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石内都オーラル・ヒストリー 2011年1月13日

石内都氏自宅兼スタジオ(神奈川県横浜市)にて
インタヴュアー:小勝禮子、中嶋泉
書き起こし:加藤順子、中嶋
公開日:2012年5月6日
 

中嶋:今日も宜しくお願い致します。
 前回は《Mother’s 》を撮られた経緯を伺ったので、今日は作品のお話と、いくつか確認させていただきたいことがございますので、それをお伺いしたいと思います。
 まず、これは皆さん興味があると思うんですけれども、作品集や作品のシリーズのタイトルはどういう風につけていらっしゃいますか。

石内:タイトル?

中嶋:タイトルです。

石内:タイトルは……

中嶋:例えば、この《Chromosome XY》。

石内:これはですね、私は本当この《Chromosome XY》っていうのは、染色体ですよね、男の。これにしたかったんですけどすごく反対されて、『さわる』になっちゃったのね。(注:『さわるーChromosome XY』新潮社、1995年)

中嶋:「さわる」はもともとは入れるつもりはなかった。

石内:なんで『さわる』になったかというと、これが新潮社から出したやつですよね。新潮社の編集者がすごく有能な人で、なんかよくわからないんだけど、これはもうまさに触っているような写真だって。目で触る、手で触るっていうんで「僕は『さわる』にしたい」って言ってきたの。

中嶋:ニュアンスがだいぶ変わりますね、『さわる』にすると。

小勝:男の側から見てますよね。

石内:そうそう。私は別にそれはそれでいいかな、押し切られた感じがあったんだけど、これはやっぱり堅いかな、と。この『Chromosome XY』っていうのは。

中嶋:これは、わからないですよね。

小勝:まぁ、普通わからない(笑) 

石内:そうそう、わかりにくい。だからまぁ、両方つけるというような感じで、これはあまりこだわりなくというか私がつけたタイトルではありません、珍しく。

中嶋:そうなんですか。

小勝:だからその後の発表では「さわる」は取ってらっしゃらないですか、展示とかでは。《Chromosome XY》だけで。

石内:いや、《さわる》になってるんじゃない? 

中嶋:作品のシリーズとしては《Chromosome XY》なんですよね。書籍だけが『さわる』なんですよね。

石内:うん、そう、これが嫌で(書籍の)帯を取っちゃったんだ私、いつも。

中嶋:(この本は)帯は貼り付けられています(笑)。図書館の本なので。

石内:(帯の言葉を読んで)「女流写真家が……」、こうじゃないんだよ、私は(笑)

中嶋:「女流写真家が触るように撮った……」。

小勝:「堂々と脱いだ、愛しく撮った」すごいですよね。

石内:酷いでしょ、これ。で、私はすごく嫌で帯をいつも取ってあるんだけど。

中嶋:でもこれは作家が書いたとは誰も思いませんからね。

石内:そう。これは編集者の意向で『さわる』というタイトルになって。

中嶋:でもそう考えると、一番最初に「百花繚乱」(1976年)で男性を撮った時と、あまり視点は変わりませんね。

石内:いや実は、そうなんですよね。

中嶋:女性が男性を撮ったっていうセンセーションが……

石内:結局女流写真家、これ女流写真家って書いてあるよね。

中嶋:書いてありますね。

石内:女性とは言わないで、まだ女流だよね。というような目で見られてしまう。どう考えてもね。

中嶋:それは人体を撮るとそうだ、ということですかね。

石内:いや、人体だけではなくて、まだまだこの時代も女の写真家という意味では今よりは少ないよね、人数的に。

中嶋:95年だと、まだデジタルカメラも流行っていないですしね。

石内:そうそう。だからどうしてもある種のセンセーショナル的な売りみたいな感じで、これは編集されたかな、と。で、あとこのイニシャルもいれたくなかったんだけどさ、名前も入れたくなかったんだけど(注:この写真集ではモデルの名前のイニシャルが記載されている)。

小勝:顔写真は、どういう。

石内:顔写真はね……

小勝:入れても良いと。

石内:実は私は《1・9・4・7》で、顔写真も手と足を撮っているにもかかわらず、手と足だけの写真集になっちゃったでしょ。その時の経験があって、男の手と足だけを撮るつもりで撮り始めたわけですよ。この「Chromosome XY」というより男、男性という意味で。それが手と足だけだと、つまんないんだよ男って。なんか全然さ。
 で、そのうちどんどん皮膚に移ってきちゃったわけ。で、だんだんエスカレートして、じゃ脱いでもらおうということになった。手と足の《1・9・4・7》の男版を作る予定だったのが、いつのまにかね、進化というか発展して男のヌードと。

中嶋:男の人だとなんで手足はつまらないのでしょうか。

石内:やっぱり、女の人は手、使ってますよね。

小勝:あの、労働者の男性がいないんですかね。

石内:うん、まあ確かに労働者はいないけど、ただ一様ににあんまり面白くなかったの、手と足だけだと。女性より。

小勝:女の人は主婦でもものすごい手と足使ってますからね。

石内:そうなんだよ。日常的な肉体の使用頻度が違う、ということでもう男だけの手と足はもうつまらないからやめようということで、じゃあ脱いでもらおうっていうので男のヌードを取り上げた。
 だから私これは、私にないものね、体毛とかさ。こう、男の皮膚の感じとか、このおっぱいの毛とかさ。それこそ陰毛とか、ペニス。ペニスいっぱいとたんだよ、私。

中嶋:そうなんですか、これ撮るのは難しくはなかったですか。

石内:全然。すごい楽しかった。

中嶋:あ、そうですか。

石内:うん。これはね、すごく楽しい仕事で。

小勝:モデルになった人がするっと脱いでくれたんですか? 

石内:うーん、だって相手の同意がないとさ。そんな無理矢理に脱がすわけにいかないでしょ。

小勝:最初からヌードも撮らせてください、ということで。

石内:そう。だんだんね。初めはそうじゃなかったんだけれど。それで、傷跡に出会うわけよ。

中嶋:それが出会った傷跡ですか、最初の。

石内:2人目の人ですね、彼じゃなくて。一番初めにあった人は、この人なんだけど。

中嶋:本当だ。ここに傷が。裏表紙の人ですね。

石内:彼に一番初め出会って、なんだっけな、なんか別にその時はヌードを撮ろうって気はなかったんだけど、何となく流れで、「じゃ、脱いで」って言ったら「うん、いいよ」ってことで、撮ったら傷がいっぱいで、「どうしたの」みたいなかんじ。

中嶋:傷がいっぱいあったんですね。

石内:うん、たくさんあって、赤ちゃんの時の傷でね。それですごく色んな話しをしてくれて、傷ってものすごい物語があるんだなってその時に思ったの。でみんな、傷ってやっぱり語る一つのなにか、もとみたいなもの。傷は本当に過去のかたちであり、なんていうんだろうな、物語であり、その傷みであり歴史であり。色んな物が傷跡の中にあるな、っていうので始まったの。で、初め男ばっかり撮ってたんですよ、傷。

中嶋:そうか、最初は男性の傷をとって、その後に女性の傷になるんですね。

小勝:《SCARS》から《INNOCENSE》に。

石内:うん、ていうか、私この時は、傷っていうのの出会いと、男の身体というのは私と全然違うから、まじまじと。で、カメラがないと見れないじゃん。肉眼で見たって何の意味もないんだよ。見るっていうことにおいてはね。すごくこれはね楽しくて。「ああ、そうか。男ってこういう身体してるんだ」みたいな感じで、まじまじとしみじみと見たような気がする。

中嶋:その、これも後でおうかがいしようと思っていたんですが、「カメラを通さないと見られない」とか、「カメラを通して見ることができるものがある」ということを、どこかでもお話ししてらしたと思うんですけれども、それについてもうちょっと。

石内:結局さ、たんに肉眼で見るだけじゃなんのあれにもならないわけだよね。肉眼てすごくいい加減だから。ポイントっていうか、いつも揺れ動いてるわけですよ。一点をずっと正視できないから。
 でもカメラっていうのは正視、一瞬間を切り取るわけでしょ。だからその切り取るという意味においては、時間の凍結も含めて、何かそこで、何か時が一瞬、永遠に変わっていくみたいなね、瞬間が。そういう、機能っていうか効果が写真なのかな。

中嶋:それは物を撮る場合でも人を撮る場合でも、変わらずに……

石内:それは一緒。それはほとんど私にとっては一緒で、あの、肉眼というのはかなりいい加減なもんだけど、カメラというのはピントを合わせなくちゃいけないでしょ。だから結構大変なんですよ。たださっと押せばいいってことじゃないから。

中嶋:やはり、見るということにかなり意識的になるということなんでしょうか。

石内:見るっていうより、やはり距離を測るということ。相手との。相手との距離を測るということが、写真を撮るってことだから。
 だからその測り方がみんな違うわけですよ。「GLOBE」の特集もそうだけれども、測り方がみんな違って、距離感も意味が違うわけ。
(注:朝日新聞の別刷の「GLOBE」。2011年1月10日の特集が「写真は死んでいくのか」で数人の写真家のセルフ・ポートレイトが掲載されている)

小勝:距離がなければないほど良いと思うような人が結構多いし。

石内:そうそう。で、距離っていうのはやっぱり、距離がないと写真って写らないから。

中嶋:そうですよね。

石内:うん、ぜったい写らないからね(笑) 距離があるから写るってことで、私は距離しか撮れないなって。だからその距離をどういう風に測っていくかっていうのが、こっちの価値観。自分で測る価値観をちゃんと持ってないと、写真は写らない。

小勝:その距離というのは、いろんなシリーズにおいて常に同じですか。

石内:まあ私の場合は,ほとんどあんまり変わってないんじゃないかな。測り方っていうのはね。それがたぶん私の持っている、根本的な何かに関わってくるのか。それがなにかわかんないんだけどさ。

中嶋:例えば男性と女性でも変わらない。

石内:うん、変わらないですね、カメラがある以上は。相手を撮るという、写真を撮るという行為のなかでは、それこそその遺品、こういう物にしても人間でも、風景でもあんま変わんないかもしれない。

中嶋:じゃ、ちょっと話しの文脈がずれないようにもう一度、タイトルのことなんですけれど。《SCARS》はいいとして《INNOCENSE》、これは小勝さん前回聞いていただきましたっけ。

石内:書いてくれたよね、小勝さんは。

小勝:いえ、(お聞きするのを)忘れちゃいました。

石内:いやいや、この間の「INNOCENSE」展で。

小勝:ああ、あそこに書いたようなことでよろしかったんでしょうか。

中嶋:小勝さんが展覧会で、「INNOCENSE」展と付けられたのは、これは石内さんの作品から。(注:『イノセンス いのちに向き合うアート』、栃木県立美術館、2010年7月- 9月)

石内:私の作品を引き合いに出していただいたんです。

小勝:そうなんですよね、使わせていただいたんですけれども。ここに書いたように、女性の身体の傷っていうことに対する世間的なすごい偏見というか(ものがあり)、傷のないすべすべとした美しいヌードに対する写真というのは、そういうものを撮るんだっていう一般概念があると思いますけれど、それに対して、あえて傷のある女性身体っていうのを打ち出したということだと思うんですが。それに「INNOCENSE」というタイトルをつけた意味をちょっと、ご本人からおっしゃっていただけたら……

石内:はい。なんていうのかね、要するに私はその、「きずもの」っていうことばがすっごく恐ろしいことばだと思っていて。それは完全に女性蔑視っていうか、ね、傷物の、やっぱり女に使うことばですよね。いったい「きずもの」って何だろうと思うと、一番端的に表すのは要するに処女じゃないってことですよね。それが世間知の傷物ということになるが、いったいそれはなんだろうという風に考えたときに、ただ傷ってのは女の傷がないってことは、処女?処女性? みたいなものに対してすごく価値を、たぶん今でもあるんだと思うんですよね。それって何だろうと思うと、いわゆる処女とか非処女というのはわからないよね、ぱっと見て。どの人が処女でってね。でも傷跡っていうのは一目瞭然としてわかっちゃうじゃない。だから写真は表面しか撮れないから。そういう意味では、そのなんていうかな、非処女の傷物みたいなことものをもひっくるめて、私は表面的な傷跡を撮ることによって、なんだろう、その逆の意味でね、「INNOCENCE」というのは、これはもう逆説的な意味合いにおいてつけたんですけれども。でも逆に「INNOCENCE」ってきっと「きずもの」のことをいうんじゃないかな、みたいな言い方も含めてるんですよね。
 だからイノセンスそのものっていうのは、別になんてことないわけですよ、はっきり言って。「無垢」っていったい何だろうというと、それは始まりにあるわけですよ、無垢っていうのは。そこから始まるってことだけで。それが到達点でも何でもなくて、言ってみれば通過点みたいなものだなっていうことも含めて「INNOCENCE」という。

小勝:過剰に無垢とか純潔に価値を与えてしまうことが、ばかばかしいみたいな。

石内:いや、だから、女の価値の基準というか、価値の付け方がすごく単純明快でしょう、いってみれば。それだから「INNOCENCE」ということばの意味も入っているんだと思うんですよ。
 だから逆に私の「INNOCENCE」というのは、すっごく傷だらけの女性の写真ですから、半端じゃない傷の人ばかりですよね。それをあえて「INNOCENCE」という逆説的なタイトルをつけることによって、もっと傷ってことが浮かび上がってくる。という意味も含めてつけたんです。

中嶋:そうですね。「INNOCENCE」とあって、それで傷が出てくる写真があると、いろいろと考えさせられますし。

小勝:あの写真集、写真作品はおそらく、女性と男性で受取方がものすごく違うと思うんですけれど。男性から特に反発というか、見たくないというようなそういう感じ(があるのではないかと)…… 

石内:それはだって、こっち(「Chromosome XY」シリーズ)のほうが男性には評判悪い。男のヌードの歴史があんまりない訳ね。男の裸体というのはマッチョな裸体だったり、すごくある種特殊な男のヌードの写真はあるけれども、一般的なそこら辺にいるおじさんのヌードってあんまり見たことないんだよ。

中嶋:そうですね、見る機会はないですね。

石内:だから男のヌードの歴史がないっていうのは、まさにその通りで。だから受けとめることができない、この写真は。だからすごく評価悪いと思う。

中嶋:そうなんですか。

石内:うん。女の人は良いんだけど男にすごく評判悪い。見たくないっていうの。自分を見てるみたいで。

小勝:おそらくそうなんでしょうね。

中嶋:自分は見られないって事ですかね。

石内:そうそう。そういうのね、すごく面白いなって。これは男が見たくない、こっちのほうが見たくないっていう。

小勝:ただ、女性のヌードでも、やっぱりさっき言った美しい理想的な女性のヌードは、若いすべすべしたぴちぴちした肉体は見たいけれども、醜い傷跡とかあるいは年を取っていたり、しわしわになっていたり、そういうのは見たくないっていうのはあるんじゃないですか、男性のほうに。

石内:もちろんありますよ。だから私はそれは、横須賀美術館の話はしたっけ。

小勝:ええ。

石内:ね、そういう風にして、非常に反動的なね、鑑賞者が勝手に意味をつけて、要するに見せるなみたいなある種の恫喝みたいな感じで言ってくるのは、当たり前のことかな、世間って。きっと世間って見たくないものがいっぱいあって、それが提出されるとすごく反発したり、何かこう嫌な感じになったり、だからなんかざわざわするんだと思う、気持ちが。なんか変だな、と。

小勝:自分が見慣れたもの以外をみせられるのが嫌だと。

石内:自分で考えようとしないわけですよ。「何だろうこの変なざわざわ感は」とか。私はそれを考えて欲しいと思うわけ。逆に。傷跡の写真をみて、一体なんだろう、なんでこんな写真があるんだろうっていうね。もう考えて欲しいために私は出すのよ。反発でも何でもいいけど、何となくざわざわしたり見たくないなっていう、これは一体自分にとって何かなっていうことをある種提出しているわけですよね。

小勝:それがまさにアートの役割というか、芸術の意味ですよね…… 

中嶋:でも、それはやっぱり美術館がその機能を果たしていないということになりますかね。

石内:そういうことです。

小勝:そうなんです。それと、一般の人が美術館に期待する役割っていうのが違う。美しいものを見せて欲しい、と。

石内:だから、美しいものってなあに? と。絵に描いたほど美しいものや、若いなにもないような肌の女のヌードって一体何だろうっていうことをさ。それはもう完全に、日本における美術に対する教育と、押しつけられた価値観。自分でそれを疑うことを知らない。美っていうか、その美しさはなんだろうっていうことを自分できちっと考える教育がなされていないから。

中嶋:一方で、その傷跡ではないにせよ、例えばある種の障害を負っていたり、災害にあったりとか、そういう人々を撮って見せるということに対する別の抵抗っていうものがありますよね。たとえば、のぞき見趣味的になってしまうとか。そういう風にならないようにする工夫のようなことは、考えていらっしゃいますか。

石内:うんうん、全然。だって、それは工夫とかなんとかって考える必要は、私は全然ないわけですよ。

小勝:ソンタグ(Susan Sontag)が、『他者の苦痛へのまなざし』(みすず書房、2003年)という本で、いわゆる一般の人間が災害とか戦争とかそういう悲惨な目にあって肉体が傷つけられ、死体になっていたり、死んでいなくてもものすごい悲惨なことになっているところのものは、見たくないのと同時に見たいというか、すごくこうエロチックな関心をそそられてしまう、そういうような事を指摘しているんですけれども。ただ、それと石内さんが傷跡で表現されようとしていることは全く違うことですよね。やっぱり写真家の姿勢っていうのが、作品に当然出てくる……

石内:ていうか、私は美しいと思って撮ってるから。

小勝:そこですよね。

石内:私本当に感動して撮ってるから。やっぱりそれは、美しさって一人一人違うと思うんですよ。何を美しいと思うかってね。私のずっと、今まで撮ってきたものってね、たぶん一般的には認めることのできない、ある種、負の美しさなんだと思うんですよ。ネガティブな感じの。でも私はそこにすごく惹かれていってしまう、何かがあるわけですよ。だって、そういう気持ちがないと撮れないもの。

小勝:つまり、こちらでソンタグが言っているような例っていうのは、おそらく悲惨さを告発するみたいな、正義感で撮られている写真というのが結構記録として多いと思うんですけれども。

石内:そうですね。有りますよね、そういうの。

小勝:それとは全く違うということですか。

石内:うん、やはりね、写真って何でも撮れないから、私は本当にある種狭い世界しか撮ってないと思ってるのね。自分がなんか引きつけられるものって、すごくやっぱり狭いとこなんだと思うのよ。それをずっと、自分の、いってみれば。趣味みたいなもんをね、嗜好みたいなもんをね、ずっとそれを私はこう確かめながら、いつも「間違ってないよね?」みたいな感じも含めて、自分で再認識しながら撮っているようなもんなんですよ。
 だから例えば「横須賀」から出発して、「ひろしま」へずっと繋がりを見ていくと、それは後で気がつくことだけど、あながち間違ってなかったなというのは、なんかこう誰かに導かれて私は歩んできている気がする。自分で選んでるんだけど、それでもなおかつ自分だけの力ではどうにもできない何かがある。
 常にやはり自分の作品が、過去と今と未来みたいな中でどういう位置づけにあるかということは、やはり私自身はすごくきちっと責任持たないといけないから、それは考えてますよね。だから色んなものを撮りたくないのよ、私。いいのもう、一個だけ撮ってれば(笑)

小勝:それでその、《ひろしま》にいっちゃっていいですかね、「他者の痛み」ということで。

中嶋:そうですね、そこから《ひろしま》で。《ひろしま》を撮られるきっかけというのは、『ひろしま』(2008年、集英社)の写真集に書いてあったところによると、東京都美術館での展覧会で。《Mother's》の東京都美術館での展覧会(2006年)で、山本(純司)さんに声を掛けられて、撮ってみませんかということを言われたということですね。

小勝:編集者の方・・・

石内:ああ、山本(純司)さんね。集英社の山本さん。はいそうです、初めね。

中嶋:それまでは遺品を撮るようなことを考えたこともない。

石内:いやいや、「ひろしま」なんて私の人生の中で本当になかったの。広島に、だって行ったことがないわけだし。一度でも行こうっていう気にもなんなかったです。それは何故かっていうと、やっぱり中途半端な形で広島に足を踏み入れることはできないようなね、プレッシャーがすごくあった。

中嶋:石内さんのずっと写真のお仕事を見ていると、最初から何かを撮ろうと思っていくということはあまりないように思えます。その物なり人と会っている過程で撮るものが決まっていくというか。

石内:あのね、撮るものはもうきっと一生、撮るものは決まっていると思ってるの。ただそれと出会ったり、見つけることができるかできないかだけなんじゃないかな。
 それを色んな人がヒントを与えてくれたり、声を掛けてくれたりっていうことで。結局「ひろしま」もその集英社の人が声を掛けてくれたけど、初めは仕事で始まったけど、今は仕事じゃないからね、もう。完全に私の、私の仕事。要するに、頼まれ仕事ではなくなっちゃってるわけ。もう完全に集英社とは離れて、個人でやってますから。

中嶋:この写真集以降も(撮り)続けていらっしゃるんですね。

小勝:それがね、目黒の「石内展」のカタログで土屋誠一さんが書いていらっしゃる文章(土屋誠一「『横須賀』、『私』、『女』、そして『石内都』−石内都論」、「ひろしま/ヨコスカ 石内都展」カタログ、目黒区立美術館、2008年)に、最後の方で『ひろしま』については今までと全く別ではないかみたいに、つまり今まで石内さんはご自分の人生に引きつけて、ご自分の興味のあるものを撮っていらした。ところが『ひろしま』というのは完全なる他者性としてそこにあって、もうそれは他者の傷みの表象という問題に関わるのであって、それについて安易に語ることを慎んで、注視する、みたいな感じで書いていらっしゃるんですけれども。たぶんこれが違うんではないだろうかと思ったんですね、私ちょっとこの文章を読んで違和感があったんですが。つまり『ひろしま』(の服)を完全に他者だという風に、他者の傷みだという風に思っていたら、おそらく石内さんは撮らないんじゃないかな、って。

石内:あのね、痛みはやっぱり他者ですよ。広島の痛みは私には理解できない。

小勝:それはそうですけれども。

中嶋:痛み自体は、ということですかね。

石内:そうです。だからそういうところじゃないんだよ。痛みは本当にその個人しかわからないことであって、私例えば、被爆した方に初めて会ったんですよね。半日くらいお話しを聞いたんだけど、やっぱり聞いてるだけね。答えることは全くできない。じーっとただ我慢して聞くだけね、ということしかできない。その痛み、わからないもの。わかったなんて言えないな、ということと、そういう立場でものごとを考えちゃいけないと思ったの、私。

中嶋:言い換えると、わかるかも知れないという可能性を持って撮っているわけじゃない、ということですね。

石内:そう。それは全くないね。理解しようと思って撮ってるわけじゃないから。

中嶋:それはその、横須賀を撮っている時から通底することですか。「本当の横須賀」を撮りたいというわけではなく、ドキュメンタリーではないという。

石内:だからね、よそ者なの。私、いつも。横須賀もよそ者なんです、よそから来て。広島もよそ者なの。よそ者っていうのは初めから距離を持っている訳ですよ。だから見えるの。距離をちゃんと、とらえる事ができるから見えて写真が撮れるの。と、私は最近、「ひろしま」もそういう風に思い始めて。だから、他人の痛みなんて撮れるわけがないじゃない。自分の痛みだってよく撮れないのにさ(笑)

小勝:それはもちろん、そうです。それはそうですけれども、その一方でこの遺品の特に女の子の洋服、可愛らしいドレスが、自分が着ていたかも知れないっておっしゃってますよね。

石内:それは思ったの。それはね、現実的に目の前にした時に、このスカートにしても、「なんか私が着ていてもおかしくないな」と本当に思ったんですよ。それはリアリティだよね、今目の前にある、という。別に60何年前の被爆したときのことはどうでも良いの。どうでも良いっていうのか。だから私は全てこれ、データがありますから、一個一個ね。ないのもあるけれども、誰がどこでどうしてこうしてっていう全部ストーリーがあるんですよね、この遺品には。

小勝:それを寄贈した人々のね。

石内:私はそれ(寄贈した人々のストーリー)に全く興味がなかったの。それは過去の話であって、私の目の前にあるものは60何年経った、時間とともに今目の前にあるものだから。一番初めの物語には、全く私は興味がない。そうしたらそれで、すごくいろんな問題が起きたんですよ。「そんなことでいいのか」みたいな。

小勝:それは誰からですか。

石内:日曜美術館のカメラマンだね。彼とは、すごく真面目な人だったから、一年半くらい付き合ったから。見たでしょ、日曜美術館。すごくいいやつで、彼が悩んじゃって「そんなことで広島を撮って良いんだろうか」って。だからいわゆるセオリーがあるわけですね。こういうものを撮るには。特にNHKみたいなのは、きちっとデータを全部読んで色んな角度で調べて撮ってるわけだよ。私「全くそういうこと関係ないよ」っていったらびっくりしちゃって。彼、すごく悩んだの。「そんなことでいいんだろうか」って。でもいいんです、それで。私は、過去を撮ってるんじゃなく今目の前にあるものを撮るという意味において、そのデータはいりません、と。一対一で私はものと出会っている、それを撮ってるんだ、と。
(注:新日曜美術館「写真家・石内都“ひろしま”との対話」、2008年7月27日放映)

小勝:そうする中でおそらく一つ一つのドレスが、それを着ていた人が浮かび上がって立ち上がってくるというか、それを見る者が感じられるというのはそこにあると思うんですよね。

石内:うん、でもそれは見る方の側で、私はあんまり関係ないんですよ。そういう風にして撮ってるわけじゃないから。ただし、このスカートやワンピースは本当に綺麗だなと思ったし、なにか布の純正さが本当に愛おしいなって、本当に思ったんですよ。

小勝:あとこの並べ方(写真に撮る際の服のディスプレイ)。これが素晴らしいですね。

石内:有り難うございます。これは私がやったんですけれども。

中嶋:これは撮り方をどのように思いついたか、というのを聞きたいです。

石内:思いついたのは、《Mother's》から始まったこの話ですよね。《Mother's》の写真を見に来た人が持ってきた話なんで、とりあえずは《Mother's》と同じ状態で撮ろうと思ったの。《Mother's》はこの家で撮ったから。

中嶋:《Mother's》はそこで、光を……(注:《Mother’s》の作品の多くは、石内氏ご自宅のリビングルームの窓に被写体である衣服を貼付けて、外光が布を透過する様子を撮影している)

石内:両面テープをひっつけて、後ろにトレーシングペーパーをつけて、自然のライトボックスで撮ったわけですよ。で、まさか広島の遺品を両面テープでガラスにつけることできないから、じゃすいませんけど、このワンピースが全部乗っかるような大きさのライトボックスを作ってくれと私が注文したんです。そしたら、集英社の方で作りますよということになって。だからライトボックスとともに、太陽と一緒に広島に行ったの。

中嶋:人工の太陽っていう風におっしゃってましたね。

石内:そうです、太陽を持ってね、行ったんですよ、広島に。

小勝:あの、こういう透けない素材もこれもライトボックスに乗せていらっしゃるんですか。

石内:うん、基本的に透けないのはライトボックスには乗っけてないです。

小勝:乗っけてないですよね。

石内:乗っけててもあまり関係ないから。割と自然光で撮ってます。

中嶋:これはすごくテクスチャーがよくわかるようなものですね。

石内:うん、というかね、やっぱり私、母の遺品を取った時に、あれは下着だから特に透けて見えるんですけれども、なんかね、母の肉体が透けてみえているみたいって思ったの。特に下着っていうのは第二の皮膚って言われているものだから、皮膚がこう透けて向こう側の母の肉体があるってことをやっぱり私は意識したかったんで、こう逆光で撮ろうということから始まったんだけれど。

中嶋:この時も、皮膚に直接触れていたものっていうのを選んでいらっしゃるんですよね。

石内:うん、皮膚というか、まぁ体ね。皮膚というか体に触れたもの。だから時計もそうだよね、靴下も手袋もそうだよ。

中嶋:その撮り方というのは、これらのものと出会った時に考えたというわけでない……

石内:いいえ、もう始めから。始めからもうそれはライトボックスで、それでこういう小さいものは自然光でね、外の光で。だからこれは、なんだっけ、あそこで撮ったんだよ、資料館の3階の一番奥の廊下の隅っこで撮ってるんですけどね。

小勝:これもライトボックスなんですか。

石内:はい、これもライトボックスです。これはジョーゼットの。

小勝:この写真集で、当然順番、レイアウトを色々と考えていらっしゃると思うんですが、この最初の服と最後の服が、私はもう一番好きというか。

石内:それはもう初めに決めたの。一番初めに撮ったのが実はこの、私はコム・デ・ギャルソンと呼んでいるんですけれども……

小勝:かっこいいですよね、これ。

石内:コム・デ・ギャルソンって呼んでるこれを一番初めに撮ったんですね。一番最後に撮ったのがこれなんですよ。

小勝:ああ、そうですか。逆なんだ。

石内:うん、この二つを始めと終わりに使うって初めに決めてたんで。でやっぱりこれは一番キツイから、一番最後に持っていこうということと、やっぱりこれはすっごくね。なんかちょっと最後ということで、とっても私にとって印象に、これで終わりなんだなみたいな気持ちがあったワンピースだったという事もあって、これを初めにしようってことで始まったんですけど。で、決めて、全部並びも決めて、さあ文章を書かなくちゃいけない、といった時に始めて私はデータを読んだの、全ての。
 やっぱり文章を書くにはやっぱりもうちょっと知ってた方がいいかなと思ってデータを見たら、初めのワンピースと最後のワンピースは寄贈者がいなかったの。

小勝:そうなんですよね。

石内:いや、びっくり。なんかこう…… 鳥肌が立っちゃったの、私。ええ、なんでー。

小勝:いや、それ、見ていてすごく感じます。この二つは特別。

石内:ああ、そう。なんで? って。だから、私のものなの。
 本当にびっくりして、なんで? って資料館にたずねたらね、最初期はデータを取らなかった時なんだって。取ってもきっとどっかにいっちゃったりとかね。この二つだけ寄贈者がいないの。実は発表する時に全部寄贈者に許可をもらうんですよ。一応寄贈者の名前をどっかにいれなくちゃいけないのね。

中嶋:これは寄贈者の名前なんですね。被爆資料リストというふうにありますけれども。

石内:うんうん。だから展示するにしても、どこかでまとめて寄贈者の名前はどこかに展示しなくちゃいけないの。そういう決まりがあって。でもこの二つは寄贈者がいないからいいの、勝手に。勝手にというとまた語弊があるけれども。そうか、と思って。これは私が着ていてもおかしくない。だから、すごくちょっと誤解されるけど、私物化できるぞ、と。広島を私物化できるなんて大変なことなんだけど、でも私はあえてそれはしなきゃいけないと思った。ということは、全責任を負うぞって事だからね、私物化するってことは。だからそういう覚悟が、実はある。この「ひろしま」には。

中嶋:なるほど。いろいろ話題になっただろうなという風に、この作品を最初に見た時に思ったんですけどね。

石内:いや、すごい話題になりましたね。だって、8千部売り切れて、今2刷りだから。

中嶋:ああ、そうなんですか。やっぱり綺麗だってことが問題にされることも多かったんですか。

石内:もちろんもちろん。ある人が「こんなに綺麗で良いのか」とかってね、手紙くれたりしてるし。広島をあんな風に空に舞い挙げて良いのか、と。

小勝:それは手紙が来たんですか。私もよそで書いている人の文章を読みましたけれども。私が読んだのは、小沢節子さんていう方の。

石内:ああ、女性。

小勝:丸木夫妻の《原爆の図》の研究をされている方。丸木俊さんも、原爆の図をシリーズでいっぱい描いていらっしゃいますけれども、その中(絵本『ひろしまのピカ』)で色とりどりののチマ・チョゴリが空に飛んで故郷に帰っていくみたいな、朝鮮人被爆者の表象としてチマ・チョゴリが空に飛ぶのを描いたんだけれど、やっぱりそんなに美しくしちゃっていいのかっていう違和感をね、(小沢さんが)感じた、みたいな。それをちょっと(石内さんの《ひろしま》の目黒区美の展示で)思い出した、という(注:小沢節子「『美しさ』のゆらぎのなかで 原爆の表象をめぐる四つの断片」、『美術運動研究会ニュース』101号、2009年)。

石内:私は、いいんです、と。当たり前だ、と。私はそういうのを思って感じたことをちゃんと発表するわけで、他の人が美しいと思ってもそれは別の話なのね。私はその時に、この広島の遺品に出会った、それをその場もストレートに写真に置き換えただけだから。私が感じたことを写真に定着するだけだから。

中嶋:それまでの広島のイメージを覆すような写真では本当にあると思います。

石内:そうですね。

中嶋:とりわけこの資料、ここにも被爆者資料という風に書いてありますけれども、もはや資料ではないという。

石内:そうです。資料的な意味合いはあんまりあるけどない。

小勝:もっと、個人的な個別的な。

石内:というかね、これは一つ発見なんですよ、実は。何を発見をしたかというのは、広島の人たちが被爆という意味において貶められていたわけですよ。お洒落していたなんて言っちゃいけないみたいな。

小勝:あぁ、抑圧を(受けた)。

石内:ね、やっぱり原爆という大変な大事件を受けたら、それは被害者としてそんな普通の生活をしていちゃいけないんじゃないか、という。ところがどっこい、普通で当たり前で、普通に生活にしているわけですよ。広島だって長崎だって、東京だってパリだってニューヨークだってね。8月の6日はね。それなのにもかかわらず、広島・長崎っていうのは、そこら辺がすごくなんかこう塗り込められちゃった。変だよね。私はこれはね、普通の人が普通に生きて、普通にお洒落をして、こういうものを着てたっていうことを、私これは発見したんだと思ってるよ。

中嶋:そうですね。

石内:だから、言っちゃいけなかったんですよ、こういう風に。でも、当たり前じゃんって。原爆が落ちる前はみんな一緒だよ、みたいなかんじですよ。

小勝:一番びっくりするのは、この色彩とか素材とかの美しいままで残っていたということですよね。

石内:残ってたから。それはびっくりですよ。それも発見ですよね。

小勝:本当にそうですね。

石内:だって私、モノクロのイメージしかなかったんですもん。

中嶋:そうですね。

小勝:なんかみんな茶色く変色したね、そういうものしか今まで見てこなかったですよね。展示室や写真では。

中嶋:やっぱり白黒で撮られることが多かったんですよね、きっと。

石内:もちろん。いや、白黒のイメージがやっぱり一番ぴったりしていたんだと思いますよ。この広島というテーマ。私も実際白黒でも撮ってるんですけれども。

中嶋:そうですか。

石内:はい。両方撮ったんだけれど、最終的にはこのモノクロを一切やめて。ただ、展示する時は何点か展示しますけれども。だから、このなんていうんだろうな、距離が違うんですよ、本当に。

中嶋:そうですよね。

石内:全然。今までの広島と。

中嶋:そうですよね、大きさも違いましたしね、写真の。

石内:うん、ただね、これは言ってみれば写真集を買わない人が買ったから割と広まったということもあって。あまり写真集を見ない人が見るということも含めて、この体裁はよかったんですよ。

小勝:ああ、気軽にこう手に取れるという。

石内:そうそう。なんだろう、一体これは何だろう。「ひろしま」って書いてあるけど変だな、とかさ。

中嶋:そういう意味では、買える広島の写真集というところですかね。

石内:うん、それとやっぱり、そのある人の時代が写ってるから。時代のファッション性がちゃんと写ってる。

中嶋:「今を撮っている」という風におっしゃいますよね、しばしば。
写真というのが、古典的なものでいうと例えばロラン・バルト(Roland Barthes)の『明るい部屋』では、写真というのは「もうすでにそこにはないもの」っていう、過去に対するノスタルジーや、もう手の届かないものというイメージだったんですけれども。石内さんの写真というのは、やっぱり過去のものが現在に存在するということを撮っている。だから今、ここにあるものというものを自分の見方で見ても良いんだ、というような。単なる私の意見なんですけれども。

石内:いやいや、そうですよ。だから、例えばこれはものだから生きてはいないんですけれども、私にとってはなんだろうな、無機物じゃなくて有機物みたいなもので、すごい何かね愛着があるのね。だからスカートなんかもちゃんと時間を食べてるような気がするの、日々。だから65年間いるっていうことは、時間とともにいるわけですよ。そうすると、なんかねすごく、生きてるっていうのはちょっと語弊があるけれども、ちゃんとものたちにも時間が蓄積してね、時間のなんだろうな、形がどんどんどんどん浸食してるわけね。そういうの見えるんだよ、私。だからそれを撮ればいいの、私。

中嶋:それとこの光の使い方は関係がありそうですね。

石内:うん、まぁ、これはまあね本当に、なんて言うかな、テクニックみたいなもんだけれども。ただまあ、逆光は面白いかなってのもありますけどね。一回やってることだから。

中嶋:目黒の展示ではだいぶ天井の高いところに大きな写真をかけていらっしゃいましたが。

石内:うんうん。初めてだったから、あそこ。うん、これだよね、この写真です。

中嶋:ずいぶん軽やかになりますね。

石内:そうそうこういう風にして(『ひろしま』をめくりながら)軽やかなこれと、ジョーゼットの、スカートの下だけ、ワンピースの下だけのね、の両方とも透けているもの、を意図的に選んで、すっごくおおきいですからね。今までの私の中で、最大の大きさなんですけれども。だからそういうのは、かなり軽やかにジョーゼットの透過光のもの、ふわっと浮かんでいるようなものを意図的にあれは選んでますね。

小勝:あの、ちょっと展示に関わる質問ですけれども。前にその目黒の展覧会で、展覧会のカタログで、水戸芸術館の「しなやかな共生」(注:「水戸アニュアル'97しなやかな共生」水戸芸術館、1997年)で、初めてその現代美術の作品とともに展示して、そういう現代美術と一緒に展示する空間の作り方みたいな、それをすごく楽しまれたと書かれているじゃないですか。個展ではもちろん自分で決めて展示されていると思いますけれども、そのプリントされたものとしての写真を空間に展示していくことに関して、やはりすごくご自分で空間を作ってゆかれるというのを感じていました。

石内:うん、そうですね、私実は一番初めの《絶唱・横須賀ストーリー》から空間構成っていうのをすごく考えていて、いわゆる額装してオーバーマットに写真をいれるっていうことにすごい抵抗があったの。ああいう風に窓枠みたいなあれでなんか一枚ずつしっかり並べるっていうのが、すごい抵抗があって、初めから私は額装はしなかったんですね。なるべく空間、空間に写真を置くみたいな。そういう感じで、一番初めから始めてるんで、なんていったらいいかな、きちっと一点一点ちんまり見せたくないっていうか。ある種の塊みたいなのがね、初期はね特に、塊みたいなもので。

小勝:床から天井までが。

石内:横須賀という写真の塊の中に皆さんがいて、ぐるっと一周してみてくれればいいかなというような展示をしていたんですよ。だから展示に関してはすごく私は気にしていて。

小勝:こだわりがある。

石内:うん。写真をやってる人はやっぱり画一的な展示しかやってなくて、水戸芸の時に始めて現代美術の人と一緒になった時に、やっぱり全然考え方が違うわけですよね。一人一人違うし、私はこうやって見ながら「なるほどそうか」とか思いながら、逆に私は自分が正しかったなと再確認みたいなね。もっと自由にやって良いんだっていう風にして、水戸芸の時は、すごくプラスになったし。写真ってね、なんか不自由なんですよ、何となく。

中嶋:写真と美術が別れていること自体、特殊な現象ですよね。

石内:日本は特にね。

小勝:写真家と現代アーティストとね。

石内:外国はそういうことはないから。みんな一緒なんだけど、どういうわけか日本は写真家っていう肩書きが、がんとあって。

中嶋:ギャラリーも写真用のギャラリーと、美術のギャラリーとありますしね。

石内:そうそう、はっきりしていますよね。それは簡単なんですよ。要するに日本ってカメラメーカーとか写真メーカーが多いから、アマチュアリズムをすごく(抱えている)。アマチュアの人が多いでしょう。だからそういう人たちの層っていうのが膨大なの。こんな国はどこにもない。

小勝:ああ、そうですか。

石内:アマチュアなんていう発想の写真をやっている人なんて。だから日本独特の写真に対する層がね、何段にもあって、それはやっぱり急に飛び越すことはできません。

中嶋:そういう人たちがやっぱりその歴々のカメラ雑紙、写真雑紙の様なものを支えてきてもいるわけですものね。

石内:そうそう。あの後ろにある何だっけ、コンテストみたいなものも含めてね。そういう構造があるんですよね。

中嶋:カメラ誌がやっているそういうコンテストと、写真家としてのデビューというのはほとんど関わりがないんじゃないんですか。

石内:私は全然関係ないですよ、まったく。先生も居ないし先輩もいないし。もう本当に独立独歩でやってきたから。だから自分が、水戸芸で本当に自分のやり方が間違ってないんだなということを認識した、っと。自由にやっていいんだなって。みんなもっと自由にやってるなと、すごい楽しかったの。

石内:それからどんどん美術館からオファーが多くなった。

小勝:ええ、やっぱりね。

石内:その後すぐに国立国際。私、国立国際って全然知らなくて、名前。すっごく矛盾してない、国立国際美術館。どんな美術館なのか。

小勝:それを英語にしたらおかしいですよね。

石内:でしょう(笑)

中嶋:National international

石内:私、なんかすごくいかがわしい美術館なのかな、と思ってさ。なんか堀くんかなんかに電話してさ、「知ってる?」っとかいったらさ、「何言ってるの、国立だよ」っていうから。

中嶋:それは何年でしたっけ。

石内:次の次ぐらいかな。水戸芸の次の年だったかな、忘れちゃった。

小勝:芸術とエコロジーというテーマの、あれでしたっけ。(「芸術と環境 −エコロジーの視点から−」国立国際美術館、1998年10−11月)

石内:そうそう。

石内:だから水戸芸から出発してどんどん美術館、広い大きなところで展示し始めて、それからすっごいもっと自由になって楽しくて。ああそうだよね、写真ってもっといいんだ、いろんなことをして。

中嶋:写真の撮り方も変わりましたか。

石内:うんうん。撮り方は変わらない。

小勝:それとその、美術館に展示するものとしての写真と、こういう写真集に印刷する写真と、それは同じ作品ではありますけれども……

石内:いや、全然別です。

小勝:全然別物として考えていらっしゃる。

石内:だって、これは本だから物語ですよね、写真集っていうのは。大きさもあるし、前後があって。
 だから展覧会は立体だけど、まぁ本も立体ですけれども、やっぱりこう空間みたいな把握だと思うのね、展覧会っていうのは、あと演劇的なものだね。

小勝:それとやっぱり、印刷されてこの小ささになったのと、実物のプリントされた作品の実際のテクスチャーの違いっていうのはものすごくありますよね。

石内:うん、だから私は両方がないとまずいと思ってるのね。これはこれですごく良いんだけれど、でもこれだけじゃないんだよ、と。私がやってるのは、本当に展覧会で私の写真を見て欲しいってことだから、この大きさではないってこともあって。

小勝:写真集を見た人にはね、ぜひ実物の展覧会を見てもらいたいですよね。

石内:そうですね。だから目黒の時に上野千鶴子さんが来て、実は彼女初めて見たんだよ、私の写真。

小勝:そういえば対談なさったんでしたっけ。

石内:そうそうそう、いやすごい面白かったんだけれど。彼女も《1・9・4・7》でびっくりしちゃった、「あら、こんな大きいの」って。だから(上野氏も)写真集は見てるわけだよね、当然。写真集の大きさしか知らないんだよ、彼女。

中嶋:そうですよね、そうなっちゃいますね。

石内:「そうよ、ちゃんと見なくちゃ駄目ですよ」と、お説教したの。

中嶋:上野千鶴子さんとはどのようなお話をされたんでしょうか。

石内:上野さんとはどういう話をしたっけな。私いろんな人といっぱい対談してるから。でも上野さんがものすごく面白かったのを覚えてる。

中嶋:ああそうですか。

石内:私、負けてなかったから(笑)

小勝:笠原(美智子)さんによると、石内さんが勝ってたって(笑)

石内:彼女ね、上野さん具合が悪かった。熱が出て風邪引いてて、すごく具合悪そうにして来て、ああかわいそうだなと思ったんだけれども。それもあるけれど、いやでもすごい人だったな、初めてお話をしたんだけどね。会ったことは何度かあっても対談は始めてで。サービス精神が強い。お客さんに対する。

小勝:そうですね。

石内:それはやっぱ、真似できない。
 何かやっぱりすごい人だなってちょっと。頭の良さもさることながら、人も、把握の仕方っていうのか、空間に誰がどういう風にいて、お客さんが何を望んでいるかということをちゃんと分かっている。あれも勉強になったね、すごく。ただ勝手に喋るだけじゃいけないの。

小勝:でも石内先生も、対談もたくさんされているので、かならずお客さんを喜ばせながらという。

石内:だから学んだんですよ、私。上野さんと。なるほど、こういう風に考えなくちゃいけないな、と。良いところはみんな取っちゃうの。

中嶋:上野先生は大学の先生ですからね、喋ってますからね、普段から。

石内:そうそう、彼女はもの作りじゃなくてさ、喋るのも一つの仕事だから、プロなんですよ、完全にね。だからあのプロフェッショナルは、ちょっとすごいなと思って。

小勝:この《ひろしま》は、この前沖縄で発表された時はまた新たな作品写真を撮られたんですよね(注:「ひろしま」は、2010年6月に広島市現代美術館の「石内都展 ひろしま Strings of Time」として発表された後、2010年8月「ひろしま in OKINAWA 石内都展」として佐喜眞美術館で展覧会が行われた)。

石内:これは、ええとね「新着遺品」っていうのが毎年広島平和記念資料館に来るんですよね。それは亡くなった人とか家でもう持ちきれない人たちが、改めて寄贈しにくるわけですね。そうすると私、今学芸員の女の子とわりと親しいんで、彼女がちゃんと知らせてくれるの。

小勝:これ、だから(制作年が)2010年ていうのがすごく多いですよね。

石内:そうです。これはもう意図的に、佐喜眞美術館ね、沖縄でやる時に新作を中心に発表しようと思ってたから。

中嶋:これ(『ひろしま』所収のある写真を撮影した写真を指して)は、写真なんですか。

石内:うん、これはね(広島平和記念)資料館にあったすごく大きな写真で。展示されているように見えたんだけど、どういうわけか刃物で切られてたのね、真ん中が。

小勝:もともと実物が切られていたということですか。

石内:そうそうそ。それがセロテープか何かが張ってあってさ。すごい不思議な一瞬があったの。私(後から)、これをいったいどこで撮ったかわかんなくて、資料館に訪ねたら「ここにあったって言わないで下さい」って。「どうして?」って言ったら、アメリカ人が撮った写真らしいのね、これ。わりと有名な人が撮って寄贈された写真で、でもこれは複写だよ、(元は)でかいやつだから当然。複写されて誰かが傷つけたのが、一週間位だけど貼ってあったんだって。だから今はない。

小勝:展示室にですか。

石内:展示室じゃなくて売店の横だったと思う、あの資料館の。ほらなんか本なんか売ってる売店があるじゃない、そのこっち側に張ってあったんだって。

中嶋:それは奇妙な話ですね。

石内:だからもう、これは寄贈された人に失礼だからって、とっちゃったわけだよ。切られてるわけだから。

中嶋:そうですよね。

小勝:ねぇ、これ本当に不思議な写真ですね。群馬(群馬近美での個展)の時も出口の所にね、貼ってらっしゃいました。(「石内都 Infinity ∞ 身体のゆくえ」 群馬県立近代美術館 2009年4−6月)

石内:そうです、そうです。だからこれ、私のために誰かが傷つけてくれたのかな(笑)。

小勝:本当に象徴的ですよね。

中嶋:これも傷ですね。これは原爆ドームの周りだけ切り抜こうとしたんですかね。

石内:そうです。だから今ないの、これは。資料館のじゃないって言ってくれっていうのよ。言っちゃったけど(笑)。だからこれ、非常に象徴的なんで、あえて入れようと思って。これ、ここには入れて。

小勝:佐喜眞の展示でも、展示されたんですね。

石内:そうですね。

中嶋:沖縄のことをお伺いしてもよいですか。

石内:はい。

中嶋:佐喜眞美術館で、昨年ですねもう、昨年「ひろしま in OKINAWA 石内都展」をされます。

石内:そうです。

中嶋:やはり伺いたいのが、沖縄ではどのような反応があったのかということをお話しいただければ。

石内:沖縄で「ひろしま」をやるっていうのは、すごく勇気のいることで。ましてね、佐喜眞美術館っていうのは反戦平和的なテーマを中心に展示している美術館なんで、もともと私、実は知り合いで。

小勝:ああ、佐喜眞さんの奥さんと。

石内:学生の時からの知り合いで、偶然なんですけどね。知り合いだったってことで、美術館はその前、ずいぶん前から知っていたんです、行ったこともあるし。ただ私からあそこで積極的にやるっていう意志はなくて、丸木(位里・俊)さんがね、あそこのメインの美術館だし、と思ってたら、積極的に向こうから美術館のほうからお願いしたいって言われて。

小勝:あの、佐喜眞館長が石内さんの作品を目黒でみてすごく感銘を受けた、ということですよね。

石内:そうですね。もともと佐喜眞さんて、鍼灸師なんですよ。

中嶋:ああ、そうなんですか。

石内:それで、私の《1・9・4・7》の手と足の写真にすっごく彼、感銘を受けていて。

中嶋:そっちにご興味があったんですか。

石内:うん、その話しを随分前にしていて、彼もすごく気に入ってくれてたのね。その時《ひろしま》は全然関係なかったわけだし。でやっぱり、《ひろしま》を撮った時に目黒にご夫妻揃って来てくれて、やらないかってことで始まって。そうするとやっぱり、沖縄っていうのは覚悟しないとできないから、それでやっぱ、撮り下ろそうっていうことも含めてね。そうしたら新着の遺品があるっていうのがわかったし。ま、偶然といえば偶然なんだけど。だからこういうふうに首尾良くぴしっと新作中心に、沖縄で発表できたの。

中嶋:巡回ではなく(新たな)展覧会をということですね。

石内:巡回ではない。私は巡回っていうのは一切やんないから。

中嶋:その都度、作品が違うんですね。

石内:あの、順番も違うし、なんだろうな、見え方も全然違うから。

中嶋:空間に合わせて展示も変えるということですよね。

石内:そうです、そうです。

中嶋:この時、6月に比嘉豊光さんや、東松さんとか、あと土屋誠一さんもいらしてたと思うんですけれども、シンポジウムをなさっていますよね。この時、(小勝さんは)いらっしゃいましたか?

小勝:いえ、これは(行けませんでした)。

中嶋:この時は、どのようなお話が…… わからないですよね。これ、記録が確か、出ていないので。とても知りたいのですけれども。

石内:残念ながら、あまり良いシンポジウムではなかった。

小勝:そうですか。

中嶋:比嘉さんとは、大分前からお知り合いだったんですか。

石内:比嘉豊光さんは、割と年代も近いし。一番初めに彼との関係で。私は、沖縄は。

小勝:沖縄に《横須賀》(《絶唱・横須賀ストーリー》)を持っていらっしゃって。

中嶋:それは79年ですよね。「ぬじゅん in 沖縄・大和」(注:「視覚の現在79写真展 ぬじゅん in 沖縄・大和」、ダイハナ、那覇、1979年3月)。

石内:そうです、そうです。その時に比嘉さんが向こうの、主催者側の代表みたいなかんじで。で、会って「やまとんちゅ、やまとんちゅ」って言われて。何だろな「やまとんちゅ」って、聞いたことないなと思いながら。どうも差別しているって(笑)。それで「おまえら、逆差別だろ」っ言って、私大喧嘩したの。比嘉豊光とね。

中嶋:それは勇気のいりそうな喧嘩ですね。

石内:いやいや、勇気も何も、私はやっぱりね、基地の街で育っているわけだから。基地の街はもういいやって思ってたの。沖縄にも興味なかったのよ、全然。横須賀だけで十分だと思ってたんだけど。やっぱり行ったら、横須賀どころじゃないってことも含めてなんだけど、やはりすごくドメスティックだよね、沖縄の人たちは。
 沖縄戦っていうのがあまりにも悲惨で、あまりにもハードな事件だったから、やっぱそれは広島とはちょっと意味が違う。どっちがどうとも言えないけれども、沖縄戦があって広島があるわけだから、歴史の中ではね。だからそういう歴史を踏まえるっていう意味において、後ろにも書きましたけれども、歴史の島に身を置くという意味で、《ひろしま》は、私は覚悟してやった訳です。

中嶋:歴史の島に身を置く。

石内:うん。でもね、思ってた以上に若い子たちがけっこう良い反応を示してくれて。

中嶋:そうですか。

石内:《ひろしま》を見てやっぱり、なんかまさかあの広島だと思わないわけだよ。ね、私の写真見てさ。高校生が結構来てくれてて、その子たちの反応がすごく、ああ、若いうちってやっぱり自由で良いよなって思ったよね。

小勝:ただあそこって、沖縄の人よりも、(本土からの)修学旅行の高校生が一番行くみたいなんですよね。

石内:そうそう、佐喜眞美術館っていうのは、修学旅行生のメッカみたいなもんで。沖縄の中ではどういう位置にあるかっていうのは微妙な美術館ですよね。嫉み妬みも含めて、やっぱり大変な所ですよ。ましてあの二人はほら、うちなんちゅじゃないから。

小勝:ああ、そうなんですか。

石内:うん、佐喜眞さんはうちなんちゅなんだけど、生まれ育ちがこっちだから。やまとだから。差別があるんだよ、沖縄って。そういうことにも。だから、やまとがやってるみたいな感じもあって。

中嶋:それは知りませんでした。

小勝:ただ祖先の土地があそこだと…… 

石内:お祖母さんの遺産を彼が引き継いだのかな。あそこはね、全部。

小勝:あそこにお墓があるわけですよね。

石内:初めて私は沖縄に触れたんです、今回。結構長くいたし。会期中3回行って、一番初めは10日くらいいたし。中途半端じゃなくてちゃんといようと。で、佐喜眞美術館アーティストレジデンスがあって。そこへ、ただで泊められるし、環境が良かったんで。そうすると、いろんなことが見えてきたわけ。佐喜眞美術館は沖縄にとってどういう位置にあるか、とかね。あと、ひめゆりの塔と資料館行ったけど、ね。行ったことあります?資料館。

小勝:はい、行きました。

石内:資料館がちょっともう、なんて言っていいかわかんないけど。中の内容がなにもない。

小勝:資料館とおっしゃるのは、平和の礎がばーっとあるところ。

石内:そうそうそうそう。あの辺の、廊下ばかり立派な。いや、ちょっとびっくりしますけどね。何もないから、「何もないですね」って言ったら、前にあった資料館がなくなって新しくなったらしいんだけど、そこでメインの資料をかりていた人にみんな返したんだって、資料を。
 帰ってから佐喜眞さんに「こう言ってるんだけど、どう?」(って聞いたら)、「引き上げたんだ」って。ああいうところに展示したくないっていって引き上げたんだって。それがメインだったんだって。だから何にもないって。

中嶋:何もないんですか。

小勝:そもそも、丸木さんたちの沖縄戦の図もあそこに展示できればって思ったそうなんですよね。それができないんで、佐喜眞さんが私財を投じて美術館を。

石内:自分で建てた。なんかちょっと沖縄はいろんな意味で、公的なところが複雑っていうか、なんていうか。ちょっと、なんともいえない。
 やっぱり歴史の重みっていうかな、戦後のあり方も含めてすごく大きな、本当に差別されてるって感じますよ。だから、あと安保の問題だよね。完全に日本の、それこそ基地の墓場みたいなもんですよ。72%だっけ、あるわけだから。だからあそこに全部追いやってしまった日本の政府のあり方、政府っていったって政府を支えているのは国民だからね。それで何でリゾートなんて平気で行けるんだよ、みたいな話でさ。何で沖縄に遊びに平気で行けるの、みたいな感じがあって。だけど、それもお金を落とさなくちゃいけないから。観光もしなきゃいけない。

中嶋:いろんな矛盾がしわ寄せになっている場所ですよね。

石内:だから私は、佐喜眞美術館、沖縄でやったことにおいて、私のそれこそまさにやまとんちゅのあり方とか、日本のあり方とか、安保と基地の問題って本当にリアルにわかりましたよね。横須賀だけでは分からないことがいっぱいあって。私は横須賀だけで十分だと思ってたのが、ところがどっこい横須賀なんてごく一部だな、と。やっぱり沖縄を知らないと日本のことは語れないし。たぶん政治的なことも、文化も含めてだな、結構。だから、佐喜眞美術館て隣がアメリカだから、半分アメリカで、アメリカの隣で本当に国境でやってるようなもんなの。展覧会を。

中嶋:そうですね。

小勝:そうなんですよね。屋上からね、(米軍基地が)すぐ見えますよね。

石内:だからその経験は、すごくこれから活きてくると思うよ。

中嶋:やまとんちゅと呼ばれる作家の方が、《ひろしま》を持って沖縄に行ったってことの意味ということでしょうか……

石内:意味っていうか、それはたぶん「ひろしま」という意味ね。それがもう少しはっきりするということですよ。沖縄戦がなければ、「ひろしま」もないわけだしさ、繋がってるんだよね。でも沖縄の人はやはり、「ひろしま」まで辿り着くのがかなり大変で、その「ひろしま」がこれからどこにいくのもやはりすっごい大変なことで。でも私は政治的なことは一切発言もしないしやらないけれども、でもいろんなアプローチの仕方として「ひろしま」に私が出会っちゃったわけだから。これはやっぱりずっと広げていく。

中嶋:これからも撮られますか。

石内:うん。今年撮りますよ、また。2月にいこうかな、と思って。今度は始めて海外で個展をやるんで、バンクーバーで。

中嶋:《ひろしま》が国外に出るのは、今度のバンクーバーが初めてですか。

石内:いや、個展が初めてです。グループ展はパリ・フォトに出てるし。パリ・フォトとこの間上海でも展示したし。
 だから個展としては、今年が初めてなんですよ、《ひろしま》。それブリティッシュ・コロンビア大学。

小勝:これは大学の方から、オファーがあったんですか。

石内:うーん、いろいろと複雑なことがあって。あの「ANPO」という映画があって。私が出ているんですけれども。「ANPO」の監督のリンダ・ホーグランドさんが、バンクーバーで映画祭に呼ばれていったらしいんですよね。その時の流れで、どうも、見つけてきたみたいなかんじ。

小勝:この(展示会場となる)人類学博物館というのは、いわゆる美術館じゃないですよね。

石内:よくわからない、ギャラリーが2年くらい前にできたんだって、ちゃんとした。まだすごく新しいところで、あんまり経験がないんですよ、どうも。基本的には博物館で。

中嶋:それが今年(2011年)の10月からですよね。

石内:そうですね。

中嶋:その前に1月に宮崎。

小勝:で、8月が長野ですね。

石内:いや、その前に5月に決まったんだけど、どこだっけ。ドイツ。クンストハウス・ハンブルク。

小勝:ああ、肌をテーマにした。でも、《Scars》とかではなく《ひろしま》を出されるんですか。

石内:うん、そうそう。なんか《横須賀》と《APARTMENT》と《ひろしま》って書いてあって、よくわかんないの。

小勝:ええ。でも肌でしたらまさにね、《INNOCENSE》とか《SCARS》とか。

石内:ていうかね、2年ぐらい前に岡部あおみさんと、武蔵美で対談したことがあるのね。それを、ネットか何かで流したのかな。

小勝:うん、ずっと流していましたよ。

石内:うん、英語にしたらしいの。

石内:それでここで、「岡部さんとの対談を全部使いたいっていってる人がいる。岡部さんはOKしてるんですけど」じゃあどうぞ使って下さいって。それは肌に関する何かなんだよ、というのがここだったと。それがたぶん5月、5月にもうOKしたんでやります。

小勝:現代美術のすごく立派なギャラリーなんですよ。ギャラリーというか、美術館。

石内:(手元の雑誌をとって)この『FOAM』という雑誌は、プラハから始まった回顧展のアムステルダムでの会場が発行しているんですよ。たまたま私の《ひろしま》を載せたいということで掲載されているんですけれども。英語ばかりの中に突然ひらがなで「ひろしま」とあるのでびっくりすると思うんですけれども。「ひらがなの『ひろしま』ですよ」とこれはくどく言ったんです。そうしたらちゃんとやってくれて、何故この文字になっているのかという説明もある。日本の女性の文字だ、と(注:Magazine Foam, no. 25 (winter, 2010))。

中嶋:広島での写真を「ひろしま」をひらがなにしたのは……

石内:すごく悩んでタイトルを考えて、「ひろしま」って全部書いてみたの。漢字、ひらがな、カタカナと、アルファベットと。そうしたらひらがなのがしっくりきた。やさしくて、もうこれだと。

中嶋:ご自分の写真をあまり撮られないのは何故ですか。

石内:自分自身を撮る必要は全くないから。
 写真をとっているときは全て自分の反映だと思っているから。自分を撮ってるのと同じようなもの。私が写ることに関しては全く興味がない。この間の「GLOBE」(注:上記参照)も(セルフ・ポートレイトが)ないから困っちゃった。

中嶋:「デジタル」はお好きではないとおっしゃっていましたが。それは「画素」がお好きではないということでしょうか。

石内:何かを訴えたり伝えたりという意味ではデジタルは素晴らしいと思う。即効性があるし、その意味においてはデジタルは必要だと思いますよ。私はそれは必要がない。
 別にデジタルを否定しているわけではないですよ。写真の機能的な点では必要な部分はすごくあるし。ただ私は必要はない。デジタルは「情報」。写真は物質で。一見同じように見えるけれど、プロセスが違う。

中嶋:プロセスの違いは石内先生の作品の場合重要ですよね。

石内:一番始めの初期の三部作は一見ドキュメンタリー的テーマだし、一見社会派みたいに見えるけれど、私は一番そういうところから遠いところにいきたいと思っていたわけだけど。現実的にあんなに粒子の粗い「横須賀」はないんだよ、と別のところにも書きましたが、要するに創作なんですよ。私の作った横須賀の街。
逆に《ひろしま》もそうですよね。現実的に広島の遺品たちがどういうふうにあるかというと、こういうふうにはなってないわけだから。じっと小さくたたまれて、固くなって白い紙に包まれて人目につかない。それを私が解きほぐしてあげて、一番かっこいい形に整えて、自然の光を当てて、それで撮っているからそれはもう創作なんですよ。私が演出してつくっている。

中嶋:そうするとアーティストとしての側面が強いですね。

石内:肩書きはどうでもいい(笑)。

中嶋:ブリティッシュ・コロンビア大学で展示されるということで、アメリカで展覧会されたことはあるんですよね。アメリカの美術館に作品が所蔵されていますよね。

石内:MoMAは「Yokosuka Story」ですね。ゲッティーにこの間入ったのは私の作品をほとんど。《ひろしま》の前まで。

中嶋:《ひろしま》はアメリカでは受け入れられないのでしょうか。

石内:(ゲッティーが購入をしたのは)《ひろしま》の前、《Mother’s》までじゃなかったかな。
《ひろしま》はコレクションとしては難しいかもしれない。
 今回カナダで(個展を)やるというのは一つステップになるかもしれません。カナダは一応反米の国だけど、大学がかなりちゃんとした見解を持っているようで。そこの博物館でやるので、「ひろしま」の展覧会としては最大のものになるでしょうし。

中嶋:それは《ひろしま》に特化した展覧会なわけですね。

小勝:その前に韓国、中国、日本を巡回する「三国現代美術展:韓国、日本、中国」というのがあります。

石内:森美術館にいたキム・ソンヒ(金善姫)さんの企画で、《Mother’s》が展示されます。彼女がアジア的なもっと違った形のインスタレーションを考えたりするって。

小勝:最初にやるのは韓国ですね。その次の年に中国、予定では2013年に日本に来る。

石内:アジア的な展示ということで、ホワイトキューブではない、座ってみるような形になると考えると、まだあまりイメージはわかないんですけれどね。
 結局作品て、いろんな人に見てもらわないと行けないんですよね。だから動いて行く。どんどん作品そのものが一人歩きしていく。動いて行って、色々な人の見方で見てもらいたいんですよね。その動きはなんといってもヴェネツィアから来ている。ヴェネツィア・ビエンナーレから私の世界が変わったんですよね。今でもヴェネツィアで見たという人が(国外から)やってくる。一つのきっかけをどうつかんで行くかというところで、笠原さんとの関係みたいなものが。本当は2回しか仕事一緒にやってないんだけどね。その間色々交流があったけれど、急にヴェネツィアでできたというのは運が良かった。
 ヴェネツィアというのはあまりにも大きすぎて、(パビリオンは)すごく小さい空間でグループ展をやるとあまり成功していないのよね。そういう意味で、女二人でということも(功を奏して)、毎日楽しかった。
 「パビリオン」なんていうの、面白いよね(笑)。初めて自分が展示で行ったときは(パビリオンの)「えー、こんな小さいんだっけ」と。かえってね、一人でやるには十分やりがいのある空間だったけど。100年続いている美術の祭典だから、来る人のレベルというより幅が違う。アートに興味がある人は一回は行くから、そこで印象に残るということがあの《Mother’s》にはあったんだな、と。パビリオンはたくさんあるし、作家だっていやほどいるわけだから。だから「お母さんにありがとう」と。母が亡くならないとあのタイミングはなかったわけですよ。母とうまくいっていなかったことが写真を撮るきっかけになったから。うまく行ってたら写真撮らなかったんじゃないかなあ。だから対話がもうできなくなっちゃったから。これからいろんな話をしていこうかなという矢先だったんですよ。
 下着ってその人の何かが、形みたいものが残っているんですよ。その人の特徴が。かざして撮ったりすると、それこそ母の人生のようなものが見えてくる。という感じがしますけれどもね。

中嶋:写真をとって会話をするということでしょうか。

石内:平たく言うとね、本人とは話をすることができないわけですから。肉体はないわけだから。写真と対話するというのは撮るときではなくて、暗室ですかね。そういう二次的なところで私は対話をする。撮影っていうのはささって撮るだけだから。撮影しながらいろんなこと考えるひまってそんなにないでしょう。撮影は忙しい。それで私はあんまり好きじゃないから、なるべく簡潔になるべく短くなるべく少なく写真を撮る。

中嶋:やり方としては珍しくはないですか。

石内:この間森山大道さんと対談して、去年かな、そうすると彼は逆で。彼は写真はどんどんとれ、撮れば撮るほど良くなるんだ、て。私はなるべく少なくなるべく短くという話をして、びっくりしちゃった。

中嶋:森山さんといえば、森山さんが渋谷で持っていらしたギャラリーで展覧会されたことありますよね。ずっと親しくされているのですか。

石内:写真家で親しくつきあうというのはあまりないんだけれど…… 

中嶋::お好きな写真家はいらっしゃいますよね。ジョン・コプラン(John Coplans)さんとか。ロバート・フランク(Robert Frank)さんとか。

石内:写真家としてはジョン・コプランさんもロバート・フランクさんも好きですが。
ニューヨークに行くと必ずロバート・フランクには会うんですよ。わりと個人的に親しくさせてもらっていて。

小勝:ロバート・フランク氏の写真のどのようなところがお好きですか。

石内:やっぱりThe Americans (1958)が衝撃だったよね。明るい国だと思っていたアメリカがあんなに暗くて、すごい衝撃。私にとってアメリカていうのは傷みたいなものだから。彼はアメリカ人じゃないから、もともとスイス系ユダヤ人。アメリカンをみたときに見たくないほど衝撃を受けた。それで会いに行ったんですよ。私は会いたい人には会いに行く。日本人ではあまりそういう人が…… 川田喜久治さんの『地図』はすごく好きで、川田さんのお宅に見せてもらいにいったの。

中嶋:それはいつ頃のことですか。

石内:ずいぶん前ですよ。荒木陽子と行ったから。「見せてくださいね」と。私結構そういうの平気なんですよ。会いたい人はどんどん会う。

中嶋:荒木陽子さんとは荒木さんを通じてお知り合いになったのですか。

石内:というか同じ年なのね。1947年生まれ。それに私の本名も陽子だから。

小勝:最初のニューヨークが荒木夫妻と一緒に行かれていますね。

石内:珍道中だったよなあ(笑)
 陽子さんは《1・9・4・7》の一番最初のモデルだったの。だから荒木さんより陽子さんとのほうが親しかった。

中嶋:ニューヨークに最初に行ったというのは。

石内:1979年だと思う。

中嶋:「Japan-A Self Portrait」のときですか(注:「Japan-A Self Portrait」International Center Photograph、1979年、4、5月)。

石内:そのとき山岸章二という『カメラ毎日』の編集長やってた人がフリーになって初めてやった展覧会が「Japan-A Self Portrait」でね、それで呼ばれて。それが面白いんです。急に呼ばれて何かなと思ったら、木村伊兵衛賞が決まってたんですね。それでICPていうロバート・キャパの弟さんが始めた美術館なんだけど、そこで山岸さんが初めてやる展覧会なのに、「女が一人もいない」ってアメリカから言ってきたらしい(笑)。それで急遽私が入ったの。

中嶋:ああ、1970年代ですしね。そんな経緯があったんですね。

石内:そう、私なぜかそれ知ってるのよ。それで木村伊兵衛賞が内定していたばかりで、初めてのニューヨークでわくわくしてて。

小勝:一人でいらしたんですか。

石内:途中で陽子さんが母を訪ねて三千里で南米どこだったかな、ブエノスアイレスかな、に行っちゃったの。

中嶋:お母様が南米にいらしたんですか

石内:お母様が外国に行ってて、彼女がお母さんに会いにいっちゃったから、結局荒木さんと二人でいたという(笑)。で荒木さんはすごい写真を撮るから。彼が写真撮ってる間、私何も写真なんか取れないんだよ。

中嶋:そうなんですか

石内:だって変じゃん(笑)。で、陽子さんが帰ってきて、二人で日本に戻ったのよ。私は3週間ぐらいいたから、やっと写真を撮り始めたの。一人になったらまあ寂しい街で。怖かったし怖い事たくさんありましたよ。汚くてね、まだ。ニューヨーク、ゴミだらけで。それで1ヶ月か2ヶ月いたかったんですけれど、(木村伊兵衛賞の)授賞式があって。「私ニューヨークにいるから授賞式出られません」って言ったんだけど、叱られて「帰ってきてください」って(笑)。で三週間で帰ってきた。でもあんな街は二度と行きたくないって思った。

中嶋:印象悪かったんですね。

石内:悪かったですね。

小勝:二度目に行ったのは。

石内:二度目に行ったのは十何年後なんじゃない(笑)。あれだ、例の横浜美術館の(展覧会)がグッゲンハイムに行った…… モンロー(アレクサンドラ・モンロー、Alexandra Munroe)さん(のキュレーションによる展覧会)。ニューヨークは二度と行かなくてもいいと思ってたんだけど(注:Japanese Art After 1945: Scream Against the Sky, Guggenheim Museum, 1994)。

小勝:では行かれたのは、94年。

石内:はい、そうですね。

中嶋:これは、ローレンス・ミラー(Lawrence Miller Gallery)で(個展を)やった時でもありますか。

石内:そうそう、その時は、グッゲンハイムと一緒に、ローレンス・ミラーに呼ばれて、《1・9・4・7》(1990年)を展示したんですよ。

小勝:日本の戦後の前衛みたいな展覧会でしたよね。

石内:そうそう。横浜美術館でモンローさんが企画してやって、その時には選ばれてないんだよ。だから、ニューヨークに呼ばれて行ったんですよ。それが本当に79年以来。

小勝:ロバート・フランクさんをお訪ねになったのは、その時ではないんですか。2回目ではない。

石内:ロバート・フランクさんを訪ねたのは、彼が横浜美術館で展覧会をやった後だから。その時じゃないかな。

中嶋:その時に《SCARS》の撮影をマンハッタンでなさっていて。

石内:いや93年ではなく96年に。3ヶ月。その時にロバートさんの所に割とちょこちょこと行ってた。

中嶋:この時のニューヨークの写真も、『アサヒカメラ』に発表されたっきり、まだ他には写真集には出されていないんですよね(注:「in N.Y.」『アサヒカメラ』1996年12月)。

石内:うん、出してない。うん、結構発表してないのいっぱいある。

小勝:日本人の《SCARS》とアメリカ人の《SCARS》は違いますか。

石内:いやそれがね、実はニューヨークに行っても半分くらい日本人を撮ったの。私は別に何人でも良かったんだけど、とにかく紹介してもらって撮るしかできないでしょう。それで紹介してくれた人が結構日本人が多くて。すっごい大きな傷の人ばっかりだった。

中嶋:そうですか。

石内:なんかね、ちょっとびっくりするほど。ニューヨーク行けば傷持ってる人はいっぱいいると思ったんだけど、本当にいっぱいいたの(笑) でも外人も結構いっぱい撮ったんだ、その時。うん、あの時はなかなか。あのね、フェローシップかなにかに応募したら、全部落っこちちゃったのね。で、頭きてさ、「よし、自費で行くぞ」っていって、もうそれは面白かった。

中嶋:そこが違いますよね。

石内:うん、自分のお金だからね、無駄がない(笑)。

小勝:それは96年の時ですか。

石内:そう。しっかり、本当に朝からずっとスケジュールを組んで、まずプールに泳ぎに行くのね。
 市営のプールなんて誰も行かないんだよ。地球の歩き方に出てたの。市営のプール、安いの。私、絶対に泳ぎたいと思って、なんかすっごい面倒くさい手続きを踏んで、一年間のカードか何かを作ってさ。それも面白かったな。きたないところだよね、やっぱ。市営のプールっていうところはさ。そこでニューヨークのあり方をよく目の前で学んだことと、3ヶ月間やっぱり自費だから、すごいきちっとしてた。

中嶋:どの辺りに滞在されていたんですか。

石内:えっと、泊まっていたのは友達がアパートを紹介してもらって、アパートじゃなくて貸部屋? すごい立派なところだったよ。自然史博物館の隣だから、72丁目くらい。
 すごく良いところ。だってお風呂に陽は入るしね。中庭はこうやって見えるし、すごく高かったもん。一ヶ月20万くらいしたんじゃないかな。でもまあね、ニューヨークは高くても良いところでいいと思って。

中嶋:これはまだ96年なので、9.11よりも前ですね。

石内:そうです。その時にそのぐらいになると、やっぱりニューヨークに行く意味がね。一番初めは自分があまり写真家に意識がなかったの。自分がプロになる気がなくて、賞はもらったけどよく自分でも覚悟ができてない時期だから、だから余計にもう2度と行きたくないと。自分が曖昧だと、ニューヨークの街はだめなんだよ、やっぱり。「アーティストだぞ」と思えばいいんだろうけどさ、私よくわかんなかったからさ、79年の時。

中嶋:もうたくさん写真集も出されていますけどね。

石内:そうそう、覚悟が決まればすっごく楽しい街で。行けばいろんな人に会えるし。今はやっぱり大好きですよね、ニューヨーク。

小勝:(最後に)今現在、何を撮影してらっしゃるか……

石内:うん、今はね、絹を撮っていますね。絹、シルク。

中嶋:そういえば「GLOBE」でも絹を撮りたいと書いていらっしゃいましたね。

小勝:桐生の銘仙を撮っていらっしゃる。

石内:そうですね、基本的には桐生に織塾(おりじゅく)っていう塾があって、織物の「おり」に塾の「じゅく」ね。そこに銘仙がどのくらいあるのかな、コレクションしてるんですよ。古いやつ。

小勝:昔の、大正とか明治、昭和の。

石内:ええ。それをとりあえず、なんていうの、全部あけて、そんなにほら資料で撮ってあるからそんなに開けてみることなんてないんですよね。だから虫干しも含めて、そこにあるものを全部一応見ようと思ったの。

小勝:これは、向こうから石内さんに撮って下さいという依頼があったんですか。

石内:いや、これはですね、実は写真雑誌があって、もうすぐ潰れてなくなっちゃうんだけど、そこの編集長が撮り下ろしで撮ってくれ、と。特集を、私の特集号を作りたいっていうのが一番初めのオファーだったのね。それは彼が、こういうテーマでっていうテーマがあったんですよ、私に撮らせたいもの。でも全然私、聞いてもピンと来なくて「いや、別にそれは私あんまりできないわ」なんて話をしながら、「いや、私、もしかしたら桐生なら撮れるかも知れない」で、桐生。私の生まれた町が桐生だってことがわかったから、それじゃ桐生の町なら撮れるかも知れないっていうので始まったの。だから銘仙との繋がりはなかったんですよ。 

中嶋:そうなんですか。

石内:桐生の町は知っているようで知らない町だから、そこに桐生タイムスという新聞社があって、そこの名編集者というか記者がいて、その彼女を頼りにしながらいろいろと窓口になってもらって、桐生を全部知ろうということで、その織塾と出会って。あと、新井淳一さんっていう人がいるんですね。

小勝:テキスタイル・デザイナー(注:正しくはテキスタイル・プランナー)。

石内:そうそう。彼はもともと三宅(一生)さんなんかと一緒に糸を研究している人で、今は三宅さんとはやっていないんですけども。彼との出会いも結構大きくて、すっごい格好いい人でね。知ってるよね? 

小勝:直接ご本人は知らないです。

石内:ああ、そうですか。

小勝:作品を群馬の美術館のショップとかで売っていらっしゃるんで、あれを買ったり。

石内:はい、そうですね。なかなか桐生を代表する世界的な、なんていうのか技術屋さん。アーティストっていうより技術屋さんっていうのかな。でも一応糸を研究している人です。その人と出会ったことも大きいかな。彼にいろんな話しを聞きながら、実は彼の写真も撮ってるの。彼のポートレートとか。それこそヌードにさせて、裸にして撮ってたりする(笑) いや、ノリノリですよ。何かすごいのりが、格好いいんですよ、すごく。

小勝:お幾つくらいなんですか。

石内:いくつかな。70歳…… 70幾つかな。

中嶋:三宅一生さんと同い年くらいですか。

石内:彼は70だから、すこし上かな。上だと思うな。

中嶋:そうですか。

石内:だからやっぱりその、何を撮るかっていうことよりも、一応私、ある種、横須賀をさよならしちゃったから、そうするともとの故郷っていうと桐生がひょいっと出てきて。そうしたらいろんなきっかけを作ってくれていろんな人と出会って。ああそうか、私この町で生まれたんだなっていうのが、何かすごく実感できたの。

中嶋:ああ、そうですか。

小勝:ちょうどね、2009年でしたっけ。大川美術館でも個展をされて(注:「石内都 上州の風にのって 1976/2008」 大川美術館 2009年4月ー6月)。

石内:そう、大川美術館と。素晴らしい人がいるんですよ、大川美術館、小此木(美代子)さんというね。やっぱり彼女に出会ったっていうのも大きいかな。素晴らしい人です。

小勝:小此木さんが素晴らしいというのは、どういうところが。

石内:小此木さんは、だって高校卒業して美術館に就職して、学芸員の資格って8年間勤めないと試験受けられないんだよね。

小勝:ああ、国家試験。ええ。

石内:彼女はちゃんと8年勤めて、受けてきちっと学芸員の資格、高卒で大川館長に口説かれたんだよ。美術は素晴らしいって。それで私はこれから美術で生きていこうって。それで大川美術館に就職して。ま、いろんなことがいっぱいあったみたいだけど、彼女なくして大川美術館はないよね。

小勝:ああ、そうですか。

石内:すごい頭のいい人で、ただまあ、ちょっと働き過ぎ。

中嶋:そうなんですか。

石内:うん、他にいない。ただ、なんで私大川美術館でできたかっていうと、一回だけ大川さんと会ったことがあって、お話ししたことがあって、もうすっごく…… 知ってますよね。すっごい変な人なの。ちょっとあんな人いないよね。

小勝:ええ、話し出したら2時間3時間。

石内:次から次へと、どんどんどんどんこう言葉が出てきて。圧倒的だよね、圧倒されちゃうよね、あの人。その時に、大川さんは写真のこと全然分かってなくて、で、初めてお会いして私からなんだかんだ言うのも…… 全て聞きおいて、次に会う時に話しをしようかなと思ったら亡くなっちゃったの。

小勝:そうだったんですか。展覧会決める前に亡くなっちゃったんですか。

石内:ええと、決めた時はまだいらしたかな、入院してたかな。たぶんまだいらしたときに決まったんだ、1年くらい前に決まってたんで。でもまあ、これも縁ですよね。桐生で一個しかない美術館です。

小勝:そうですよね。

石内:そういうなんだかんだと人の、人脈も少しずつできてきて、去年辺りからその雑誌で撮り下ろさないかっていう話しが来たときに、私たぶん桐生しかないなと思って。始めたら雑誌がもうなくなっちゃうんだからさ、ああしめたと思って。雑誌で発表…… ま、いいけどさ。だから私はもっと自由に、好き勝手に撮ればいいわけだから。

中嶋:制約がなくなった。

石内:そうそう。だからその、動物園も撮ったし遊園地も撮ったし、もうほんとみんな撮った。

中嶋:そうなんですか。じゃ、布だけではないんですね。

石内:ていうか、「絹の夢」っていうタイトルだからね。

中嶋:もうタイトルも決まっているんですか。聞いちゃいましたね。

石内:夢だから何を撮っても良いの。何撮ってもいいの、夢だから。一応キーワードは絹なんですけど。クラシックカーも撮ってるのよ、私。

中嶋:ああ、そうなんですか。

小勝:クラシックカーのそういう博物館みたいなのがあるんでしたっけ。

石内:うんうん。偶然。クラシックカーのフェスティバルがあったの。

小勝:あ、フェスティバル。

中嶋:桐生で。

石内:いや、楽しかったな。母が乗ってたあの車も出ていたの。

小勝:ああ、そうなんですか。

中嶋:それは運命的ですね。

石内:だからまぁ、一応「絹の夢」ってタイトルも決めているんだけど、何を撮っても良いんです、夢だから。

中嶋:でも桐生はやっぱり絹で栄えた、一時期すごく栄えた町ですしね。

石内:結局その、日本の近代化。日本が一番元気な時なんですよ、桐生の町が一番栄えていたのは。だから絹もそうだし、クラシックカーもそうで。そこら辺がうまく出てくると面白いかなと思って。だからまぁ、夢の後みたいになっちゃうんだけど。

小勝:それはどういう形で、やっぱり写真集とか展覧会とか。

石内:一応。ちょっと、まだ決まっていないけれど、美術館が半分くらい決まってるからさ。一応撮り下ろしで発表するところが。まだ言っちゃいけないから、ちょっと言えないんだけど。ま、もちろんそこはカタログを必ず作るところだから、それとは別に写真集はちゃんと作ろうかなと思ってます。

中嶋:それは楽しみですね。

石内:うん、なんかね、今までで一番なんか、いいかな。まだ撮ってないんで、これから撮るんだけど。

小勝:これから、まだ。

石内:基本的にこれから。去年撮ったのそこにありますけど、まだ見せないけど(笑)

小勝:銘仙は当然カラーで撮っていらっしゃるんですよね。

石内:うん。

小勝:街なんかは、モノクロかカラーか。

石内:いや、基本的にカラーだね。

小勝:全部カラー。

石内:いや、新井(淳一)さんはモノクロで撮ってるって。皮膚を撮っているから。でもモノクロにする必要はないのかも知れないな。まだ分かりませんけどね。着物は良いですよすごく、銘仙。とにかく派手。こんな模様があるの、みたいな。
 (写真の)発表はたぶん13年になりますけれども。

小勝:2013年。

石内:たぶん決まるんじゃないかなと思うんですけどね。たぶんそれも、私実はその《ひろしま》からあるもんですよね、これ全部、ジョーゼットも全部絹なのね、残っているのは。本当にこんな今もう65年でしょ、いまもこれある訳だから。何で残っているかって、本当に質が良いの、糸が。今は混紡だからさ、今の時代純正なんて高くて着られないでしょう。ほとんど混紡の時代になってしまっていて、昔の絹はね、すごく質が良い。

中嶋:それで残ってる。

石内:そうです。それもある。繊維の質がね、まったく違うんですよ。これはもう、原爆を受けているんだけど、普通残んないよねこんな風に。よく考えるとすごく不思議なんだけど、こういうものって。

中嶋:そうですよね。おっしゃっていましたけれど、ある意味で原爆を受けなければ残ってもいなかったという意味でも不思議ですよね。

石内:そうそう。

小勝:そうですね、消耗して捨てられているはずですよね。

石内:で、実は(広島平和記念資料館の遺品には)着物がないんですよ。着物。

中嶋:そうなんですか。

石内:桐生タイムスの蓑崎さんが「着物はないの?」とかって言われたから、私そんな風に見てなかったから問いあわせたら、ないの。何故ないかっていうと、着物っていうのは3代つづくものだから、資料館に入れる必要がないの。それと、やっぱり着物はすごくいろんなものにリフォームできる、洋服はできない。だからたぶんそういう風にして、寄贈する必要がないんだと思う。着物は。

中嶋:じゃあ、持っていらっしゃる方もいらっしゃるかも知れないんですね。

石内:だからちゃんとした物は、たぶん次の世代に渡すことができるでしょう。で、たぶん被爆っていうか、ぼろぼろになってもあるところはちゃんとしてるわけだから、それはリフォームできるわけだよ。

中嶋:戦後に使われたかも知れないですしね。

石内:ないんだもん、本当に、着物。びっくりする。私も、着物ってそういえばないなと思って。でもかろうじて2着ぐらいありますけど、それを撮りに行くんだけど。
 だから、いろんなことの時代性も含めて、この繊維というのはいろんなことを語るんだよね。洋服っていうのはやっぱり人間の為にあるわけだから、その時の産業とか文化、いろんなものをひっくるめてやっぱり洋服、着物もそうだけど、身にまとう物っていうのは、すごくいろんなことを教えてくれる。

中嶋:そうですね。そういう意味では、物ともつかず。

石内:そうだね。遺品というのは物とも言えないよね。その人のもう身代わりみたいなものだから。誰の物かはわからないけれども、若い女の子だったわけだからさ。そう考えると、すごくリアル。身近なものに感じることができる。だから広島をそういう風に語らなくちゃいけないんですよね。だから過去の被害者的な記録みたいなものの時代はもう終わったんだよ。それはそれで良いの。時代性だから、土門拳さんから始まってずっとそういう歴史を持っているわけだから。その中で、やはり私は今の時代に出会ったと思う。

中嶋:そうですね、被害者に一括してしまうと見えなくなってしまうものも……

石内:それと告発とかね。そういうことではもう何も伝わらない。反省では伝わらないですよ。

小勝:やっぱり、自分といかに引きつけられるかという。

石内:うん、だってさ、過去の事件ってやっぱりリアルに感じることはできないですよ、どう考えたって。まして私、被爆者なんか誰も知らないし。現実的に周りに誰もいなかったりすると。だから私が写真を撮ることによってすごく身近に感じることができたのは、本当にありがたいと思う。それは写真を撮っているという、写真に対してすごく私は「ありがとう」って言えるかも。写真じゃないとできないものだから。たぶん、これ。

小勝:それは本当に見る者にとっても、石内さんに「ありがとう」って言いたいと思います。

石内:あ、いや、本当にそう言っていただけると本当に嬉しいんですけれども。

小勝:本当にそれぞれの人のかけがえのない人生というのがね、この残された服に…… 

石内:そうなの、洋服ってね、表してるの。ぼろぼろだけどね。
 だから、「美しすぎる」って批判する人がね、言ってるその彼女に言ったんだけど、「ねぇ、悪いけどもっと綺麗だったんだよ」と。「こんなもんじゃなかったんだよ」と。だから何言ってんの、みたいな。いいんだけど(笑) これを「美しすぎる」なんてあるわけないんだよ、もっと綺麗だった。新品だった時、彼女たちが着てた時はもっとちゃんと美しくて素敵な物だった。これを「美しい」なんて、と私は思ってる。

小勝:もう一つちょっとお聞きしたいのは、もともとその撮ることよりも現像がお好きとおっしゃっていましたが、カラーだと現像はなさらないわけですよね。

石内:そうですね。撮るだけですね。

小勝:その辺はいかがなんでしょうか。

石内:あのね、カラーを始めて気がついたことがあって、自分の手から離れる面白さ。

小勝:そうなんですか。

石内:だからもう、撮ることはあんまり興味ないとでき上がったものにはすごい興味があるわけでしょう。モノクロの場合は、もう全部自分でやんなきゃいけないから、全て抱きしめてるかんじなのよ。それがカラーは人に渡さなきゃいけない、フィルムを。で、ああこうかって見た時に、なんかすごくね、自分から離れていく快感みたいなのがあるの。で、もう一回戻ってくる感じ。「写真てこういうことなのか」(笑) なんか、勝手なことをいっているようなんだけど、面白いな、と思って。離れていく感じが。だって何にもできないんだもん、私、撮るだけで。撮ったって何が写ってるかわかんないし。どうやって写っているかよくわからない。

小勝:そうですよね、フィルムだとね。

石内:どきどきしながら見るんだけど、「ああ写ってたな」みたいな。デジタルは見えるからね、(フィルムは)見えないからさ。だから、このなんか、なんだろうな、距離感、これも一つの距離感だよね。カラーという、モノクロと違う要素がいっぱいあるわけだから、これって写真ってきっとこういうことなのかな、って。

中嶋:一般的な人にとっての写真っていうのはそういうものですよね。撮って戻ってきて、思ってたのと違う、とか。

石内:私は思ってたより違うことはないんだ。絶対イメージ通り以上に写ってる。それは不思議なことで、「ああ、写ってるな」とか、「ピント合ってるな」とか(笑)

中嶋:それは合ってると思います(笑)。

石内:いや、合ってない時があるわけよ。いや、私の写真は実は、ピント全部合ってないんですよ。一点しかあってないの。ていうのは、手持ちだから。肉眼に近い、肉眼なんて一点しか合ってないわけだから、全部合わないわけよ。だから甘いの、私の写真。ピントが甘いのがこの感じにまた出るわけですよ。

小勝:なるほど。

石内:別にテクニックじゃないんだけどさ、手持ちだから。要するに物撮りじゃないから。物撮りは全部ピントが合わなくちゃいけないんですよね。私は物を撮ってるんじゃないから、一点にだけピントが合えばいいと思ってるんですよ。それはかなり意図的に考えてるんですけど。

中嶋:ああ、そうなんですか。

石内:そうですよ。ピントは一点しか合ってない。

小勝:その合ってないところが本当にあの、かえって綺麗なグラデーションというか、群馬近美のこの展示も素晴らしかったですけれども。

石内:そうだね。うん、群馬はうまくできたよね。私本当にそれはね、泊まり込んでやったかいがあったと思って。

小勝:こうやって写真、この会場写真は誰が撮ったんでしょうね。群馬近美からいただいたんですけれども。こうやってみると、それぞれの爪とか見えるんですけれども、近くに寄ると見えない。何でかわからないこのグレーのこの濃淡の中に包み込まれたような気がして、本当に素晴らしかったですね。(小勝禮子 「石内都展展評」、 『イメージ&ジェンダー』 10号 2010年3月 発行・イメージ&ジェンダー研究会)

石内:いや、だからこれは建築の磯崎新と戦ったんだよ。本当に、建築家ってこういうこと、よく分かった。彼はリニューアルしてまだ1年も経ってないでしょう。新しくリニューアルしたばっかりだったから。

小勝:ここのね、照明が全部新しくなった。

石内:いや、もう戦いっていうのはこういうことだと思った。それだけすごい私は力入れてやったから。面白かったし、評判も良くて。

小勝:素晴らしい空間でしたね。

石内:みんな目黒の巡回展だと思われて来なかった人が何人かいて、私は巡回展はやらないから、テーマ違うし。で、インスタレーションが。

小勝:パーティションがなかったですからね。

石内:ちょっとこれは自慢できるんですよ、実は。

小勝:これは本当にすごい空間でした。

石内:写真はやっぱり、紙っぺらなんで、空間で左右されちゃうの。見せるという意味において、やはりきちっと計算じゃないけど、考えて展示しないと、良い写真もよく見えない。写真をより良く美しく見せる方法っていうのは、やっぱり展示なんだよね。それをやっぱりどういう風にするかっていうのはその人が、私は展示好きだからやってるんだけど、人には頼めないから、全部隅から隅まで自分でやるけれども。何か面白いもんね、搬入って。

中嶋:ああ、そうですか。

石内:搬入大好き。

中嶋:写真家って展示に協力される方って多いんですか。

石内:あんまりいないよね。

小勝:いや、写真家って、そうですよね。 

石内:現代美術の人は自分でやるけれどね。

小勝:そうです、そうです。

石内:すっごい楽しい。

中嶋:それはやっぱりインスタレーションなんですね。

石内:その場にならないと分からないから、平面図じゃなんかあれを見てても分からない。

中嶋:そうですよね。高さもね、違いますしね。

小勝:光の感じがね、ここ(群馬近美)は新しくなって、すごく良くなりましたね。

石内:そうそう、私あのスポットライトが大嫌いなので、これはしめたなと思ったの。フラット上からの天井の光だけなんで、影があまりできなくて。ただこの、これが駄目、床が駄目。床がへんてこりんなピンクでさ、なんなんだあれ、ちょっと床がこれは駄目だったな。それと可動壁が、これは作ってもらったんだけど。

小勝:天井までなかったんですよね。

石内:みにくいよね。すかっと見えるの、向こうが。

中嶋:それは(笑)。

石内:それが、ここの通りの作り付けだか、可動壁。私、条件は、これじゃやらないって言ったの。作ってくんなきゃ、やんないって言ったの私。寸法を測って、この高さじゃないと私はやらないよって言ったの、脅かしたの。全然違うもんね。見えちゃうもん、向こうの方が。

小勝:可動壁は、そうですね。

石内:あれも建築家が作るの?

小勝:いや、そんなことないです。可動壁は別なんだと思いますね。

中嶋:最後になりますけれども、一日をどうすごされているか、という質問事項がございまして。先ほど日常生活では写真は撮らない、というお話がありましたけれど。

石内:写真はね、本当に撮らない。撮るって決めて撮るでしょう。だからたぶん、1月写真撮ってないよな。2月は広島にちょっと行こうかなと思って。まだ撮りきれてない新しいものも着いてんのかもしれないけど、やっぱり見過ごしてるわけ。いっぱいあるんだよ。1万9千点もあるから。

中嶋:1万9千点ですか。

石内:うん、だからその中でやっぱり、データーベースがあるんでそこからチェックして、撮ってるんですけども。結局それはでも、まだ発見みたいなものがあって。それで、2月は撮りにいきますけど。月に1度も写真撮ってないんじゃないかな。

小勝:ええー。

中嶋:普段、カメラは全然持ち歩かれないんですか。

石内:うん。

中嶋:日常的に生活していて、これは撮りたいとか思われることは。

石内:あの、ちびカメラは持ってますよ。オリンパスとか、ちっちゃいカメラはね。でもそれも最近なんか、撮れなくなっちゃったな。あの、撮るのがもともと苦手だから、あまり写真撮るっていうのが(笑)。

中嶋:何度聞いてもよく分からないんですけれど(笑)。

石内:どうして、なんかみんな…… だって、写真…… いや、男の人は写真撮るのすごい好きだよね。

中嶋:ああ、それは何となくわかるような気がします。

石内:なんか快感があるのね、撮ることに。

小勝:なんか非常に暴力的なところがありますよね。

石内:うん、いや、そうよ。カメラっていうのは武器だからさ。人を射止めるみたいな

小勝:シュート。

石内:だからなるべく私はカメラは持たない。なるべく撮らない。

中嶋:なるべく撮らない写真家、という事ですね。

石内:日々何をやってるか。あのね、時間があると私はレシピを読んでる。

中嶋:料理の。

石内:楽しい。こうやって、「ああ、いつか作るぞ」、気分がすごくね、変わるの。

中嶋:そうなんですか。

石内:うん、料理のレシピを読んでると全然別の次元に行けるから、すごい楽しい。だから本を読むのは、レシピの本ばかり読んでるの、私。暇になると。

中嶋:でも、ご本も本当にたくさんお持ちですよね。写真だけではなく、文学から色々な現代美術のカタログもたくさんありますし。

石内:いや、これは一部ですよ。

中嶋:ああ、そうですか。

石内:そうですよ。東京には嫌ってほどあります。その辺にもあるし。

中嶋:漫画もあるので、ええと、前回…… 

石内:あそこにあるの、漫画なんだけど、あれ何だかわかる?

中嶋:どれ…… ああ、わからないです、何ですか。

石内:『ナニワ金融道』なの(笑) 読みたくってね、いやぁ、面白いですよあれ。

中嶋:面白いですよね。

石内:こっそり、こっそり。

小勝:桐野夏生さんもお好きなんですよね。

石内:はい。実は…… 

小勝:お会いになったんですよね。

石内:うん、この間また会っちゃって、もうすごいどきどきしちゃった。

中嶋:お知り合いなんですか。

小勝:そもそも西川さんと会ったのも、桐野さんのパーティー……

石内:いや、そうじゃなくてリンダ(ホーグランド)。リンダの関係で。この前リンダの忘年会で、まさかいると思わなかったら隣にいた。「ああ、桐野さん」って。2回目なんだけど。

中嶋:(リンダ・ホーグランド氏監督の)映画に出ていたんですか?

石内:映画は出てない、映画は関係なく。なんかあるんだな、あの二人、何かが。よく分からないけど、私。

小勝:桐野さんの小説面白いですよね。

石内:でも『OUT』(講談社、1997年)が一番かな。

中嶋:それを聞いてちょっと思い出すのが、「負のエネルギー」ということを塩田千春さんとの対談でおっしゃっていましたね(ギャラリートーク「塩田千春×石内都」2010年4月10日、SHISEIDO GALLERY)。

小勝:そう、素晴らしい対談。

石内:ああ、塩田さん。あれはなんか本当に、文字化したいほど今までで一番。

小勝:やなぎみわさんと塩田千春さん、山城知佳子さん、西川美和さんとの対談がありますよね。

石内:森山さんでしょう、森山大道。この間、町口(覚)さん、デザイナーの、それも面白かった。3時間、あっという間に過ぎた。デザイナーと話すって結構楽しいんだよ。私それは、デザイナー志望だったから。一番のプロはデザイナーだと思ってるんだ、私。

小勝:町口なにさんですか。

石内:町口なんだっけ、覚だっけ。

中嶋:町口覚(アート・ディレクター、グラフィック・デザイナー)。

石内:いや、面白いですよ、彼。今一番受けてる若手。40くらいかのデザイナーの、今一番じゃないかな。

小勝:その、女性のアーティストとは、みんな若い世代の人たちですけれども、どなたが面白かったですか。

石内:それはもう、塩田さんですよ。

小勝:塩田さんですね。

石内:作品は見てたけど、本人に会ったの始めてだし、どんな顔してるのかもよく知らない。で、本当に偶然彼女の作品をどういうわけか、日本における発表をほとんど全部見てたの。あの、横浜のトリエンナーレ、あのでっかいやつ。あれも偶然見てたし、あれが初めてかな、見たの。関内のあそこでやった……

小勝:神奈川県民ホールギャラリー(「沈黙から 塩田千春展」2007年10−11月)。

石内:あと、国立国際も見てるし、あの靴の作品ですね(「塩田千春 精神の呼吸」国立国際美術館 2008年7−9月)。
 で、気にはなってたけど、私のほうからアプローチする気は一切なかったんですよ。あ、丸亀(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館)を観て、丸亀で一緒だったんだ。そうそう、丸亀で「奏でる身体」、とかいうので一緒のグループ展があって。(「奏でる身体」展 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 2007年4−6月) その時に彼女の初期の作品、泥のお風呂に入ってるのとか。ああいうのを見て「面白いな」と。そうしたら去年ベルリンから、オファーが。

小勝:資生堂ギャラリーの展覧会で(注:「椿会展2010 Trans-Figurative」2010年4−6月)。

石内:そうですね。『WORD』、『WORD』って、なんか対談やるところで。びっくりしちゃった、私。「えーっ、塩田さん?」って。

小勝:塩田さんから石内さんをオファーされて。

石内:そうです。そうそう。そうしたら彼女は私のエッセイ集を持っていて、『キズアト』(2005年、日本文教出版)という。あれを全部読んでいて、かなりちゃんと私のことをきちっと把握してたんですよ。それもすごいびっくりして。

中嶋:塩田さんにとっても、あの対談を聞くと、石内さんがすごく特別な存在なんですね。 

小勝:なんでしたっけ、峠の先を重い荷物を背負って遙か先を行っている人、みたいにおっしゃっていましたよね。

石内:いや、だからね。若い人って、ちょっとやっぱりそれは一流の人はやっぱりね、ちゃんと見るものは見てるし、で、無駄がない。無駄がないって失礼な言い方だけど、なにかポイントがあるんですよね、人に出会うっていうのは。やっぱり私は、ベルリンに行って彼女に会いたいなって思ってるし、だからなにか、ものを作るってお互いに共通するものとそうじゃないもの、両方持ってるから。その辺が旨く話しができたのが、塩田さんだったの。で、年がこんだけ離れていて、日常的にはほとんど関係ないわけだから。作品があるから、本人同士はどうでもいいんですよ。

小勝:負のエネルギーとして(通じる)。

石内:そうそう、作品がやっぱりお互いに通じるもの。本人は、私は本人はどうでもいいと思ってるの。私はなんかどうでも良いから、作品をちゃんと見てくれ、と。私個人の人物紹介は、どうでも良い様な気がする。作品の紹介は、私が喋るのは作品について喋ってるんだからね。私個人の生き方なんてどうでも良いわけですよ。
 
中嶋:対談されている方々みんな石内先生のことをすごく尊敬されてますよね。やっぱり、ロールモデルにしては遠すぎるけれども、やっぱり自分が作家として生きていくための目標というか。 

石内:それはやっぱり女性っていうことと、やっぱりちょっと先を歩いてるって事じゃない、年代的に。いないんだよ、やっぱり、それほど。残念ながら、いそうでいない。私の上なんかいないもん。ま、いますけど、あの、ね。草間さんとかいますけど、やっぱりちょっと違う。ま、中間みたいなもんでしょう。

小勝:石内さんより上の世代の人って、自分が特殊で優れていて、それだから自分がこれだけやってるんだっていう感じのタイプの方が多いと思うんですよね。

石内:いや、あのね、女性のアーティストは、昔の人たちは金持ちじゃないとできない。お金。

小勝:そうそう、それはもう前提条件ですよね。

石内:あの二人もそうでしょう。オノ・ヨーコさんにしても、草間さんにしても、圧倒的なお金がないとできないんだよ。

中嶋:行けないですもんね、ニューヨークに。

石内:ね、それはだから彼女たちが恵まれてたの。恵まれてるし、才能というのは一つ特徴があるというね。草間はやっぱり、精神的な病でしょう。オノ・ヨーコさんはジョン・レノン。お互いになにか他のものを持ってるの。私は何も持ってない。その違いがある。

中嶋:話をできる感じがするんですかね、こういったらちょっと失礼かもしれないですけれども。

石内:うん、ていうか、すっごく変な話しだけれど、私チンピラなんだよ。

中嶋:チンピラ(笑)。

石内:良い意味で、すごく良い意味でね。

小勝:親しめる、というか。

石内:うん。今までのアーティストはやっぱりすごく選ばれた人で、エリートなの。すごくエリートが、やっぱりアートしかできない人が、お金があるからできるっていう状況はあったけど。私の場合は、エリートでも何でもないわけだよ。

中嶋:ご自分に対する意識の違いもあると思いますけども。

石内:意識は一緒だと思うよ、私。何かを創作したいという意識は、そんなに変わらないと思う。環境だよ、環境。環境が大きいと思う。確かに戦後生まれで、戦後の時代とはちょっと違う。ましてはベビーブーマーという一つの世代もあるから、その違いはあるけれども、じゃもっといても良いかなと思うけどいないじゃん。同世代。

中嶋:いないんですよね。

石内:不思議なことに同世代がいない。だからやっぱりそれはもう、しょうがないね。生まれた時から、運命。決まってるの。そう言うと身も蓋もないからあれだけど。でもちょっとタイプが違うんですよ、女性という意味においても。今までの女性のアーティスト。

中嶋:そうですね。

石内:と、違うと私はすごく自覚がある。

小勝:ただおそらく、次の世代の女性のアーティストにとっては励みというか目標になるんでしょうね。

石内:そういっていただくと、ちょっと嬉しいというかなんか怖いなっていうか、困ったわと思うけれども(笑)。そうかもしれないね、私を指名してくるっていうのは何かその親密感じゃないけれども、近さ? なにか共通の問題点があるんだと思う。だって、オノさんや草間さんなんて、共通っていっても、ちょっと。ちょっと、無理だよね(笑) 制作っていう意味ではいっしょだけど。個人的なものからいうと、ちょっとキツイよね。私は本当にチンピラだから、別に(笑)。別にその辺にいるのと同じだもん。

小勝:でも石内さんはやっぱり、お若い頃途中で止めたとはいえ、ウーマンリブの活動というか、そういうのをして、女性たちのお互いに引き上げていこうというか、そういう意識は……

石内:いや、そうじゃなくて、やっぱり女で生まれたって一つの条件みたいなのがあるでしょう。そうすると、こんだけ長く生きてるといろんな事がある中で、女性はやっぱり対等ではないわけですよ。それは身を持ってずっと私は生きてきたことで、やっぱり女性を味方するっていうんじゃないけど、なんていうのかな、やっぱり意識しなきゃいけない。他者ね、他者の女を意識しなきゃいけないなっていうのは、それは当たり前の事だと思う。その反戦平和と同じようなものだと思う。たぶん。

小勝:わざわざ口に出さなくても、当然の。

石内:言わなくても当たり前の、現実的な。いや、ものを創るってさ、そこまで意識がないとものなんか作れないわけだから、基本的な姿勢だと思いますけどね。

中嶋:若い世代にとって多くは「女性だから」っていう評価はそれほど積極的に捉えないですよね。自分の女性性というものをどういうふうに考えるっていうことも、なるべく遠ざけているような感じもしないでしょうか。

石内:いや、若いうちはしょうがないよ。

中嶋:ではだんだん変わるかもしれない……

石内:だってそれはやっぱり学ぶって事、若いうちはやっぱり学べないよ。と、自分の事を考えると(笑) 今だから言える事っていっぱいあって。確かに昔から変わらないとこもいっぱいあるけれども。やっぱり肩に力が入ってたもん、若いときは。

中嶋:そういうことを聞くと、本当に生きていくのが楽しみになります。

小勝:そうですね。

石内:いやいや、結構楽しいのよ、年取るのは。

中嶋:ああ、そうですか。

石内:若いときはやっぱり、赤面の日々だよね。恥ずかしいことだらけ。もう二度と帰りたくない。もう若いとき、いや。
今が一番。

小勝:それはいいですね、一番。

石内:ていうか、今が一番っていうより、なんか年取る面白さみたいなのがね、やっと少しずつ。やっぱり自分を肯定しないと生きていけないわけで、その肯定をどういう風な枠組みで、肯定していくか。全肯定してもしょうがないんだけど、その辺が年取る、なんかこう、楽しさ。

中嶋:まだお若いですよね。

石内:いや、そうでもないのよ。もうすぐ、だっていい年でね、もう。ただ私若い人を見ていて、幾つ違うとか自分の子どもみたいな、そういう考えが一切ないの。対等なの、私。

小勝:同じ表現者としてね。

石内:年は関係ないんですよ。ものを創るっていうのは。言ってみればある種ライバルなんだから、そういう気持ちを持たないと。
若いからって許すことは何もないの。経験がないからって、それは言い訳にはならない。

中嶋:頑張らないといけないですね。私は作家ではないですけれども…… それぐらいで。

石内:大丈夫?

中嶋:はい、どうも有り難うございました。

小勝:どうも長い時間にわたって、ありがとうございました。

石内:楽しみですね。