しているかといえば、ライト・アートだから。ライト・アートではつねに芸術は自明なのです。すでに芸術である作品があって、それをなぞっているわけだから。本当のクリエイティヴィティというのは、そういうものではない。すでにあるものを疑っていくわけです。ミケランジェロの評価がいくら高くたって、現実にイタリアに見に行って、ミケランジェロの作品が良くないもん。一番分かりやすいのは、《ダビデ》を見て、あれを良いとは言わない。あるいは、ヴァチカンにある初期のピエタを見て、あれを良いとは言わない。あるいはシスティーナ礼拝堂の絵画を見て、あれを良いとは言わないわけであって、それは普通に美術作品を見てきた人間には分かる。見てこない人にはしょうがないよ。教養がなければ。あれが良いですと言われれば、そうですね、と。実際すごいものだからさ。そういう話でしかなくて。それでドナテッロとか見て、うわー、すげえなって、本当に打たれてしまうわけです。それでも、僕は、ミラノのミケランジェロの最後の《ピエタ》を見て、半日くらいその前にいて、泣いてましたけれどね。全身をかけて反応するわけです(笑)。今から見るとあれは16次元で、壊れているんです。それに対してこちらが反応した。もちろん旅行の疲れもあるし。あれも何を見ているのかよく分からない作品です。

富井:溶けてますよね。

彦坂:16次元というのは、今の彦坂理論で言うと、実作品が生まれた最初かもしれない。つまり『美術の3万年』という本で見ると、石器と巨石文化と建築が抜けているわけ。始原を見ようとするならば、建築を見なければいけない。中学生の頃から東博に通っているから、石器も見ているわけですよね。石器もきれいだなと思う。だけどそれは高度になった石器で、最初のものは、丸い石で、ラッコがやるみたいに椰子の実かなんかを打ち付けるものだった。とにかく石を加工しようなんて意識はなかった。ただぶつけているだけ。石が次第にへこんでくるわけ。その凹んだもの。それが想像界で16次元で、一番最初のもの。それから石器が発展するものを見ると、次に12次元になって、次に8次元になって、6流になって、すごいよ。

富井:16次元ってキュビスムじゃなかった?

彦坂:分析的キュビスム。あれは16流。僕たちがああいうものを見ると打たれるじゃないですか。それは美術の根拠というか始原を見るんです。

富井:すごいですね。じゃあモダン・アートでもう1回始原に戻ったわけですか。

彦坂:そう。僕で言うと、そういうふうに見ていかないといけない。壊せばいいというのは、違うんだよね。オットー・ランクの場合でもそうだけれど、どう言語ができたかとか、そういうことを考えていかないと詩の根拠が分からなくなる。詩自体分からない人がたくさんいるわけです。産業革命以前は、詩というのは最高の芸術形態だったわけです。政治家であろうと貴族であろうと、みんな詩を詠ったわけです。一兵卒であっても、防人の歌というのもそうでしょう。詩というのは最高の表現だった。そういうことを僕らはみんな忘れてしまった。産業革命が起きるとリテラシーが現実界に移行するから、簡単に言うと科学の時代になるわけですが、詩という象徴界の表現が二次的なものに変わってしまうんです。そういう全体の構造を問題にしていかないと、現実を根拠づけられないじゃない?

富井:そこで1つ聞いてみたいんですけれどね、芸術の根拠づけということと、彦坂さんが1970年代の初めから「プラクティス」を考えたというのは、芸術の根源の構造というものをもう1回捉え直そうとしたのかな、という気がしたんです。70年代を通じて、「プラクティス」という考えかたの説明自体もその時期によって変わっていったと思うんですけれど。

彦坂:僕らの学生時代、美共闘の時代というのは、もはや芸術の制作をすることに意味がなくなったということを、何人もの人が言うわけ。ひとつは、宮川淳さんだし、中原佑介さんだし、李禹煥だし、松沢宥。みんな言葉は少しずつ違うけれど、言っていることは、もはや制作することに意味がない、ということを主張したのです。それは何なのかということがあって、同時に僕自身も制作の意味づけを変えていることは認めるわけです。そのときに制作というものをもういっぺん根源的に考え直そうとすると、ギリシャのプラークシス、ポイエーシス、テオリアという人間の三大活動という定義があって、そこに戻って考えるわけです。そうすると、ポイエーシスの危機として出てくる。ポイエーシスが危機に陥ったのならば、それを何とか回避する方法はないかと考えて、それがプラークシスに移るわけ。プラークシスというのは日本語で言えば実践です。あくまでもポイエーシスの崩壊というか危機、それは様態が変わるし、リテラシーが変わったからなんだ。文化の構造自体が大きく変わっていく時点で危機状態が起きるわけなので、だからヘーゲルが「芸術の終焉」と言ったときは、つまり産業革命が起きてくるときで、それまでの宗教権力、つまり象徴界が世界を支配していたのが、現実界に移行してしまって、様態も固体状態から液体状態に変わるから、リテラシーと様態が変わるというときに、文化が非連続化するわけです。そういうのと同じ状態が1960年代末に起きたということです。それを僕は正面から受け止めたから。学生段階で、もろに向き合っていくわけだから、今のようにトータルに説明できないわけですよね。だけど、匂いは分かるというか、しょうがない。ライト・アートの人は、作品展開の点から言えば、安定してできるんだよ。あのときの代表的な作家で言えば、リチャード・ロングかな、ああいう人はほとんどライト・アートです。最終的には丸に落とし込んで、歩いたりするけど、当たった仕事に絞り込んでいくから、すごい分かりやすいでしょ。この間、本郷の東大の美学の研究室に行ったときに、3冊くらい作品集があって、結構お気に召しているんだなという感じを持ったわけだけれど、非常に分かりやすいんですよ。あれは僕に言わせれば、芸術ではなくて。ランド・アート系統の中で言えば、スミッソンはすごいなと思いますけど、クリストもぜんぜんダメだし、マイケル・ハイザーもぜんぜんダメだし。その見分けもしないで、ライト・アートに飛びついちゃうというのは……。それは「いけません」とは言えないので、そういうものを良いと思う人だとしか言いようがないから、言い合ったって無理だよね。

富井:今、割と同時代の作家の名前が出てきましたけれど、高松次郎さんは……。

彦坂:先生筋で言えば、高松次郎さんは事実上僕を認めてくれた……。

富井:《フロア・イヴェント》の展評を『美術手帖』に書いてくれた。(注:高松次郎「ワイド・アングル 日常的空間での表現とは?彦坂尚嘉の〈自宅〉個展」『美術手帖』1971年7月)

彦坂:その前に、68年の夏休み明けの最初の合評界に高松さんが来て。高松さんはそのころスーパースターですが、夏なんだけど白いタートルネックを着て、今でも目に浮かびます。本当にスーパースターを演じておられるんですね。

富井:そのとき高松さんが教えておられた?

彦坂:ゲストで来ていただいた。そのとき彼が僕の作品を見て、「今までにない新鮮なものがありますね」と評価してくれた。

富井:どんな作品だったんですか?

彦坂:残ってますよ。巻いちゃってどこかにつっこんでいるから探さなきゃならないけど。100号だったと思いますけれど、そこに黒いニョロニョロとした人間のようなフォルムがいくつかあって、白黒のペインティングですけど。《発生》というタイトルをつけて、それなりに決意がある作品だったんです。それを「今までにない新鮮なものがありますね」と評価してくれて。それが嬉しかったのは、今まで僕の作品っていうのは、終始回りから、堀も含めてですけれど、とにかく否定的に悪口ばかり言われていた。悪口を言っている人たちは、全部模倣作品ばかり作っていたの。アラン・ダーカンジェロをぱくった作品とか、ジャスパー・ジョーンズのマネをして、とにかくアメリカ美術のオン・パレードだったよね。

富井:それは、みなさんやはり『美術手帖』とかで見て、勉強なさっているのですか? その頃は、欧米の雑誌とか見ておられましたか?

彦坂:僕らは見てないですね。ただ、もの派の連中は見ていたという話があります。関根さんとか、海外の雑誌を取っていたというのは聞いたことがあります。

富井:じゃあ彦坂さんたちの世代は、情報源は日本の雑誌だった。

彦坂:まあ『美術手帖』の時代ですよね。一番売り上げが伸びていて、キヨスクにまで置くかという話が出ていた。3万部あった。宮澤壯佳編集長の時期で……。まあ、僕は高松次郎さんの直系だけれど、ただ、《フロア・イヴェント》(への評価)は良かったですけれど、その後のアップライトシーをやるときに、プランを見せに行ったのです。海岸線も水平線もない、海だけの写真。そうしたら高松さんが、「海岸線も水平線もないような海を、海と認識できない」と言ったんだ。概念的な言い方ですけれど。あの段階は、僕は、誰かすでにやっているんじゃないかと一生懸命探したんです。見つからなくて、高松さんに聞きに行ったら、そういう反応だったから、まあできるかなと思って、やったんだよ。あれは1972年にギャラリー16と京都商工会議所でやったときに、流れたわけ。結果的に見れば、ラテックスを使うのは、リンダ・ベングリスの(作品があった)。ベングリスは、『アートフォーラム』に(性具の)オチンチンを突き出した(自画像を掲載した作品があって)、あれが芸術としてどうこうというのじゃないけれど、あれは好きな作品です。刀根さんは(ベングリスのラテックスの作品を)知っていたんじゃないでしょうかね。刀根さんに教えられたから僕はラテックスを買いに行ったけど、中身も見ないでやっているので。

富井:刀根さんに、ラテックスを教えてもらったということですね。

彦坂:そう、石膏を流そうとしたんだけれど、大変だから、ラテックスというのがあるからと聞いて、買ってきたんだけれども、中を開けて見なかった。その場で裸になって、ビャっとやりはじめた。

富井:リンダ・ベングリス自体は、『ライフ』とかいろいろなところで、色をつけたラテックスとか、割とセンセーショナルに紹介されているので。刀根さんが『ライフ』とか美術雑誌をご覧になっていたかどうかは、ご本人に聞かないと分からないですね。ただ、刀根さんが知ってても、彦坂さんは、何も知らないで、自分勝手に向かって(笑)。

彦坂:そう。本当に無手勝流で。一応は気にするんだけど、誰かの凄いものがあって、それを模倣して、というのではないですよね。

富井:模倣はいけないという意識はあったわけですか。

彦坂:それは、具体なわけです。具体の白髪一雄さんが『美術手帖』に書いていた連載があって、それを読んでいるから。「絶対に人のマネをするな」、「今までにないものを作れ」という言葉に囚われていたので、周りの友達がみんなアメリカ美術の模倣をしているのを、僕はソッポを向くわけで、彼らは彼らで、「何やっているんだ?」と、僕がやっていることを、ぜんぜん理解できないのですね。全く僕に対する評価というのはなかった。だから高松さんに認めてもらったとき、すごく嬉しいわけ。僕の場合、僕を認めてくれる人ってほとんどいないので、今もそうですけれど。今玉田(俊雄)さんとつきあっているけれど、玉田さんを色々言う人たちはいますけれど、少なくとも僕を評価してくれるんですね。ここ10年にしても、彦坂は本当に別人になったよねと誰も言わないですよ。僕がアート・スタディーズを22回もやったからって、22回もすごいですねと言うけれど、内容のことなんか誰も言わないですよ。何をやろうと、僕に対する評価なんてできないですよ。こちらは耐えられるからやるだけであって、ただ最近の認識として言うと、芸術というのは社会性がないのではないか。芸術と社会という問題で登場してくるのは、ライト・アートだけだ。ライト・アートは、本当に社会性しかないんじゃないかというくらい社会性が強い。だけど構造を追いかけようとすると、芸術としての構造は持っていない。社会性だけだよね。社会的文脈で語ることはできますよ。だけど、芸術的文脈で語ろうとすると、難しい。

富井:ちょっと飛ばして、ウッド・ペインティングに行こうと思うんですけど。これはペインティングなんですよね。

彦坂:ウッド・ペインティングで重要な作品は豊田市美術館に入っていますけれど、やっぱりドローイングなわけです。もちろん一番最初はドローイングではなくて、五七五七七というリズムで作っている仕事です。

富井:材木を並べて、すのこのように並べた作品。すのこというのは言葉が悪いですけれど。

彦坂:あれも直接の動機は、母親が、後藤美代子という美智子さんの和歌の先生にずっとついて和歌を詠ってきた人なの。それが高齢になってきて、国語教師だったのですけれど、自分が歌人として認められなかったと言って、和歌を全部焼いてしまったの。それに対して僕は激怒した。それで、五七五七七の作品を作ろうと思った。それであの作品になった。五七五七七という定型詩のリズムと木という素材で言うと、木のほうに関心があるわけではないんだよね。人はそういうふうに見ないけれど、木でやんなきゃいけないということがあって。今度あいちトリエンナーレでも、木でやらざるを得なくなって、やりますけれど……。

富井:その五七五七七で作品を作ったとき、どうして木を使ったのですか。

彦坂:それは後から分かりますけれど、初期の作品は、現実界ですよ。現代美術は、例えば岡賦」二郎でもそうだけれど、最初は現実界で。僕の方が全然早いんであって。当たり前だけれど《フロア・イヴェント》をやって、仕事としては現実界に還元していっているわけでしょ。リチャード・セラが溶けた鉛を投げるのと同じような連続性がある。なんやかんや言っても、もの派という多摩美の文化圏の中にいるわけで、僕自身が。そういう意味で、関根伸夫さんの「位相」という作品の考え方とか、斎藤義重さんとか、成田克彦さんとか、吉田克朗さんとか、ああいう人たちが持っている文化、それから柏原えつとむさんとかが持っていた文化を、僕はもろに引き継いでいるのです。全くそれは否定しないですよ。その通りです。多摩美もの派の展開なわけです。《フロア・イヴェント》だって、もの派と言えばもの派なわけです。

富井:まあ、言えないことはないですよね。

彦坂:だから、あくまでもそういう具体性の中にあるから。柏原さんの《Mr.Xとは何か?》(1968〜69年)もそうですけれど、詩の作り方とか(に影響を受けた)。当時柏原さんに直接会ってないですけれど。僕は多摩美の1年生で文芸部に入ったとき、4年生に菅木志雄さんがいた。3年生に戸谷誠さんという人がいた。戸谷さんから僕はたくさんのことを習ったんだけど、習ったことはほとんど柏原さんが開発した手法だよね。柏原さんの影響はすごく強いです。

富井:その後で一緒にお仕事なさってますよね。

彦坂:柏原さんと出会ったときに、すごい評価できるなと思ったのは、何のことはない、僕は柏原さんの思考を引き継いでいた(笑)。

富井:じゃあ、先祖を発見したのですね(笑)。

彦坂:あれも、発見したのは、菅木志雄さんが、田村画廊で僕とばったり会ったら、「彦坂、今、文芸部の先輩の柏原さんが展覧会やっているんだけど、一緒に行かない?」と言うから、行ったわけです(注:「柏原えつとむ展「方法のモンローと未熟な箱たち」」真木画廊1975年5月)。だから、全く多摩美文芸部の人脈の中で動いているわけです。で、柏原さんの箱を使った作品を見て、「うわー、すごい! 良いですねえ!」と言った(笑)。そしたら柏原さんが、東京に出てきちゃった(笑)。

富井:私も柏原さんの箱を使った作品はすごいと思っています。

彦坂:見たときに、全部分かるわけです(笑)。「東京に来い」と言ったわけではないのですけど、すごい興奮して。後から考えれば、分かるのは当たり前だったのですけれど。すごく狭い人脈の中で、自分が出てきているわけで。キーには、斎藤義重さんがいるわけですけれど、斎藤さんの作品を僕自身は批判しているんですね。僕がバーっ!と批判したら斎藤さんが一歩後ろに引いた(笑)。

富井:何て批判したのか覚えていますか?

彦坂:僕が木のパネルを、バリケードの中で1回やっているんですね。結局、斎藤先生の木の作品は、それをパクったというのは分かっていたんです。

富井:え、齊藤先生が、彦坂さんの作品をパクったんですか?

彦坂:うん、齊藤先生はいっぱい若い人たちの作品を見て、パクっていくんだもん。

富井:そうなんですか。

彦坂:そういう評価は、普通に、裏にはあるわけです。菅さんもそうだけど、菅さんも、もの派系統の作品をよく見て歩いていて、有名じゃない方の作品をパクっていく。だから、菅さんの画集を見ていくと、内在的に展開していくというのが見えないですよね。結構、まったくバラバラに展開する。あれは見たものをパクっていくから。

富井:じゃあ、斎藤先生の批判をしたときは、そういうふうに批判したんですか?

彦坂:「斎藤さんのやっていることは、全部正反対にやってやる」って。

富井:じゃあ、わざと木を選んでということで?

彦坂:もちろん、バリケードの中で木をやって、ビニールを使って。元々、木を使うというのはあったわけですね。そこで何をしているかというと、絵画というものを、一方でビニール張って、皮膜に還元しているんだけど、もう一方で木という支持体が出てきているわけでしょ?

富井:そうですね。

彦坂:木という物質性に絵画を還元しちゃっているわけでしょ? 木という物質があれば、絵を描かなくても、絵画だと。元々油絵というのは、キャンバスではなくて、板絵です。レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナリザ》も板絵なんです。そういう原型的なものを提示するだけで良いという考えです。元々、僕は、子供の頃病気で、病院で天井ばかり見ていたから、正確には木という素材よりも木目というものですね。簡単に言えば、木目というのは、彦坂的には6400次元まであるので、近代が持っているものよりもうちょっと深い構造があるのです。あと、エックハルトというドイツ神秘主義者です。僕は李さんのことを神秘主義者だと攻撃しているけれど、実は僕が神秘主義者なんだね。まったく。僕はエックハルトが大好きで、「木を見れば木になれる」という人なんだけど、それは「神を見れば神になれる」と言っているので、異端審問に引っかかるんだけど、そういう流れの中にある。その場合の木という素材において、木という物質性なのかどうか。実際、木を使わざるを得ないから。今でもそうですけれど。つまり、芸術はもはや認識だと僕は言っているんですね。作らなくてもよいと。ところが、社会的に生きていかなくてはならないから、美術作品を作って、売買して、何らかの形で残していかなければならない。それはそれで別に考えなければいけないでしょう。ジェフ・クーンズもそうなんだよね。風船を使った作品が初期にあって、2つ並べていて、それを鋳造して作品にしていくわけでしょ。あれは鋳造にして作品にしている段階は、単なる工芸作業に過ぎないのであって、必ずしも工芸作業であれば、自分でやらなくてもいいんです。職人を雇って上手い人にやらせればいいということになってくる。だから、認識としての芸術というものと、美術作品を作るということ。クーンズの作品では、ステンレスでウサギが鋳造されているけれど、あれはステンレスで抜かれているから素晴らしいとか、そういうことは、見る人は言いますけれど、本質的には関係がない。物質的なものは関係ない。ただ、コレクターは、物質がないとコレクターができないし、所有感とか、転売したりとか、利益を得たりとかがあるから、物質が必要なわけ。それはもはや工芸の問題に過ぎないから、工芸的に作ればよい。工芸的に作るなら、工芸の完成度が重要だという話になる。というふうに、分離されちゃっているということです。

富井:それをウッド・ペインティングに当てはめると、構造的な芸術の問題自体は、木のパネルを作ることでどうなるのでしょうか?

彦坂:構造というのは、あくまでリテラシーの問題なので、木の構造を構造と言っているわけではないです。リテラシーの二重構造だと言っているのです。そのことを勘違いする人は多いですけれど、分かりやすく言うと、構造というのは、構造主義というフランスの潮流があって、レヴィ・ストロースが「構造」と言っているのは、熱い社会と冷たい社会とあって、原始社会は冷たい社会なので、彦坂的に言えば絶対零度で原始社会は凍り付いていますから、その構造はスタティックなわけです。そのスタティックな構造しか、レヴィ・ストロースは扱えなかった。僕が言っているのは、様態が変わってくるということ。液体になると、スタティックな構造がなくなってくるのですね。それはさらに気体になって、さらにプラズマになるわけ。そうすると、構造というのは、純粋にリテラシーの構造で、物質的には構造がなくなってしまいます。散乱しているだけですから。蛍光灯は低温プラズマですけれど、全部は電離していなくて、部分的に電離しているだけですが、トータルには、中性ですから、オールオーバーになっている。そういう意味で、構造という意味が違う。ただ、リテラシーは増えてきているんです。彦坂が測定している尖端で言うと、リテラシーは12くらいになっていて、12なんだか16まであるんじゃないかと、制作はしているんだけど。ただ日本の現代の社会の中でプラズマ化している人がゼロじゃないですけれど、非常に少なくて、しかも、象徴界、想像界、現実界の、サントーム(注:sinthome 症候)のない人がすごく多い。だからリテラシーがない人がすごく多い。だから、日本人全体が、リテラシーが古いんだよね。文化的に、追いつかなくなっているんだと思います。僕がアート・スタディーズでやったときには1970年が頂点だと思っていて、その後は日本は行き先を失うというか、リテラシーの運動ができなくなってくる。その場合、恐ろしいことに、戦後の建築を見たときに、戦後の建築を展開してきたのは、ジャズにおいてマイルス・デイヴィスだったように、丹下健三です。マイルス・デイヴィスが軽音楽だったように、丹下さんが軽建築だった。それを見つけてしまうという恐ろしさ。見ているときに、おかしい!と思ってきたんだけれど、かすかに。例えば、この立教大学の図書館も見れば分かると思うけれど、モダン建築として、どこかおかしいわけですよね。おかしいという理由は、あの人は宗教建築に戻してしまっているということ。それは最初の論文に出てくるんです(注:丹下健三「MICHELANGELO頌 −Le Corbusier論への序説として−」『現代建築』1939年12月号)。つまり、コルビュジエは素晴らしいけれど、コルビュジエよりミケランジェロの建築の方が素晴らしい、と言っている。そこまで、戻している。だからこそ逆に、2度続けて1等賞を取れた(《大東亜建設記念営造計画》(1942年)および、《在盤谷日本文化会館計画》(1943年))。それは後ろ向き加減において成立したのであって、それは戦後もそうですけれど、彼はモダン建築家としては非常に問題を持っていて、ミケランジェロに興味を示すというのは、ミケランジェロは軽彫刻家だから、丹下さんが「軽」かと思って、言語判定で見ると、「軽」だった。だからこそ、コルビュジエをコピーする形で作品を展開するときは面白いのだけれど、ロンシャンの教会をまねした聖マリア教会(《東京カテドラル聖マリア大聖堂(1964年))とかは成立しているけれど、全部コピーしちゃうと、彼は目標を失うわけだ。だから、新東京都庁舎を含めてですけれど、横浜美術館も、何にも面白くない。「軽」なんです。

富井:もう1回ウッド・ペインティングの話に戻って、ドローイングについて聞かせてください。一番本質的なものが今豊田市美術館にあるとおっしゃっていましたよね。どの部分で本質なのか、ドローイングの説明をしていただいてもいいでしょうか。

彦坂:一番重要なのは、私は、美術史的に言うと、多摩美の2年生の段階で『美術手帖』のロバート・モリスのミニマリズムの極北が掲載された号(1969年3月号)にものすごい衝撃を受けたんです。ほとんど被爆しているんですね。それは、富井さんもよくご存じですけれど、僕は彼の回顧展を見に行っている、ニューヨークまで。本当に行っちゃったら、驚いていましたね。「来ると思わなかった」と。

富井:そうですね。

彦坂:僕は今でもですけれど、ロバート・モリスに対して非常に高い評価をしています。ドナルド・ジャッドをついに軽アートだという(ところに到った)。あれは本当におかしいと思っていた。だって、まず、ジャッドを最初に見たのは、1966年か67年の京橋にあったときの国立近代美術館で見たアメリカ美術展(注:ジャッドが東京国立近代美術館で初めて紹介されたのは、「現代世界美術展:東と西の対話」1969年6月〜8月)で、赤いミニマルの彫刻で、初期のものでした。

富井:じゃあ、木のやつですね。

彦坂:そう、塗ってある。で、見て、良くないと思った。それから始まって、たくさん見たし、ニューヨークにあるディア・センター、ソーホーにあったとき、常設展示をしていて、毎回見ていた。あれは毎回おかしいなと思っていた。もちろん、亡くなると、彫刻の作品って良く見えるから、良い作家だと思っていましたけれど、だけど、あるときに、ジャッドとエルズワース・ケリーが同時に見えたときに、ケリーがすごいなと思った。ケリーなんて、ほら、普通に見て、すごい作家だと思えない、難しい作家ですよね。だけど、1950年代の《ビッグ・ウォール》という作品を見たときに、それも、ニューヨーク近代美術館で見たのですけれど、あれはびっくりして。

富井:マルチ・パネルの作品ですよね。

彦坂:そうです。あれはびっくりした。1950年代にああいう作品を作っているということ、それが残っているということ、でかいということとに、驚いた。

富井:あれは大変な作品ですよね。

彦坂:しかも、1950年代でしょ。装飾パネルだといえばそれだけだけど、だけどケリーという作家の、まず一方でデザインじゃないかという仕事をしながら、同時に植物のドローイングをしている。あの異様さは他の作家にない。

富井:ドローイングはすごい。

彦坂:すごいですね。中里斉さん経由で、ケリーは日本にも紹介されて、僕は紹介される側にいたんです。ケリーをまねしている人もいたんです。だからケリーは知っていたんだけれど、だけど、植物の絵とか、僕は変な人だと思っていたわけよね。そうこうするうちに、写真を撮っていて、具象から抽象へというプロセスを採っている人なんだよね。それも、奇妙なので、今から見るとずいぶん誠実な作家だと思うんだけれど、そのうちにパリで具象画のメキシコ絵画みたいなにも描いているんですよね。あれも買っているんです。

富井:1950年代の。

彦坂:僕はあれも画集を買っているんです。

富井:そうですか。

彦坂:とにかく奇妙な作家で、ニューヨーク近代美術館で大きな回顧展をやって、僕は見ていないけれど、ケリーの評価がずいぶん高くて、その余熱があるときに常設展示で見て、びっくりしましたね。奇妙なカーブのついた変形パネル。あれはすごいもので、何が良いのか分からないけれど、すごいよね。びっくりした。ケリーってすごいって、よく分かった。今、僕の中で、ジャッドが軽アートになって、ケリーは軽じゃないんだよね。

富井:そうですか。

彦坂:普通に横パネルで、真ん中にちょっと角が丸くなった作品があるでしょ。あんなのが、普通に考えればデザインに過ぎないのに、あれは芸術が成立しているんだよね。

富井:なるほど。

彦坂:だからとにかく、分からないことをする人だよね。あれは構造を持っている。了解できないことばかりする。ぜんぜんスケールが違う。

富井:で、それがどういうかたちでウッド・ペインティングのドローイングにつながっていくんでしょうか。

彦坂:だから、結局何かというと、僕の場合で言うと、日本にいるわけですから、当然ミニマリズムの衝撃を受けるじゃないですか。するとミニマルというのは、理念的というか模型的に考えれば、正方形で、グレーによって、グレーもその真ん中のグレーで5:5に塗ればよい、という話になるけど、現実にそういう作品は存在しないんですよね。

富井:そうですね。

彦坂:似たものがないではないですけれど、優れた作品としてはないわけですね。重要なことは、ジャッドは、自分はミニマリズムじゃないと言っているんですね。これもミニマリズムの上で重要なことで。だから、僕がウッド・ペインティングを始めたときに、もう1回やり直そうと考えたのが、ミニマルというものを、受精していない卵子と考えるわけですね。受精していない卵子の中に精子が入って2分割されて、4分割されて、それをもう1回繰り返そうとした。全部やりなおそうとした。それで、あのドローイングになった。だから、分割から全てを生みだそうとした。

富井:分割していますね。そういえば、かなり、システマティックに分割を繰り返していますよね。ステップ・バイ・ステップで、非常に原初的な五七五的なところから……。

彦坂:初め、五七五なんだけどね、それがだんだん比例が変わっていくけれど。最初は五七五しか知らなくて、それでやって、実物の作品を見ると、プロポーションのヌルさを感じるんですよ。

富井:自分で。

彦坂:で、直接的な一番大きな教科書は、柳亮さんの『黄金分割 ピラミッドからル・コルビュジエまで』(美術出版社、1965年)と『続黄金分割 日本の比例 法隆寺から浮世絵まで』(美術出版社、1977年)は、むさぼるように読んで、それで、特に大きいのはモンドリアンの分割と、ピカソの《アヴィニョンの娘たち》の分割なんだけど、その影響をものすごい受けた。

富井:なるほどね。つながりますね。ピカソの《アヴィニヨンの娘たち》の、グシャグシャというかジグザグという感じ。

彦坂:あと、キュビスムが何で大きいのかというと、キュビスムには楕円が出てきますよね。ああいうことを導入せざるを得なくなる。四隅が、すごく困るんですよね。

富井:彦坂さんの作品でもそこが丸くなりますよね。

彦坂:あれは、黄金比を入れてくると、それにともなって渦巻きが出現するんです。黄金比で宇宙ができている。アンドロメダ大星雲とか、回っているじゃないですか。黄金比というのは、ああいう運動をする。そうすると、円弧が出てきてしまうのだけれど、それを画面の中に納めておけなくなって、ああいうふうに外形が切れちゃう。今比較的気軽にしゃべれるのは……、大変なんですよ。一定程度、そういうことの成果が出て、整理がついてくるじゃないですか。すると、今度は枷になるから、停滞要素となってくるんですよ。だけど、いろんな要素で追っかけているから、僕は1つの要素で追っかけているわけではないので。そうすると、富井さんが最初に見たときのウッド・ペインティングというのは、レリーフ状になっているにも拘わらず、僕は絵画が平面だというのを、どっかで引きずっているんですよね。

富井:そうですね。一番典型的なのは、平面に見えるように、ライティングを工夫して、写真を撮ったということをおっしゃっていたと思うんですけれど、私は逆に、もっと立体的に写真を撮ればよいのにと、そのときは思ったんですね。実は。

彦坂:そうそう。で、僕の方からすると、立体的ですという説明は、あんまり好ましくないわけですね。あと、ペインティングをしていくときもそうですけれど、飛び出しているところを引っ込めようとするんですね。

富井:ああ、なるほど。

彦坂:それはモダニズムの基本なんですけれどね。

富井:そうですね。抽象表現主義のハンス・ホフマンの「push and pull」という理論がありますよね。

彦坂:だけど、今で言うと、絵画は平面であるという理論は、僕自身、清算しちゃっていて。絵画を生物学の中に基礎づけていくと、実はボディそのものになっていくので、絵画は平面じゃないという論理になっていくんだけれども。

富井:なるほど。そうです、今日は彦坂さん、ずいぶんウッド・ペインティングを分かりやすく話してくださっているんですよ。私、最初に見たときに、何がなんだか分からなくて、1995年くらいの話ですけど。どうしようかと思って(笑)、途方に暮れていて、彦坂さんにいろいろ話を聞こうとしたんですけれど、なかなか分かるような言葉でなくて。今日は、本当によく分かると思って(笑)。「清算できている」とおっしゃったでしょ。

彦坂:大変なのは、ほら、さっきのリチャード・ロングみたいに、上手くいった作品を量産していこうということを単にやっているわけではないので、認識と重なっているから、特にウッド・ペインティングをだんだん厚くして絵画都市というタイトルのついた作品になってくると、簡単に言うと、描けなくなってくるわけ。ものすごく大変。

富井:なるほど。

彦坂:それで、実際の挫折があるというのは、そこの部分で、止まるんだよね。描けなくなるから。で、もう一遍全部を考え直すんですよ。だから、美術史をさかのぼっていかなければならない。人類史の中で、美術とは何かを考えていかざるをえなくなって、だから、それも美術論では無理なんですよ。

富井:うーん。

彦坂:1つは、道具というのは全て身体の外在化であると言った、ハイデガーが入ってきて。例えば、包丁というのは、人間の歯とか爪とかいう攻撃性を外部に出すと、石器になって、石器が鉄器になって、包丁になるわけじゃないですか。攻撃性が外在化されてくる歴史をたどっていて、それが弓矢になって、銃になって、そうすると、ダイナマイトになって、原爆になるんであって、原爆とは人間の身体であるという定義になってくるわけだよね。コンピューターはもちろん脳を外に出しているもので。そういうことであれば、絵画も人間の身体の外在化なわけです。人体に関しては比較的簡単で、ハーバート・リードが言うように、彫刻の1つの源流は人体彫刻だというのは、確かなんですね。同じことが絵画にも言えて、絵画とは、実はピカソなんかほとんど人物画であるということからも分かるように、実は肖像画が絵画だという定義があって。その場合、肖像画というのは平面なんだという定義は、建築を作り始めたときに可能になってくるわけで。原始美術の中では、そういうふうにはできないからね。アルタミラの洞窟でも、平面に描いているわけではないので。建築が出てきても、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂は絵画だと言うのかという問題で。実際、絵画を平面だと言い始めるのは、日本の歴史の中で言えば、1960年代後半になって、69年に毎日現代美術展の公募規定に「立体B」という名前が使われて、数学用語が初めて出てくるのはずいぶん遅いんですね。だからあれは数学美術というべきもので、もともと数学ではないという問題がある。で、数学というのが、実は脳内リアリティなので、脳の構造化そのものを対象化していく脳内言語が数学なんですね。平面といったとき、数学平面というのは厚みがないわけです。それは脳内リアリティだから可能なのであって、現実に、厚みのない平面なんて存在しないわけです。あれは脳の中に存在する。だから、なぜアインシュタインが宇宙を数式で書けるかというと、あれは宇宙を脳が捉えているから、脳の言語で書けば、数式になると言っているわけ。脳で見たものを書いているのであって、宇宙が数式でできているわけではない。だから数学もまた人間の身体性である。そうすると、絵画は、人間の身体性であるから、簡単に言えばシマウマみたいなもの。『美術の生物学』(デズモンド・モリス著、小野嘉明訳、法政大学出版局、1975年)という本が出てまして、美術の生物性の中に、構図の発生から、鑑賞の発生から、全て書いてありまして、そこから僕は大きな影響を受けるわけね。だから、美術というものを、全く人類史というか生物史の中に基礎づけないと、見えない部分があるのね。しょうがないよね。現代美術がとことん芸術を解体していったとき、そこまでの遡行性を持たないかぎり、何だか分かんなくなっていくでしょ(笑)。

富井:まあ現実によく分からないものが多いわけですよね。

彦坂:だから、しょうがないんだよね。僕で言えば、それを誠実に受け止めていった作家の1人だと思うわけ。自分自身を。周りの人が理解してくれないだけであって。攻撃したり不愉快に思うのは、分かりますよ。僕がいちいちいらだつから。僕が人を傷つけている部分があると思いますけれど、しかし、私の側からすると、泥棒にも三分の理というか(笑)、あってさ。みんな、一番重要な問題を避けるもん。堀浩哉と話をしても、そういう話はしたくないと言う。とにかく、みんな避けるよね。一緒にニューヨークに行っても、一緒にニューヨーク近代美術館を見ようと言っても、イヤだ、と言うわけでしょ(笑)。それで、帰って来てからさ、「常設展示でケリーの《ビッグ・ウォール》があってさ、あれ、すごかったね」と僕が言うと、「俺、前に常設展示見たから見なかった」って(笑)。みんな、美術の話をするのがイヤなんだ。富井さんとはずいぶん一緒に観てますよね。

富井:だって、アーティストの人と一緒に歩くと、アーティストは展覧会では見る人だと思うから、そうすると、こちらはいろいろ学習できるので、重宝なんですよ。私にとっては、タダで学習しているようなものですから。

彦坂:1人で見るより、複数で見る方が、いろんなものが見えるんですよね。

富井:一緒に観てると、自分が見えないものを、相手が見ていると分かると、それが自分にも見えてくるとか……。

彦坂:うん。

富井:コラボレーションというかコレクティブにものをするというのは、私は生産性が高いと思うから。そういうのが、私の行動原理なので。

彦坂:そう。だから、僕が東京国立博物館で国宝・重要文化財を眼で覚えたと言ったら、写真家の糸崎公朗さんが東博に行きたいと言って、この間、一緒に行ってきたわけ。そうしたら、「彦坂さん、東博って、国宝が少ないですね」って言うから(笑)、「そうそう、だから京都・奈良に行っていたんだ」って(笑)。国宝は関西に集中してあるんで。だけどあの人も、本物を見ると、ぜんぜん態度が変わる。僕が主張していることは実証できるんだけどね。特に初期のものを見るぶんには、そんなに難しくないんです。結局難しくなるのは、デュシャン以降です。それは、芸術じゃないんだよね。反芸術とか非芸術とか無芸術とか入ってくるから難しくなるのであって、それから様態が変わってくるから難しくなるのであって、少なくとも固体状態の芸術というのは、文明の段階の芸術は、難しくないんだよね。誰でも分かる。それが、近代になるだけで、液体になるだけで、いろいろ難しい問題が生じるんだよね。溶けてくると、古典的な理念の完成度とか消えていくからね。ムンクなんかも近代芸術家としては優れているけれど、ムンクの完成度なんか……。僕はムンクの大きい回顧展を4回見ていますけれど、世田谷美術館でやったときなんか、親子連れがいて、「この人おかしいわよ」って言ってた(笑)。おかしいですよね。妹さんが死んだら、取り憑かれて、霊能者みたいになっていくから。でも、芸術的にはムンクのああいうおかしさは重要ですよね。近代芸術家ってみんなおかしくなっていくじゃないですか。おかしい人が突出してきますよね。だから、そのへんから、芸術は難しくなるんだけれど、芸術だけが難しくなっているわけではないんですよね。人類の文明そのものが、進化のプロセスの中で、簡単に言えば、気が狂ってくるわけですよ。戦争の仕方もそうだけれど、機関銃が出てくると、様態が変わってくるんです。弾幕を張られると、怖くて突っ込んでいけなくなる。とにかく気が狂ってくる。で、気が狂った状態が、1つの進化だと思う。これはあんまり大きい声で言うとまずいんですけれど、コンゴにおけるジェノサイドとかね、今だとチベットにおいて80人を超える人たちが焼身自殺をしているわけです。そこに芸術の根拠があると思うわけ。そういう地獄状態こそ芸術の根拠だと。ラカン理論でもそうです。芸術が、気が狂うのをつなぎとめているわけです。サントームという考え方はそうです。ジェイムズ・ジョイスが、気が狂っていくなかで、気が狂わずに済んでいるのは、彼が芸術活動をしているから。それは、メガデスというロックバンドのデイヴ・ムステインもそうですけれど、お父さんに虐められた人で、8種類の麻薬を同時に飲んで、スラッシュメタルを作っていくけれど、そのときになぜ死なないのかというと、やっぱり彼が音楽をやっているからだよね。速弾きに賭けていって、音楽を作っていくわけだ。インテレクチュアル・スラッシュメタルと言って、かなり知的な作業を繰り返すわけ。それがつなぎとめるわけ。今の時代に芸術が必要なのは、社会が、人間文化が狂っているから、芸術がつなぎとめている。という主張をしている。彦坂はそう謳い上げているわけ(笑)。しょうがないよね。彦坂が気が狂っているというのは、2ちゃんねるでも、すごく言われていて、それはそれで別に当然の話だと思う。だって、人類が狂っているのに、どう見てもね。コンゴのジェノサイドなんかものすごいよね。今600万か700万か殺していて、しかも、そういうものを、僕のフェイスブックは1100人くらいお友達がいるけれど、ほとんど誰も書かないよね。僕1人でやっている。たかが1000人くらいの中でさ、美術系だから、しょうがないけれど、だけど、美術というのは、世界をどう見ていくか、そういうものだと僕は思います。コンテンポラリー・アートって、今の世界がどうなっているかということと、向き合っていくことにおいて初めて、芸術たりうる根拠があるのであって。目をそらすことに根拠があると思わない(笑)。実際には何もできないわけですよね。コンゴについても、チベットは本当に行こうかと思ったんですけれど、大変そうでね。とにかく土地が高いから高山病になる。ちょっと危ないし、金銭的な問題もあるし。西安に行こうと思うんですけれど、たいした旅行じゃないですけどね。やっぱり基本的には人類の気が狂ってくるプロセスと……。気が狂うというのは、あくまで分かりやすく言っているだけで、気が狂ってくる形でしか、進化が遂げられないんじゃないですかね。ラカン理論的に言えばそうですよ。ルネサンスを過ぎると、想像界・象徴界・現実界と三界がそろっていて、分裂していないですけれど、18世紀になると分裂を始める。

富井:時間的にはそろそろなんですけれど、わりとしゃべりたいことはしゃべっていただいたんじゃないかなと思います。もし何か言い残していることがあれば。

彦坂:はい、僕は、情報アートだということは、実はメディアを作り続けてきたということです。同人雑誌を作り続けてきて、メーリングリストも作った。メーリングリストを止めてしまった理由は、(あるところで)僕の悪口を言っているのを聞いて、イヤになったのね。結局、僕を攻撃するのはいいんだけれど、僕に関連して、メーリングリストに若い人が入っていると、若い人を攻撃するわけ。それはイヤになって、メーリングリストをやめて、今度はブログにして、がんばった。あれは自分1人でやっていて、続いたんだけれど、この間、重要な記事を全部落として(消して)しまったんですね。あれも本当に、落とさないブログも入れれば、1千万人くらい、延べですけど、見てます。落としただけでも延べで900万人超えていた。だから、今、フェイスブックにシフトしちゃってて、フェイスブックも友達が1100人くらいいて、もうピークを越えていますけれど、そういうところで画像を載っけて、一種の情報アートをやっています。そういうものは、お金にならないし、別に評価もできないわけだけれど、そういうものが、芸術とは何なのかという問いになるわけじゃないですか(笑)。美術館で展覧会するのが芸術になるという定義になるのかどうか。美術館で展示しているモノを芸術と定義すると、簡単に言うとアルタミラの洞窟壁画は芸術じゃないし、美術館で展示していない段階のゴッホは芸術じゃなかったという話になるんです。そうですよね。だから、美術館で展示したモノが芸術だという定義が全くダメなわけではないですけれど、つまり、近代以前の美術館は、教会だったり寺院だったりするから、そこに入っているモノが芸術なんだという言い方だって、ありうる。

富井:貴族の豪邸とかもですね。

彦坂:そう言うのも、まるっきり間違いではなくて、その時代時代の美術館がある、という定義はできるけれど、そうすると情報化社会における美術館とは何なのかというのが1つ、問題になりますよね。だったら、越後妻有トリエンナーレに限らないけど、美術館の外部に出てくる部分があります。1960年代末のアースワークくらいからですけれど。それから、ヤン・フートにしても、僕のほうが早いけれど、普通の住居でやるということが起きてきますよね。そういうことが、なぜ起きてくるかという説明が必要になりますよね。そうすると、美術館の外部に、明らかに、芸術が移動しはじめたわけでしょ。もう1つは、僕は、iMacの出現で、インダストリアル・デザインがついに芸術になっちゃったという評価をするんですね。今のiPhoneもそうですけど、あれは芸術になっています。彦坂の言語判定では、芸術になっている。つまり、芸術というものが、美術館の外部に出てきているという情報化社会になっている。そうすると、文字通りの情報アートだったら、Twitterとか、フェイスブックとか、ソーシャル・ネットワークで出すのも良いじゃないか。金銭に結びつこうがつくまいが、良いではないかという主張になってくる。評価されないと芸術ではないという定義をするかどうかという問題ですよね。

富井:(笑)。

彦坂:僕は、そうやるわけです。浮いているのは、浮いてますよ。相変わらず。だけど、僕の方からすると、ダイエットもそうですけれど、作品だと言ってやっているんです。14キロをとにかく落としていくわけですから、途中でリバウンドしても、正直に書きますから。正直にしないとダメだよね。全部崩れちゃう。それは、それを認めてくれと言っているわけではなくて、僕が考えると、それで良いという話になる。だって、おかしいもん。1000人規模でみんな何かをやっていたって、大量のジェノサイドが行われていることに対して、一言も触れないというのは、おかしいでしょ? 1910年に日韓が併合したとき、同時に白樺派が結成されていました。白樺派はヒューマニズムだと言うけれど、日韓併合したそのときに、朝鮮でバンザイとか戦いをやるじゃないですか、そういうのは全部見殺しだもんね。ひとかけらも触れないよね。そういうのをインテレクチュアルというのかって。それで10年経つと今度は李朝の美を発見したとか言ってさ、民藝が入っていく。それで、日本が朝鮮の骨董品を愛でるようになる。そのことを即いけないと言っているわけじゃないけれど、抵抗する人たちに対して、一切見て見ぬふりをするのが、知的かと。知識人のやることじゃない。白樺派は知識人じゃない。違うかな?

富井:ふふ。

彦坂:だって、1人や2人、そういう人がいないと、しょうがないよね。民族的にしょうがないよね。太平洋戦争中だって、靉光に限らず、松本竣介とか、井上長三郎とか、戦中の仕事は良いと思うけれど。あの泥船(井上長三郎《漂流》1943年)は加筆しているから、もったいないと思うけれど、本物を見ると、すごく良い作品ですよね。とにかく怒るわけだよね。彼の作品を展示することに対して。たかが絵画をうるさく言う。どれほどの影響があるんだって。そういうものを描いていく作家がいるから面白いんであって。クールベだって、自然主義リアリズムだっていうけど、実際には、パリ・コミューンに連座して客死しちゃうんだ。そういうトンガリって、あの人の絵にたくさんありますよ。それが面白い。芸術を成立させるものっていうのが……。それで言うと、ここ(質問票)にあった、「美術を含めて既存の制度を批判するための戦略を生み出した作品」ということになるけれど。ただ、僕がやっていることをそういうふうに見ることはできますけれど、僕がそれを芸術だと思っているわけではない。もっと根源的に、最初の石器を作るような行為。最初の根源にあるものは、破壊を含んでいる。見苦しいとか、聞きづらいとか、読みづらいとか、そういう苦痛を含んでいる。そこに、進化の根源がある。人間だけに限らず、生物が持っている、亀裂を生んでくる何かが……。最初の両生類が陸に上がってくるような、越境性と、次元を変えていく作業。同じディメンションにいない。そういうものを出現させるものだと思っているので、単なる政治というふうには思わない。政治が面白いのは、実は一寸先は闇という、非常に飛躍性がある。ネルソン・マンデラが、まさか南アフリカの大統領になるとは思わなかったし、金大中もそう。あそこまで、政治的力を失った人が大統領になるとは思わなかった。そういうのが政治ですよね。現実というのをそういうふうに思っているわけじゃないですか。安定したものじゃないし、予想可能なものじゃない。そういう現実を見ていく作業が、僕は芸術だと思う。だから、そのことと、さっきから言っている軽アートとかライト・アートというのは、全く逆で、ライト・アートというのは、安定していて、神経に障らなくて、社会人にとってはまさにこれが芸術だと深く思われていて、それを本当に凝視して、満喫している人たちが存在する。その二重性ですよね。僕はやっぱり、その二重性があることが面白いと思う。1つで説明できないということ。だから、別に僕はライト・アートを作らないとは言っていないですよ。一言も言っていない。ライト・アートは作っていいと思っているし。じゃないと、社会的には成立しないと思っている。もっと積極的にライト・アートを作りたい。なかなかやらないですけれど(笑)。

足立:社会性に関して、現在の彦坂さんの活動で、最近終わられたアート・スタディーズも含めて、さきほど、自分はずっと同人誌を作り続けていたというようなことをおっしゃっていたではないですか。そういう同人誌的な発想というのが、美術と社会を結びつける回路になるのでしょうか。

彦坂:この間も、文芸同人誌に、自分が作ったのではなくて学生がやっているものに、僕は小説を載っけたんです。400字で60枚くらい書いたかな。それはエックハルト(についての小説)で、まだ手を入れていて、もう一段階上の小説にしようとしているんですけど。それは合理性を欠いているの。この忙しいのになぜ小説を書いているのか。小説をおまえはかけるのかってときに、高校の文芸部でも書けなかったし、大学の文芸部でも書けなくて、僕は小説を書けないって答えは出てて……。まあ、それなのにやるんだ。諦めが悪いというか。ところが今度は書けた。自分で書けた。初めて、日本語になってきた。ようやく日本語が書けるようになった。それは非合理でね。根本にそういう非合理性があるので……。その、どう考えても、そんなことをしている場合じゃないんだよね。同人誌というのも、フェイスブックでも何でもそうですけれど、そんなにやって何になるんだと言って、周りからも、「彦坂さんの発信量が多すぎて読めない」って言われて、でも、そう言われるまで、自分がそんなに多く発信しているとは思わないんですよね(笑)。ぱっと見て、ぱっとやらないとできないから、チベット問題を何回もやっているのも……、チベット問題で80人を殺したというのも、すごいよね。それだけ死ぬということ。何かをせざるを得ない。何もできないけれど。あるのは、何もできないという気持ちですよ。実際には。でも、見るということは、テオリアで、傍観ですよ。傍観するしかない。傍観者でありつづけようとする。それが、そうしかできないわけだから、やるわけ。だから、ぱっとやる。それも、写真3枚くっつけてさ。結構すごいよね。焼身自殺をしている人を、見世物にする気はないから、燃えているところを加工して、抑制するんだ。でも抑制すると、もっとすごいことになっちゃって。生きているときの顔写真は、本当にきれいに、彼が生き続けているようにして、それを3枚組にして……。そんな手間をかけて、何をしているんだろうと思うんだけど、必死でやるんだ。とにかくそんなもの、お金になるわけじゃないから、スピードでやらなきゃいけない。そういうのは、見たい人が沢山いるわけじゃない……。そういう情報アートというのを、建前的に言っているわけじゃなくて、本気でやっている。それが美術家として能率が良いかというと猛烈に悪いわけで、何かしなきゃいけないと思うけれど……。最終的には、商品とか形に落とし込まなきゃいけないでしょ。一応、理性的には、そう思います。だけど、芸術の根本というのは、最近特にそうなんですけれど、社会性ではないんではないかと(笑)。と言ったらまずいと思うんだけれど、でも、そう書くと、やっぱり反応する人はいますよ。まあ分かんないけどね。そういうふうにしたくない、という気持ちは僕にだってありますけれど。だって、優れた作品というのは、さっきの井上長三郎の作品も優れていますけれど、でも、あれを分かる日本人って少ないですよね。麻生三郎でも、難しいんだもんねえ。どうすんだと思うけれど、そういうもんじゃないかとも思う。多くの人にとっては、分かりたくないんでしょ?

富井:分かりたくないというのは、私にはちょっと戸惑いのある表現ですけれど。分からないというのか、分からないところで諦めてしまうのが、分かりたくない、ということになるのかもしれませんけど。

彦坂:でも基本的に、多くの人が生活しているときに、認識を停止するでしょ? 知りたくない、事実を見たくない、思考はしたくない、っていうことを選択しているじゃないですか。そう思わない? 例えばアメリカのスリーマイル事故が起きて、次にソビエトで事故が起きて、そうしたら、2度あることは3度あるということだから、次にどこかで原発の事故が起こるだろうということは、当然予想できることですよね? それが日本で起きるわけでしょ? それは予想できる範囲なのに、そういうことを考えたくないわけでしょ? その考えたくないって、びっくりするのは、スリーマイルもチェルノブイリもみんな見てないもんね。ぜんぜん。311のとき、よく分かったけれど、何も勉強していないよね。あれだけ人類史的な出来事だというのに。少なくとも東大出ている連中がみんな見ていないもんね。すぐばれるよね、そういうことって。だいたい311の現場にいて、あの大地震を体験した人が、ラジオで、ニュースでやっているのに、世間話していて、そのまま死んでいくんでしょ。事実を認識したくないんだよね。考えたくもないし。だから、そういう人たちに「芸術を分かってください」と言うのは無理だよね。だって、東京都現代美術館に行っても、見ないでしょ? ジブリ展だけ見て帰ってくる。だって、気に入らないものは見ない。共和党の人たちと一緒です。見たくないものは見ない。考えたくもないことは考えない。停止しているでしょ。

富井:いや、それは最近の共和党がそうなだけで……。

彦坂:昔は違うんですか?

富井:昔はもうちょっとマシでしたよ。だって、黒人解放したリンカーンは共和党じゃないですか。だから、ずっと黒人は共和党に投票してきたんです。でも、1960年代にニクソンに、サザン・ストラテジー(南部戦略)って言って、南部の白人に媚びるような、というかそこにつけこむような政策に、共和党が転換したので、黒人がそっぽ向いて民主党に行った。

彦坂:それは1960年代ですね。そうすると、ネオコンが出てくるというのは、どこかつながっている?

富井:その先の、レーガンの問題。

彦坂:ネオコンって元々は民主党ですよね。アメリカがベトナム戦争に敗北すると、民主党の中から右傾化した部分が出てきて、それがネオコンになっていく。共和党に鞍替えするわけです。そういうふうに交差するんだよね。

富井:そう、交差する。だから社会性の問題も、一概に言えないと思うの。

彦坂:そうだね。

富井:それでは、長い時間ありがとうございました。