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中村宏オーラル・ヒストリー 2012年6月30日

東京都現代美術館にて
インタヴュアー:鎮西芳美、藤井亜紀、加治屋健司
書き起こし:鏑木あづさ
公開日:2015年1月18日
 

鎮西:今日は1970年代の終りから80年代にかけての辺りのお話をうかがっていければと思います。

中村:1970年代の始め?

鎮西:後半ぐらいからですね。

中村:はい。後半以降ね。〈車窓篇〉ばかり描いてる辺りですね。

鎮西:そうですね。この頃に〈車窓篇〉っていう言い方もそうなんですけれども、ちょっとシリーズ化したタイトルっていうのを意識的につけられていて、そういうシリーズが始まっていく。ここには絵画と窓っていうのは、よく引き合いに出されることですけれども、この時に窓っていうのが、普通の窓じゃなくて車窓っていう動くもの、速度のあるものっていうふうになっていったと思うんですけども。ここで車窓っていうモチーフを先生が取り上げることになったという辺りのお考えを、少しお話していただいて。

中村:車窓っていうのは、いくつか要因がありましてね。タブローという四角いもの、これ建築用語らしいんだけど、本来タブローっていうのは。ドアとか窓とか、四角い開口部っていうんですか。そのことをタブローって言ってた。それを、絵も四角いから転用するようなことがあった、っていうことを聞いたことがあります。これ、日本じゃないと思うんですがね、こういう言い方は。私は割と好きで、四角という幾何形風な捉え方。作品とか絵画とかって、ちょっと情緒的な言い方よりも、タブローって、四角ってペロっと言っちゃう辺りが割と気に入ったので(笑)。タブロー、タブローって言いましたけども。その連想で、なるほど四角いものっていっぱいあるなって。人間は生活との関係の中で、そういう四角っていうことにだんだん落ち着いていったと。一番卑近には窓、ドアなんていうのは、全部四角。あれを皆、タブローって言う風に言えば言える。そういうことの連想がある。
もうひとつはね、実はサルバドール・ダリが、その前に言葉として「眼は心の窓」っていう、普遍的な言い方がありますね。それをもじって、ダリが、「絵は心の窓」っていう風に、「眼」を「絵」に替えちゃってるんです。自分の絵のことでしょうね。それをさらにもうひとつもじって、単に比喩ではなく、換喩として、絵そのものを窓に見立てて描くっていうことに発展した。それから、いくつかヒントがあったんですが、ターナー。《雨、蒸気、速度》(1844年)っていう長い題名の絵。『風景画論』という中で、ちょっと著者名を忘れちゃいましたが。

加治屋:ケネス・クラーク。

中村:そう、ケネス・クラークが書いてますね。その中に、ターナーが汽車に乗ったその時の経験談みたいなのを、書いてますよね、あれをたまたま読んで、これはおもしろい、というようなことで(笑)。本当に雨に濡れて覗いてたらしいですよね、窓から。その真似をしましてね、私もね。雨こそ降ってませんでしたけども(笑)。上野から出ていた房総線っていうのがありましてね。それに乗ってね。私の場合は床にぺったん、と上向きに寝たのかな。ガラ空きでしたからね。

鎮西:電車の中で。

中村:ええ、電車の中で(笑)。

鎮西:ええ!

中村:(笑)床に上向いて寝るとね、ぐーっと窓が両側に.上の方に見えるじゃないですか。360°見えますからね。なんとも言えない気持ちというか(笑)。そういう体験をちょっとしたということもありまして。ああ、これは絵になるなということで。最初に車窓を描いたのはですね、実はポスターでね。早稲田大学祭の図柄。確か窓枠を利用して、星かなんかがぴょーっと外から入り込んできてるようなポスターがあると思うんですがね。ああ、これです(注:《第22回早稲田大学祭》1975年)。これが最初に車窓を描いたものですね。自分としては気に入って(笑)。そしてそれ以降、急に車窓づきまして、いろんなヴァリエーションをやりました。

鎮西:例えばこの辺りは車窓っていう意識は。1967年の《遠足》に列車が出てきますけど。結構、遠近の。

中村:あんまりなかったですね、まだ。

鎮西:このときはまだ、そういう意味での窓っていうのは。

中村:なかったですね。あくまで列車がモチーフのひとつとして入るだけ。しかし、この辺になると結構、車窓そのものを描いています。

鎮西:《円環列車・A―望遠鏡列車》(1968年)の頃。

中村:その辺も車窓の連続になっていて。

加治屋:《円環列車・B―飛行する蒸気機関車》(1969年)ですね。

中村:それは、ほとんど最後の方ですかね。《車窓篇TYPE 11-B(ローズマッダーの残像)》(1982年)とかいうのにいって。発想は車窓なんですよね。そのスフマートのやつ(《AIR=スフマート漸進No. 0-19 TYPE3》1976年)。これはもう、画面そのものが車窓になっちゃってて(笑)。ちょっとミニマルっぽくね、車窓=タブローそのものにしちゃったんですが(笑)。

鎮西:これは確かに、本当にある意味先生がさっきおっしゃった、四角っていうものが連続で並んでいくっていう。

中村:そうですね。当てはめちゃった。

鎮西:実際この時って、先ほどのお話じゃないですけど。特に作品というような情緒的な言い方ではなくて、ある種、即物的に四角っていうことに着目されたとおっしゃったんですけど。例えばそれこそミニマリズムのようなものとか、そういうのはこの当時は。

中村:うーん。その頃っていうのは、確かに言葉として知っていました。いわゆるモダニズムの最先端としてね。東野(芳明)さんなんか、相当言ってた。中原(佑介)氏も言ってたけれどもね。僕はよくわかんなかったんですよ(笑)。まぁ最小限、程度の解釈しかなくてね。絵画において最小限って一体、どういうことかなって。抽象画で丸、三角、四角を描きゃいいのかな、程度のね(笑)。素朴な解釈はできたにせよ、一体なにを指しているかもよくわからなかったです。だからこれはミニマリズムの意識では、全然やってませんね。どっちかっていうと、もっと車窓の延長でね。

鎮西:連続というか。

中村:そうそうそう(笑)。もうひとつ、スフマートというか。ダ・ヴィンチの『絵画論』を読むと、書いてあってね。黒地に白い薄塗りのグラシ(透明色をうす塗りする技法)を重ねていくと、きれいなブルーが得られる。本当かな、と思ってやってみたら、出ない。嘘つきやがって(笑)。

鎮西:この辺りは古典技法の油絵をやって、という部分でやっているんですね。

中村:古典技法と車窓篇をひっくるめてやってます。不思議でね。暗い部屋だとね、きれいなブルーにはならないけど、紫っぽく見えたんですよ。グレーの諧調がね。紫に見えるの。これを指して言ったのかな。あの時代のアトリエってのは暗いし、ライトなんかないし、どうせロウソクで描いてたんで。あるいは昼間だけ、窓越しに描いてた。その時はブルーに見えたのかもしれない。ブルーというか、ちょっと紫に近いような色に。これもそういう位置に置くとね、紫っぽく見えるんですよ。ほら、なんとなく見えるでしょ。

鎮西:印刷のせいかな。

中村:うん、このブルーは印刷のせい。現物でも斜めにしたりね、光源に対して正対じゃなくてこの「AIR」を斜めに置くと、紫に一瞬見えるでしょう。

鎮西:ちょっと墨絵というか。

中村:ダ・ヴィンチはそのことを言ったのかなと勝手に想像しましてね。

鎮西:先生、これはご自分のアトリエでお描きになったんですか。

中村:もちろん。

鎮西:練馬の。

中村:練馬ですね、この頃は。

鎮西:この時って1枚、1枚作られたんですか。

中村:うん。これは1枚1枚。それこそ、こういうのってのは、たい焼きじゃないけども(笑)。並べといてね。『絵画論』があって、それを忠実にやろうと思った。黒い地に白のグラシをかけると、そこにすごいきれいなブルーが見えるっていう風なことしか書いてない。だからちょっと実験的に、いろんな濃さのホワイトを乗せてってますね。これは黒系、地だけ。これは白だけ。その間をこうつなげたんです。

鎮西:これが地で、この上に段々、白を重ねていく。重ねる白の量を変えていってるっていうことなんですね。

中村:そうですね。そういう風にしたんですね。ただ絵画論には、そんな風には書いてないですよ。『絵画論』は、ただその技法上、黒とホワイトで、もうそれだけでブルーになるって書いてあって。不思議だなと思って。

鎮西:ここは逆に、先生の解釈というか、独自のプランの。読み替えというか。

中村:ダ・ヴィンチの描き方っていうのはね。あの時代ってのは自然学がすごく発達してきてる。宇宙っていうのは黒だ、と。その下に空気の層がある。さらに人間はその下にいて、真上を見てる。だからスカイブルーのきれいな真昼間のあれは、太陽光線が横からすっとそこへ入るために、これはもう科学的な証明として当然だと。それを絵でやってんですよ、そのまま。宇宙が黒いから、黒い絵の具を塗る。空気の層は白いから白を塗る。そうしたらブルーになるはずだってことなんですね(笑)。自然科学的な解釈で。実際はならないわけでね(笑)。でもその辺は、おもしろいかなぁということでね。なろうがなるまいが、やってみましたよ。ちょっとダ・ヴィンチ気取りでね、やりましたよ。で、ある日ある時、一瞬ブルーにピカッと見えて。あ、これか!と思っちゃったことがあります。もう夕方になって、電気をつける前に。アトリエで。

鎮西:じゃあ、本当に暗い感じの。

中村:うん、薄暗い時ね。真っ暗じゃしょうがないけど。まぁ後からすーっと斜めに入ったときには、もっとブルーに、紫に見えたの。一瞬。グレーって色はね、どうも後でカメラマンに聞くと、フィルムでグレーを撮るのが一番嫌なんだそうですよ。うんとピンクっぽいかブルーっぽく、どうしても写っちゃうていうのね。あれはなんか、光の加減とフィルムの加減でそうなるらしい。

鎮西:これってコクピットみたいなもので、この前を飛んでる飛行機を狙ってるっていう。

中村:ええ。これはまるで戦争中の軍用機でね。照準器っていうんですよ、これ。二重丸になって十字に入って、そこの中心に前を行く飛行機が入ったら、撃てっていうことらしいんですよ。ダダダダッとね。そういう風にちょっと狙うというか、眼を集中させて狙撃というか。そういう意味でね。ちょっとドラマチックに描きました。はい。グレーだけじゃ私の力量じゃ、とても絵にならない(笑)。照準器を描いて、なんとなくそこへ眼を。

藤井:見て欲しい、じゃないけど。

中村:うん、見ろ見ろっていう(笑)。というわけです。

鎮西:なるほど、なるほど。

中村:そういうちょっとね、曰く因縁つけてね。やってみました。横一列でずーっと観ていただくとかね。今言ったようにセッティングしてもらうと、結構紫っぽく見えるんですね。そういう風にね。これ確か齣展ってところに出したんですが、その時はそういう装置はできなかったんですが。村松画廊。そこで小さな個室を作ってもらって、横一列に並べたんですよね(注:「中村宏展 1970年代-1980年代」1998年)。その時もちょっとライトを調節してもらって、結構いい具合にね、観れるようにしてもらったことが、一回だけあります。これもカラー写真でフィルムで撮って印刷したでしょう。これだけブルーに見えるっていうことなんですよね。相当紫っぽいでしょ。

鎮西:そうですね。

中村:これ、全然青系は入ってないのにね。

藤井:基本的には白と黒しか使ってない?

中村:そうです。全く黒と白しか使ってないのに、なんとなく紫っぽく見えるっていうのが。

鎮西:え、本当に白と黒しか使ってないんですか。

中村:全くそれ以外使ってない。もう教科書通りやってみたんですよね。さっきも言いましたが後でカメラマンに聞いたら、今使ってるフィルムっていうのは、どっちかに寄るんだって。ピンクかブルーかに。これもう、完全にブルー。印刷して。

鎮西:そうですね。

中村:白黒フィルムでやった方がまだ、元(の作品の色)に近い。カラーでやっちゃうとこれ、ブルー。でもこっちの方が、ダ・ヴィンチ先生の書いた『絵画論』に近いかもしれない。

鎮西:確かに。でも本当に、どういう照明を当てるかっていうところでね。色味は難しいですね。

中村:グレーっていうのは本当に嫌らしいっていうかね(笑)。純粋にグレーってなんだって言われても、わからない。色名表みたいなので言うしかなくて。《車窓篇TYPE7(キャビン)》(1979年)はグレーじゃないかな。ちょっと色を入れたかな。これはブルー入れたかもしれない。グレーだけだとちょっと。《車窓篇TYPE5(ドリル)》(1978年)はね、グレーだけだろうと思うんだけどね。

鎮西:うんうん。

中村:結局ブルーっぽく見えちゃうっていうことは、この時にわかりましてね。これを描いたために。だからあえてブルーを入れたりしなかったんですけどね。
そういう色の問題があったりしてね。なかなかおもしろいかな、というね。私の絵は基本的に具象画ですが、色だけ取り出して考えると、かえって具象だからそういう矛盾みたいなのがおもしろい形で出るかな、とふっと思ったんですよね。抽象画っていうのは、そんなことをいちいちしなくたって、もっと色をズボズボ使っちゃうわけでしょ。ブルーはどうしよう、とか、グレーならどうなる、とかね。考えちゃうんですよね。
その辺に、いわゆる色っていうことを、妙に理屈っぽく考えちゃいましてね。その辺から。まただいぶ後になるけれど、〈黄色法則〉(1990年〜)なんていってね。黄色だけっていう風にあれは考えましたけど。各色っていうのは全部それなりの法則性があって、それを絵にするって一体どういうことかなぁっていうね。いわゆる抽象画というか、色の純粋さっていうんじゃなくて。もうちょっと意味との関わりでの色、っていう風に考えていくとね。色彩学的な色っていうことより、なんて言うんだろう。絵になっちゃった上での色っていうのは、もうちょっと感覚的に受けてるんで、我々はね。それを最初から計算してやるっていうことはできるのか、できないのか、なんて考えたり。
これ(注:《車窓篇TYPE10-A(レオナルド)》、《車窓篇TYPE10-B(セザンヌ)》、《車窓篇TYPE10-C(デュシャン)》いずれも1981年)なんかもね、車窓にこじつけてやってみたんですが。これは確かね……これには書いてないですか。

鎮西:これはローズマッダーの。

中村:これもローズマッダーで、やっぱりホワイトのグラシをかけちゃってるんですね。上にね。

鎮西:じゃあこれも最初は、セザンヌとかデュシャンとか、そういうもののイメージというのを、下にローズマッダーの色で描き、そしてその上から白を乗せていったという。

中村:ローズマッダーっていう色がちょっときつすぎたんじゃないかと思うの、これは。それでちょっと、ホワイトかけてね。逆に霧の彼方に遠のかせた方がいいかな、という程度かもしれない。この場合はね。別の色になるってわけでもないからね、この赤系は。これはごく単純に、一種の模写を利用したような、パロディみたいな程度の意識でやってます。ただ、車窓がやっぱりメインですね、まだこの絵は。車窓を描きたい。外の風景は何でも良い、じゃいっそのこと名画を入れちゃえって(笑)。

鎮西:本当に絵を(笑)。

中村:ということでね、やりました(笑)。

鎮西:この辺りは。

中村:これ(注:《車窓篇TYPE9(ズーム)》1980年)はまたね、だんだん凝り過ぎちゃってて意味不明になってきちゃって。ズームってのは、急降下のことらしいですね。飛行機から。飛行機から地上に向かってバーッっと急降下すると、ブワーッとこう、来るらしいです(笑)。私は経験ないですがね。ズームってどうも、そのことみたい。急降下爆撃のときの視覚、みたいなね。で、ズームレンズとかズームという映画の技法があって。その辺がちょっとおもしろいかな、と思って絵でやろうとしても、これは無理な話でね。あれはあくまで前後間というものでもって、動かしているわけですからね。この場合は、同じパターンを三つ、大小だけでやってみているわけです。だからいわゆるズームのイメージはね、やっぱり無理である、とわかりましたよ(笑)。

鎮西:目指したものと。

中村:うん。ちょっと無理だ(笑)。

鎮西:ちょっと違うことになったと。

中村:ズームにならない(笑)。ただ大小の大きさをね、横位置に並べたというに過ぎないかな。他にあんまり効果があるとも思えないし。
こっち(注:《車窓篇TYPE11-B(ローズマッダーの残像)》1982年)のほうが、私としては。ちょっと絵としては弱いけども、ちょっとこっちの方が好きかなと思うんですね。これはまぁ残像も含めてですね。静止する1点と、後は遠のいていくっていう。横長にすればそうなりますよね。

鎮西:先生、この頃から。これってアクリルでしょうか。

中村:アクリルじゃないです。これが油の最後くらいです。これが油彩の最後。

鎮西:〈タブロオ機械〉(1986年〜)になってから、アクリルを導入されるようになっていくわけですね。

中村:そう。やたら乾きが早いし、描きやすいので。こんな風にめちゃくちゃに、大量に描いちゃったのね(笑)。もう本当に油絵具でこういうのを描くってのは、大変なんですわ。乾かす時間がなきゃいかんし、というんで、もう油絵具の面倒くささってのは、ずっとそれだけやってるうちは、それもひとつの仕事としてやってましたけど。一度アクリルの禁断の木の実を食っちゃうと、もういけませんね。戻れませんね(笑)。本当によくないの、アクリル絵の具ってのは。実に安易に早くできちゃう。

鎮西:この頃は古典技法っていうものを、いろいろと試されて。

中村:そう。これはもう、油絵具だから。

鎮西:油彩を、油絵具を使ってっていう。

中村:そうそう。いかにも油絵具でござるっていうのをね。どうせ油絵ならばそうしようっていう風な、一種の覚悟もあってやったんですがね。

鎮西:最初に使われた時って。

中村:こんななっちゃった(笑)。

鎮西:この時、初めてなんですか、実際。

中村:初めて、うん。もう恐る恐るですよ。ビクビクもんですよ。ただね、ここ(注:《車窓篇TYPE 11-B(ローズマッダーの残像)》(1982年))で残像を描いたんですね。実はうまくいってないんですよ。油絵具でぼかしで。残像ってのはすでにイタリア未来派にある、技法としてね。あれはぼかすよりも、重ねてるんですね、像を。本当に残像、なんて言って。これは残像っていうよりも、ぶらしてるわけでね。私の場合、まぁうまい人はうまくいくんでしょうけど。私の場合、うまくいかなかったの。それでアクリルでやってみたら、乾きは早いわ、水でジャバジャバにすればすぐにこんな効果が出ちゃうので、それでこんな風になっちゃった(笑)。もうほとんど、残像だけの絵みたいでしょ。でも雑巾がけって我々は言うんだけど、ボロ布で描けるし。いくらでもできちゃうしって、実に自由自在にできちゃうんで、これはいい材料だなっていう風になっちゃったの。

鎮西:やはり動きの要素っていうものを、その絵の中に取り入れていくっていう。

中村:そうですね。グラデーションを利用した残像効果を取り入れるとしたら、油絵具じゃとてもモターっとしちゃうわけで。こっちの方が遥かに。しかもこんな風に連続してね。ワンパターンをリフレインさせるっていうことが、できるんですね。アクリルだと。油絵具でこんなことやってたら、もう本当に1年も2年もかかっちゃって。とても描けません。ワンパターンはひとつの作品っていう風にしていかないと、無理だったんですが。アクリルになってからはもう、自由自在(笑)。

鎮西:実際、それは本当に描くスピードっていうのもどんどん、速まっていくっていう。

中村:早いんですね。こんなの、100号だけども1日でできちゃうんですね。

藤井:え!

中村:発想さえできていれば。発想と、技法と、構図さえ決まっていればね。ほとんど100号は一日で。私の場合は、この程度の絵ですからね。

鎮西:先生、その残像っていうのはどこから来たアイディアなんですか。

中村:それはもう実際、眼で追ってると。残像じゃないですか、汽車に乗ってれば。近景はね。一番近景は過ぎちゃうから、残像に見える。中景は、ほぼ止まってる。で、遠景は逆に汽車とくっついて来るんで、こう捻じれるよね。車窓から横っちょ見てるとね。その時に、この一番近い、過ぎてく部分を描こうとすると、ああいう風にぼかしで。《短縮車輪》(1972年)でも結構実験してるんだけども。うまくいかないですよね、油絵具だと。モターっとしちゃってね。これなんかね、もっとこの車輪がスピード感を。漫画では正円の車輪を縦長の楕円として描く。よくこれやるんですよ。短縮させちゃって、こう。

鎮西:ああ、そうですね。縦になって、シャーって。

中村:スピード感を出すためにはね。イタリア未来派でもう、すでにあるんで。漫画の世界じゃむしろね、そういうのをどんどんやってる。それをさらに頂いてやってみたら、うまくいかないんですね(笑)。なかなか。スピード感に乗れないんですね。ただ楕円形っていう風に見えちゃうと、ダメなんですね。本来は、真円が動くために楕円になるっていう風に見せないと、ダメなんですね。

鎮西:これだと、このままの楕円が。

中村:そうなのよ。楕円のままに見えちゃっちゃ(笑)。これは実は失敗ですね。

鎮西:なるほど、なるほど。

中村:だから、せめての補助手段で背景をね。

鎮西:ぼかした。

中村:うん。ぼかして、ずらすっていう風に持っていこうとしたら、なかなかね。うまくいきませんわいね。もうちょっとこれ、やりたかったんですけどね。大変なんですよ、楕円を描くだけでも。油絵具とも。全部、型紙取りました、私の場合。フリーハンドじゃ無理ですから、正確な楕円は。全部型紙をボール紙で取って、それを当てがって描くって。もう、面倒くさい面倒くさい(笑)。うん。その楕円も、未だに楕円定規というものがね、やっと発明されたらしいけど、ものすごく大げさなものらしくてね。ちょっとやそっとじゃ手に入らない。だからほら、よく小学校なんかでやる、2か所に画鋲で留めて糸張って、それでこう鉛筆で引っ張って、ぐーっとやると楕円になるでしょう。あれが一番正確な楕円らしいですよね。2点を糸でやる。もう、素朴そのもので、子どもがやるやり方ですよ。

鎮西:それで型を作って。

中村:ええ。それでボール紙で全部型を取りましてね。それをまた画面の上に鉛筆でこうやって。それをチビチビ、チビチビ。今度はフリーハンドでね。なぞるしかなくて、ということで。もう二度とこんな絵は嫌だ、となりました(笑)。バカバカしいっていうか。成功したんならいいけど(笑)。

藤井:そういう、制作プロセスの固さみたいなものが、絵の出来上がりにも出ちゃうんですかね。

中村:ああ、出ます出ます。完全に出ます。アクリル絵の具を試しにやってみたら、まぁこんな解放的な画材ってあったのか、と(笑)。

鎮西:解放的。

中村:アメリカのリキテックスという会社が発明したんでしょ。ポップ・アーティストたちのために。

鎮西:MAGNAっていうのを、最初に作ったんですよね。

中村:彼らはそういう技法、あるいは画材に対して研究熱心でね。絵の具屋さんとちゃんと結託してやってる。

鎮西:あってもおかしくない気はしますよね。

中村:ねぇ。

鎮西:でも日本画なんかは当然、あるんじゃないですかね。

中村:そうか、日本画の人たちは、そういうのは熱心で。画材に対しては、あるかもしれないね。洋画の人ていうのは、ちょっと便乗主義者でね。もう油絵っていうのは、ヨーロッパでできたものをそのまま、出来あいで使えばいいみたいに(笑)。でもホルバインさんなんかは、これは会社名を出しちゃまずいんですかね。

加治屋:いえ、大丈夫です。

中村:いいんですよね。あそこは相当熱心に色んな材料をね。絵描きに提供して、使ってみろなんていう風なことはやってましたよね、昔から。ところが絵描きっていうのはおおむね無精で、自分で慣れてくると、それしか使えなくなってくるっていうかね。改革できない。

鎮西:先生、そうするとこのアクリルの導入っていうのは、大きかったんじゃないですか。

中村:大きいですね、私の場合は。うん。油絵具にちょっと、こだわり過ぎてたんでね。この時っていうのは、本当に解放されちゃってね。まぁ面白くてしょうがなくなちゃって。こういう風に描くことが急に。

鎮西:でも本当に、今までなかった要素っていうのが結構たくさん。

中村:でしょう(笑)。

鎮西:水しぶきみたいなものだとか、筆跡がガンガン残っているとか。かなり作風としては変わった部分だと思うんですけど。

中村:ええ。これも漫画からいただいてるっていうのが、結構あるんですよね。こういうのも、ボールがバウンドするときの表現っていうのは、漫画でこういう風にやるじゃない。

藤井:ポンポンポン、と。

中村:そうそう、ボールがバウンドするっていうときの、残像のイメージですよね。そういう意味で、これをちょっと利用しましてね。これはボールは描いてありませんけどね。要するに左右に動くってことを強調する図形みたいですね、これがね。アーチ型の。

鎮西:リズムというか、動きが。

中村:リズム感が出ますよね。それにちょっと車窓の反復を繰り返す四角を入れると。なんとかかんとかね。残像になるというね。(『タブロオ機械 中村宏画集 1953-1994』(美術出版社、1995年)を見ながら)ちょっとこれ、暗いですね。画面がね。
そういうのを最初に実験したのが、この絵(注:《車窓篇TYPE 15-A(粒子残像)》(1986年))なんですよね。これ(注:《タブロオ機械・I-D》(1987年))になる前にね。これはあんまり連続性っていうんじゃないんですが。ちょっとアクリル絵の具を練習する意味で。小品ですけどね。そっち(注:中村宏『中村宏 図画事件 1953-2007』(東京新聞、2007年))にはないと思います、これは。で、これでやってみて、どっかのパターンをこういう風に繰り返しで持っていこうかな、って。(《タブロオ機械・I-D》(1987年)を指して)この辺ですかね。やってみたんですよね。この時、本当にアクリル絵の具の自由度っていうものを感じましたよね。だからそれ以降がダメになったか良くなったかの評価はね、私には自分じゃよくわかりません、ということですね(笑)。逃げちゃうとね(笑)。
ただ、行き詰ってたことも確かです。油絵具っていうのはもう、これ以上使ってもしょうがねぇなって(笑)。やっぱり油絵具との関係って、非常に長年やてると出てきて。本当にこれは洋画っていわれるくらい、ヨーロッパが長年かけて段々発明してきた画材でね。もともとは500年も持つような材料として、やってきたわけでしょう。短時間に終わる風じゃないもんね。千年王国目指すくらいだから、画材だって500年(笑)。だからそういうモチーフに合うんですよね。やっぱり宗教画とかね。例えキリストさん描かなくても、クールベくらいになっても、一種のキリスト教みたいなものを感じますよね、我々が見ると。森の中とか、鹿とかいると。全然宗教的意味合いじゃなくても、写実主義、レアリスムってことを言い出した人自身であるにもかかわらず。あれだけ堅牢なものを描くっていうのは、逆に悪い意味で言うと波なんか、コンクリートみたいに描いてあったりね。あんなの、水じゃないですよね。コンクリートで作ったほどの波になっちゃったりね(笑)。だからああ、こうなるんだなぁってね。ああいう風なことに、丁度合ってる画材になって、画材とモチーフ、それから考え方が切れてないんですよね、彼らは。ぴたーっと合ってるわけですから。やっぱりその辺で我々は無理だなぁって(笑)。

鎮西:でもその考えでいくと、今まで先生がお描きになってきた部分っていうモチーフと、油彩との関わりっていうのはまた別に、動きのある車窓っていうものと、アクリルの速さとか解放性というか、軽い感じっていうのは、結構そういう意味ではモチーフと画材っていうのは結果的にはもう、ぴったり。

中村:ぴったりでしたよね。そうですね。動きのある、残像を利用したものとか、ぼかしとかドリッピングとかを利用しなけりゃ損、損みたいに思っちゃってね(笑)。アクリル使うんなら(笑)。

鎮西:そうか、それで色んなところにこのスプラッシュめいたものがたくさん、ここら辺に描かれて(笑)。

中村:そうそうそう(笑)。私はいわゆる言うところの抽象表現とかは、やったこともないし興味もないもんでね。そういう方向へはいかなくて。結局、どっかに車窓みたいな具象性がくっつく形でやってますね。

加治屋:これはもともと、この車窓のフレームは描き入れようとなさってたんですか。

中村:ええ、それは偶然ではあってもね。それは重ねようとは思ってました。

加治屋:これは、キャンヴァスは地塗りはしてないんですかね。

中村:ええ、しかも実は裏へ描いてるんですよ。この時代、まだ綿地みたいなあんな洒落たもんなくて。麻ですよ。ところが麻のこの色自体っていうのは渋い色で。我々の歳の連中って皆、好きなんですよね。ちょっとアンバーっぽいようなのね。その辺、私も御多分にもれず好きでありましてね。麻そのものの色ね。ホワイト塗っちゃうと、ちょっと違うかな。あれは自分で勝手に塗る分にはいいけどね。だからわざわざ、裏を使ってます。だから、アクリルをそのまま使えたんですよね。油絵具だと、ちょっとやっぱり下塗りしないと無理って。

加治屋:これはもう最初から全部塗りつぶさないで、残そうってお考えで。

中村:ええ、それはある程度計算しましたね。それである程度大きくやってから、実はこれまずいんだけど、マジックペンかなんかで描いてんですよ。輪郭。絵の具じゃないんですよね。マジック系の、それこそサインペンみたいなので描いてるんですよね。いずれ消えちゃうなんて、脅かされましたがね。画材屋に。それを描いて、さらにそれを描いた上に、それに合わせてブルーなんかを入れてますね。だから何回かの手順でもって。さらにこのハイライトっぽい白いのは、全部描いた上に、さらにアクセントで入れていったりね。なんとなく立体感を出すために、ホワイトでハイライトっぽく入れてますがね。だから抽象表現っぽくドリッピングでやっているのに、こんな風に。それこそ、ホワイトでハイライトみたいに入れるもんだから。

鎮西:若干スーパーリアリズムで(笑)。

中村:(笑)だからね。スーパーリアリズム描こうって気は、さらさらないのよ。

鎮西:はい、はい(笑)。

中村:ただね、なんていうんだろうね。パーッと散っちゃうだけじゃ、どうしても弱いっていうか。ほら、具象画を描いてきてる人間なもんで、どうも物足りんのですね。

藤井:こういうところ、ハイライト入れてましたもんね。

中村:うん、やたら入れてんの(笑)。好きなんだよね、ハイライト入れるのが。最後にホワイトでチョンチョンチョンってのが好きでね(笑)。

藤井:拳とか。拳の骨ばったところとか、眼の光とか。必ずちょっとハイライトを(笑)。

中村:実は、平面の絵はあれでキュッと締まるのね。締める理由で入れてるの。だからどうしても、具象画になっちゃうの。もう立体感が出ちゃうじゃないですか、嫌でもね。なんとなく、玉になっちゃう。それでやっと安心するっていうかね。だから、ドリッピングだけの効果っていうのは、とても私にはできないって思いましたよ、この頃。

鎮西:しぶきを描いたわけですね。

中村:うん、しぶきになっちゃうんだよね(笑)。具象になっちゃう。具象であり、抽象でありってね。だからもう開き直って、もう具象とか抽象って言い方は死語にしちまおうと思って。どっちもあるんだよ、ってね。そこはもう、両方ないと絵なんか描けないよって。一方だけじゃ無理という。
後になって知ったんだけど、フェルメールみたいな人も結構やってるんですね、ハイライト入れるのに。ホワイトでちょんちょこ、ちょんちょこ入れてて(笑)。で、キラキラキラって光ってる様に見せるというね。あのずるさね(笑)。ずるいよあれ、ごまかしだよ(笑)。で、質感があるとかないとか言うでしょ。あれはやっぱ、油絵具ってのは、僕がやろうが偉いさんがやろうがね、同じなんですよ。もう物は絵の具だもんね、所詮。使い方次第という。その辺でちょっと、味をしめましてね(笑)。やたらホワイトを(笑)。
これ(注:《タブロオ・マシーン(1〜8)》(1987年))は本当にペーパーもんでね。紙に描いて、本当に連続で。片っ端から描いてったという。ちょっと図に乗っちゃってね。

鎮西:でもこの辺りから、タブロオ機械(マシン)という言い方が。

中村:ああ、言ってますか。

鎮西:〈車窓篇〉としてあったものが、ちょっとタイトルを変えて。

中村:確かにね。絵の具と技法と、車窓と視覚っていうことですよね。タブローっていうものとは。なんとなく、メカニックに思えてきたの。それを画面の上でこう、作ってくっていうのはね。だからストーリー性が最初にあって、それを追ってくっていうんじゃなくて。今言ったような要素を入れながら、最終的に絵としてのストーリーは、これは私はあんまり否定しない方でね。いわゆる現代美術にいかない部分ですね。それはいけないというか(笑)。どうしても最後には、事前にあるストーリーっていうのは、初期の頃はあるにしてもね。ルポルタージュなんてのは、みんなそうだけど。こういうのは絵の上で観た、その後で出てくるような。絵画現実みたいなのがあるとすれば、その上で出てくるストーリーなり意味性っていうのは、それは結局否定できないですね、私はね。だから純粋な抽象っていうのは、結局私にはできないな、と思ったしね。絵そのものの問題の上で、考えていった場合でもストーリー性があって、そのストーリー性っていうのもひとつの作っていく過程で出てくる意味っていうかね。抽象的に言えば、意味性って言っちゃってもいいかな。
水玉とかいうのも、もともとあれば水玉を描写したわけじゃなくて、たまたまハイライトっぽくホワイト入れたために水玉に見えるだけであってね(笑)。これは一種の絵の技法上の、魔術みたいなもんだよね。だましだよね。本当に光って見えるよっていうのは、単なる陰影法の技法であって、本当に光ったものを描いてるのではない。かつては光ものを描くために編み出した技法でしょう、ハイライトってのはね。私はそこまで勉強家じゃないのでね(笑)。適当にやってるうちに光ってみえたので、ああこれはおもしろい、でやってます。その方が、ちょっと機械的っていうのは、いい意味でね。なんていうのかな。メカニックなものと対応しているような感覚が、だんだん出てきたんですよね。それでタブロオ機械とか言っちゃったの。この時代、確か機械って言い方が結構流行ったような。文学機械なんていう言い方も、誰かしてて。誰だったかな。モダン文学をやるような人たち。ニューアカとか言われてた人たちに、確か(笑)。

加治屋:ドゥルーズ=ガタリで。

中村:はいはい。あの辺から出てますよ。

鎮西:先生、それを機械は。そこら辺が。

中村:ちょっと影響あるね。そんなのちらちら、聞いたり読んだりしたもんで。ああ、いいなぁって。文学機械なんて、いいなぁなんて思ったり。

藤井:絵画機械だ。

中村:そうそうそう、じゃあもう、絵画機械で行けってんで(笑)。

鎮西:でも話を若干戻すと、やっぱり今おっしゃったみたいに、前にうかがったインタビューでも、絵の構造自体を絵にしていくっていうことをしているんだ、という言い方をされていたと思うんですけれども。先ほどの水滴の話にしても、絵のもってる様々な要素とか、組み立てていく力というか、そういったもの自体を、もう絵の中で本当にやっていくっていう部分もタブロオ機械というか。

中村:そうそう、そこが一番きっかけとしてはね。絵だってそれはあるよっていうことでね。いっそのこともう、積極的に絵画というものの中での、一種のメカニックな捉え方っていうかね。ただハイライトっていう技法があるからあったには違いないんですが、そのこと自体を作るためっていうんで。本当に光るものがモチーフにあって、それを描写する意味でのハイライトじゃなくて。ホワイトと黒をセットにすると光って見えるよ、っていうような。だから後追いですよね、技法としても。技法自体を自立させちゃったようなやり方だから、大きな意味でのモダニズムですよね、この考え方も。考えてみればね(笑)。きちんとした理念があってやってるわけじゃないんですけどね。それで機械(マシン)って言った方が、ピッとくるかなぁと。こういう場合にね。そういう風に考えたんですね。

鎮西:先生、やっぱりそれこそ遡って、ルポルタージュ絵画のようなものを描かれていて。その後、他の多くの作家さんたちがそういうものから離れていき、あるいはさらに油彩とかから離れてすごく色んな素材を使って作品を作ったりとか。そういう風な流れっていうのをたどっていく中で、先生ご自身はずっと油彩というか、絵を描き続けているということは、おありだったと思うんですよね。そうすると、絵によって絵の構造をともかく考えていこうという、タブロー機械の構想につながっていくっていうのは、やっぱり先生のこれまでの制作の中から、自然に表れてきたというか。なにかひとつのきっかけが、なにかあったというよりは。そういう風に考えた方が、いいんですかね。

中村:ええ、そういう風に考えていただくと大変ありがたいね。外にあって当然それを受け入れていくっていうのは、いいんですがね。一度あることをやってしまうと、それを転がしながら、次のへ次のへってやっていかないと、どうしてもうまくいかないっていう。僕自身のプラス、マイナスも含めてね。
《砂川五番》という、古典絵画がありますが(笑)。あれ自体も実は私が描いたには違いないんだけども、例えばあの構図とか技法とか考え方っていうのは、結構あっちらこちら継ぎ接ぎなんですよね。極端に言っちゃうと。それをなんとか画面の上で統一させて、構図っぽくしていますがね。この前、ここでインタヴュー受けたときに言いましたかね。ブリューゲルあり、ゴヤあり、メキシコ絵画あり、とかね。最後には広角レンズという、レンズ効果を乗せてまとめた、みたいな。結局そういう風にね、私自身もそれ以前というのは自画像なんか描いてる、学生の頃っていうのはね。自分の心情吐露っていうものが表現だっていう風に、思ってましたよ。そういう教育を受けるんですよね、我が日本では。心情吐露なんていってもね、自分を表せ自分を描け、みたいな。一体自分描くってどういうことなのか、だんだんわかんなくなっちゃてくる。だから暗く重く、ドロドロの絵って……我々は本当に模範にした絵描きさんがいましてね。麻生三郎さん。もう心情吐露そのものの絵ですよね。あれはもう、聖書でしたよね、我々が学生の頃っていうのは。あれはもう、後で思えば実存絵画の頂点をなしてますよね(笑)。
あの方向でいくとね、今僕のこの《砂川五番》でやったようなことなんていうのは、本当に邪道っていうか。絵の描けない野郎がやることだ、みたいなことですよ。現に当時井上長三郎さんに「お前の絵はポンチ絵だ」なんて言われてね。ポンチ絵っていうのはフランスじゃ、漫画のことを言うみたいね。井上長三郎さんって、フランスに留学してて漫画のことをポンチ絵って。「お前、ポンチ絵じゃないか、鼻ピカピカ光ってなんだありゃ」とか言われたりね。「あんな技法、今どきやらんよ」とかね。「こんなものはレンブラント以前だよ」とか言われてね。さんざん言われました。心情吐露やるときはね、確かにこんな絵じゃまずいでしょっていうのがあったんでしょう。
この辺でね、絵の解釈が僕自身、変わってくる。ルポルタージュって、一種の使命感みたいなものを負っていくわけですよ、だから自分の心情じゃなくて、その情景を描かなくちゃならんから、やっぱり人に報告するっていうことがあって、それから帰ってきてこれを展覧会に出して、ルポルタージュっていうんだから報告しなくちゃならんっていう風に思って、その辺は一種の、僕は若かったので義務感でやってるから。心情吐露なんてとんでもないことになっちゃった。その辺がね、後になって癖になっちゃっているような風に思います。自分を描くんじゃなくて、絵を作るっていうことと、観てくださる方がおいでになるっていう、そのことの交通っていうことの中でみていかないと。構図とか色とか言ったって、自分の好みだけでやることではないだろう、と。もうそういう風でもありました。当時はね。1950年代っていうのは、入れ替わる時代でもあるんですよね。もうぜんぜん画壇の表現主義的な絵はダメ。

鎮西:やっぱり観る人っていうのをすごくもう、最初から。

中村:やっぱり任務を帯びて描いてるんですよ(笑)。その点、戦争画も皆、一応はね。指令、命令で描いてる。単純に言っちゃえばね。こっちは総評とか労働者とかね、そっちの系統から日本の解放のために描け、なんとなくそういうムードがある。そういう一種のプレッシャーがある。まぁ格好良く言えば、プロデュースしてるようなね、絵を。ちょっとデザイナーさんがよくやるようなやり方に、近いです。実はこれ。それ以降、その癖がついたっていうのはあるんですね。ルポルタージュからモンタージュに替わっていったっていうのも、そのことに近いですね。その時は僕の心情なんか、ほとんどないですよ。ただ他を選ぶというときは、僕が選ぶっていうことでね。当然、心情的にも働くでしょうけども、最終的な画面効果の方をやっぱりこう、押さえてやりますよね、モンタージュ技法っていうのはね。画面効果ですよね。良くも悪くもですけどね。
だからその辺だと思います。それがタブロー機械みたいな言い方に結びつくっていうときは、割と自然に結びついちゃったんですよね。画面っていうのは構成するということで、その構成の要素自体はなにも自分自身の好みでやる必要はないんだ、という風にだんだんなっちゃいましたよね。
だから、その辺どうですかね。意外にそういう考えって、ヨーロッパにはあるんじゃないかと思うの。イコンなんかは。ね?あれはもう、聖書からはずれちゃいけないんですよね。聖書の書いてるストーリー性、それから自身がちゃんと信仰を持つ、それでイコンというものを作っていく。あれもちゃんと、神に捧げるもんなんでしょ。だから人間丸出しの絵描きが描いちゃいけないんですよね。ちゃんと坊さんのひとつの修行でやるのが本来の、ね。だからダ・ヴィンチなんか、どっちかっていうと邪道と言われるくらい自由すぎてね。ちょっとイコンから逃げようっていう。まぁそれをルネッサンスというんでしょうけど。また北方へいくと、それをまた戻してね。ファン・アイクなんか、むしろ逆に戻るでしょ、イコンに。ああいう辺りってそれこそ、モンタージュなんて言葉はないでしょうけど。モンタージュしてますよね、よく観ると宗教画って。

鎮西:感覚としてはそうかもしれません。

中村:あんな自然の風景があって、そのまま写生してるわけじゃないし。別々にひとつずつ描写力をつけていったんでしょう。顔とか皺とか風景とかってね。それが皆、自立していて、それをどこをどう持ってきて、どう構成しようかっていうのは、たぶんファン・エイクくらいになると、それをやってますよね。あの絵を観るとすごく、メカニックじゃない?情緒的じゃないですよね。だけど信者という、非常に情緒でものを考える人たちに対して見せるっていう、その辺の矛盾というのが、おもしろいですよね。強制される部分があることが快感なのかね。イコンっていうのは。それを見ることで信仰せえ、っていう風になるんでしょ。それを解放してるんですよね、ダ・ヴィンチっていうのは、実はあれ。解放の方向だけれども、しかし心情吐露じゃないよね。どう見ても。自分の作家としての心情吐露なんていうのは、もっとずーっとヨーロッパでも後でね。

鎮西:描く人の、っていう。

中村:なんかヨーロッパの絵画ってひとことで言うけども、ものすごくミッション感覚で描いている、という風に見えますよね。そこを嫌ったんじゃないですか、アメリカのいわゆる抽象表現以降っていうのはね。それを見抜いていないと、抽象表現なんてあんなポロックみたいな人なんて、出ないと思うよ。

鎮西:先生はそうすると長い間継続的に、どちらかというとその、ミッション寄りの。

中村:ミッションですね、ほとんど(笑)。その方が逆に気楽というかね。ねぇ?皆さん方、若い方、ミッションなんて「ああ、嫌だ嫌だ」でしょう(笑)。でも命令する人は、戦後なくなっちゃったからね。自分で自分に命令するようになっちゃって。変な自己矛盾に陥るんですよね。自己ミッション。自己の他者化です。

加治屋:ちょっと戻って、すいません。この《タブロオ機械・I-A〜E》(1987年)は、キャンヴァスは縦の構図でお使いになって、三つ配置されていますけど。これはこの頃から始められたんですか。

中村:ええ。これを描くについて、それこそ漫画のコマじゃないけども、コマを割ってくっていうのはね。その後そういう形式の人はいっぱいいますけど、これも残像自体が漫画のボールのバウンドを利用したくらいで。コマで並べるっていうのは、やっぱりそういうヒントがあります。漫画のコマ割りのヒントがね。漫画そのものの表現はしてませんけども。残像とか、リフレインするっていうことで、動くっていう錯覚ね。それを利用するには、コマ割りっていうのもそのひとつかなという。だから漫画というよりも、漫画でやってるコマ割りを利用した。そのときは、漫画のコマ割りはあれ、時間性でしょう。そうですよね。だからコマとコマの間の寸法の開け方っていうのが非常に重要ですよね。あそこで一挙に飛躍になってるのね、時間の。それをちょっと利用する意味で、こういう風にやったんで。その後漫画を絵にした作家がいますけど、あれとは全然意味が違います、これは(笑)。残像からの連想で反復、繰り返すっていうことで時間性をなんとか無理してでも表そうという風にしたわけです。まぁその辺がね、効果的にいったかどうかというのは、自分でも判断は迷ってるところですけどね。
そっち(注:《車窓篇絵巻》1988年)なんかは中原(佑介)さんのアイディアでね。巻物にしたらどうか、ということで横位置にだーっと並べて。結局、失敗ですね。だから、横長の絵っていうだけの話でね。あんまり時間性とか、そういうのを感じなかったですね。

鎮西:これは一コマ一コマ観るのではなく、ある意味3コマが同時に見えてくるっていうのがひとつ大きいっていう意味ですか。

中村:いや、やっぱりコマで割っていって、これを眼で追わなきゃならん。普通、絵って一発勝負じゃない。ちらっと見て、それでひとつの画面ですから、もう瞬間芸でいいと思う。観る方は。それだと動きじゃなくて、一点集中でね。一点消失で、絵はそれだっていう風なことで。それはそれでいいと思うんです。ところがこれの意図はそうじゃなくて、リフレインするイコール動くという錯覚ということと結びつけて、考えたと思います。

鎮西:こう、ある意味追って、ですよね。

中村:そうです。追わなきゃならんという。

鎮西:と言いながら、でも前のが少し残っていて、次のが少し感じられるわけですよね。

中村:そうですね。どうしても残りますよね。眼自体にも、残像が。絵の構図というか、手法にも残像が入ってるんで、二重になっていると。これをさらにリフレインしていくということで(笑)。いつのまにか動きじゃなくて、むしろ固まって見えちゃうから、やっぱりやり過ぎっていうのもいかんなぁと思ったりね(笑)。なんでもそうだけど。リフレインだけじゃ動きっていうのはね、限度があるなと。あるところで止めた方が、かえってスッといくような。
漫画じゃリフレインっていうのは、本当に利用するんですよね。動きがどうしても欲しいから、漫画は。動きっていうよりも時間性がね。まずコマの発明っていうのは、時間を表そうとして、それで絵画っていうものの限界を突破したわけでしょ、漫画はね。だからあれはあれでいいんですがね。あれを利用しようとするとね、漫画のような軽快な流れがなく、重くなっちゃうために、必ずしも成功するっていう風に、そのときは思えなかったですね。ちょっと重くなっちゃってね。コマ割りってことだけが、妙に浮上しちゃって、動きになかなか結びついてこない。アクリル絵の具という軽さを出せる絵の具なのに、私みたいな重い人間がやると、重くなっちゃうの、絵がね(笑)。いくら画材が軽くてもね。良くも悪くもね。だからもうリフレインはちょっと、止めた方がいいかなと。ちょっとやり過ぎちゃった(笑)。
これ(《タブロオ・マシーン(1-8)》(1987年))もそうなんですよね、ほとんど。同じワンパターン。ほぼね。

加治屋:先生、ちなみに好きな漫画とか、よく読まれた漫画とかありますか。

中村:戦前の少年の頃は、『のらくろ』ですよね(笑)。『のらくろ』はよく、うちの兄というのがいましてね。買って来てくれて、読みましたよ。それから『冒険ダン吉』さんね。あとなんだっけ、『蛸の八ちゃん』(田河水泡)とかね(笑)。

加治屋:読んだことないですね(笑)。すいません。

中村:そのときコマに割ってるっていうのは漫画だから当たり前と思っちゃったし、時間性を表すためにああいう風にしたなんていう、そんな小難しいことはわかってないのでね。ただ単に、めくって読んでましたけどね。やっぱ絵を描いていきながら、時間性なんていうこと、動きなんていうことを考え出すと、ああなるほど漫画って最初からそれをやってたんだなって。コマを割るっていうことでね。逆に時間を続けるんじゃなくて、映画みたいに続いてるんじゃなくて、切ることで時間性の連続を言うっていう。逆な方向があったんだなっていうね。で、やっぱり絵を利用しますから、漫画は。全部静止画像だから。逆に切ることでつなげるっていう、そういう、なんて言うんですかね。パラドックスですよね、漫画はね。ああ、これはなかなかすごい発明をしてたんだなぁって。漫画の世界はね。早くもね。
やってはみたんですがね。うまくはいきませんね。やっぱり漫画は漫画の、ジャンルでのひとつの考え方でやってますんでね。リキテンシュタインなんかも大変興味深く観ましたけどね 。しかしこの人は漫画のコマ割りじゃなくて、コマ自体を拡大しちゃってますからね。あれは時間性は関係なくて。まさにポップ・アートっていうのは、あんまり深い理念的なことはやらんのですね。ポップ・アートはね。もうちょっとこう、眼にいきなりバーンと来る、その衝撃っていうかね。そういうことでやったんでしょうけど。あれはあれでいいと思いますがね。
そういう訳で、漫画っていうのはいろんな利用価値が絵にはあったかな、と。ルポルタージュのときだって、漫画って言ってるんですよ。まだアメリカのポップ・アートなんて知りもしないし、来てもいないときにね。ポスターとか漫画とか、あとはなんだろうね。まぁアニメまで利用は進んでませんでしたけどね。で、キャラクターなんて言い方もなかったけども。ポスター、漫画、挿絵みたいなものも100%利用していきながら描くって言うのはね。
これはプロレタリア美術っていうのが戦前にあった。その時から言ってる人はいるんですよね。ジャンル別の上下関係はやめて、同レベルで一斉に全部利用し合うっていうのは、プロレタリア美術なんかでも言われてるんですよね。だから漫画家が結構出てるんですよ、あれ。一番面白かったのは柳瀬正夢や須山計一とかね。松山文雄なんて、結構いましたよ。それが元になってるんじゃないですかね。白土三平なんていうのは、戦後のね。あの人はプロレタリア美術じゃないけども、お父さんがプロレタリア美術の急先鋒の岡本唐貴ですから。その延長で白土三平の『カムイ伝』という名作が生まれたりしてますよね。その連続でまた、『AKIRA』 というね。あれは誰でしたか。

加治屋:大友克洋。

中村:ああいう名作がね、生まれたりするっていうのは。あの辺になると、なかなか本当にすごいもんですよ。もう絵なんか、追いつきませんよ。あそこまで行くと。素晴らしい。もう辞めた方がいい、絵描きなんて商売は(笑)。

加治屋:先生、最近のものも結構読まれているんですね。前回のインタヴューも、押井守のアニメの話がありましたけど。

中村:その辺まではね。それ以降は僕、もうお手上げでダメですけどね。その辺まではなんとかついていってね。押井守系のアニメは本当にいいですね、あれね。ええ。そういう風に思います。あれは最初からもう、メカニックなんだよね。絵自身が。そうでしょ?あれは本当にいいと思います。技術を工学的に捉える。だけどね、観る側はものすごく感情移入するでしょう。その矛盾がすごいよね。アニメっていうのは、最初からもう、ものすごくサービスですよ。もう、あれ全部がね。だから、受ける方もちゃんとそれを受けてね。ちゃんとサーブ、レシーブもうまくいくんですね、あれ。
絵っていうのはいかないんだよ(笑)。一方的に受けるだけ。出す方は一方的に出すだけで。で、もうわかったような顔するしかないようなところだから。そういう時にね、プロレタリア美術っていうことの、思想はともかくとして、技法の上ですべてを利用しなきゃやっていけないよっていうのは、わかってたように思う。だからプロレタリア美術っていうのは、油絵で労働者しか描かないような絵しか思い浮かばないでしょう。違うんですよね、あれ。全然違う。

鎮西:そうではなくて、あらゆるところにサーブをしていくという。

中村:そうです。そのまた大本が、ククルィニクスィ(Кукрыниксы/ Kukryniksy)ってロシアの。前に言ったかもしれないけど(笑)。まだソ連時代ですか。ものすごい漫画家がいて。

加治屋:なんていう方ですか。

中村:ククルィニクスィっていってね。もうネットでかなり詳しく出るんじゃないかな。

藤井:(『図画事件』の)カタログにつけたかな。インタヴューの註かな(注:『図画事件』、142ページに言及あり)。

鎮西:そうですね。ロシアの現代美術の専門家の方にうかがって。

中村:だんだんその方たちもね、スターリン批判の方に向きそうになったんで、粛清されちゃてんですよね。あの時代、みんな粛清ですからね。なんとか生き延びたのがゴーリキーという文学者ですか、ね。後はもう、ショスタコビッチにしてもエイゼンシュタインにしても、うまく逃げ抜けたんですか。最後はどうですかね。

加治屋:はい、そうだと思います。

中村:全うしましたよね。殺されないで済んだ。でも相当紆余曲折(笑)。だからこのククルィニクスィって漫画家も結局ね。ちょっと日本人にはない漫画でしたよ。非常にきっちりかっちり描くような漫画でね。白黒がしっかりしてて。それで非常に政治性の強い、風刺画でしてね。敵を描くっていうのは、それこそ彼らの任務ですから。プロレタリア美術もね。だから、その辺の思想的な背景があってやってるから、あんまりソ連を批判するようなことまでは、とてもできないですよね。そういう、つまり欠点があって、それをその後どう持っていったかね。戦争画を描けっていう時代に日本は入っていったために、逆に助かっちゃったんじゃないですか、プロレタリア美術をやってた人たちっていうのは。ここで止めにせざるを得ないじゃない? 権力がやめろ、って言うんだから。スターリンが止めろって言うのはソ連であって、日本じゃ、スターリンいなかった(笑)。軍部が止めろって言ったんだよ。その辺の違いが、逆に面白いかな。それで、プロレタリア美術はどっかで完全に途絶えて、場合によっちゃ、戦争画を描く方向へ行っちゃったよね。
戦前のプロレタリア美術っていうときは、もうちょっと解放されていましてね。漫画、ポスター、そういったものを利用しろっていうようなことを、言ってますね。我々若造どもがね、戦後はアヴァンギャルドとか抜かしちゃってね(笑)。そっちに行ったときに、またドッと漫画だイラストだポスターだ、が入ってきたの。ああいうものも、同レベルで考えようって言ってね。

鎮西:実際1960年代ぐらい辺りから、先生のお仕事自体も紙のお仕事っていうか。そういう部分が本当に多くなっていくんですけど。そういうことが素地にあって、抵抗なくできていくっていう感じなんですか。

中村:うん。私が一生懸命頑張ってそういうものを作ったっていうよりも、なんていうんだろう。あの時代って、まだ独立してないのよ。イラストなんて。絵描きのバイトなんだよね、挿絵とかそういうペーパーものはね。自己流で勝手に描いていいんなら描くよってことで。それを許された範囲でやってる。だからなんでも描いたわけじゃない。それからペーパーもんが特別にいいと思っていたわけでもなくてね。結構あの時代、人数が足りなくて、絵描きの(笑)。それでまぁちょっと描くよ、なんて言うとどんどん来るんですね。あいつに頼むと便利屋なんだから、なんでも描くよって。ああ、こっちも金くれりゃどんどん描くよ、でね(笑)。ええ。食うに困ってましたから。もう、どんどん(笑)。お金くれるんなら描きますよ。スリラーもの、SFもの、児童ものが多かった。早稲田祭のポスターなんかもやった。これはちょっと本腰入れにゃって、やる気になっちゃった。ああいうポスターのときは、結構こっちもその気になってね。おもしろがってやってました。挿絵も、それなりにおもしろくて。こういうのもね、大体そんなにメジャーじゃないんです。読書新聞とか図書新聞とか、大学新聞とかね、今で言えばマイナーな部分です。メジャーからはほとんど来てません(笑)。少しは来たかな。『連帯と孤死』なんてね、マイナーな毛利ユリの単行本の装丁をやった。

藤井:極端な。

中村:そういう挫折の連中は私のところにへ頼む頼むって来たんですね。現代思潮社っていうのが結構多いんですが、この出版社はだいたいそういうのを出して。

鎮西:そうですね。現代思潮社のお話は前回、詳しくおうかがいして。

中村:その辺の装丁とかブックカバーなんかはね、割と。社長さんもうるさく言う人じゃなかったもんで、全部やれやれで(笑)。絵のことなんかわけわからん、で。ああ、それでいいんだ、なんていってどんどんやっちゃいましたけど。まぁそういう訳でね、ペーパーもんはね結構だんだんその気になって、この時代は。なんていうか、自由に軽く、イメージをどんどんストレートに出せるっていう手段だな、とは思いました。絵になると、なんかもう重くてね。ある構えがあって、構図決めてっていうのがあるから。こういう自由度は、欲しくてもちょっとなかったですね。ところが時代が去ればバタっと、不思議ですねぇ。注文が来ない来ない。さぁ食うにどうしようっていうんでね。

鎮西:この話を続けてお聞きするのは、変なタイミングではあるんですけど。丁度1982年ですかね。先生、東京造形大学に行かれて、授業を持たれることになるかと思うんですけど。

中村:いや、造形大の前は桑沢(デザイン研究所)じゃないかな。

鎮西:そのお話はたぶん、前回。

中村:言ってますか。桑沢デザイン。

鎮西:いや、その話はうかがってないですね。前回は美学校の話はうかがって。

中村:そうそう。

鎮西:造形大って桑沢なんですよね?

中村:造形大行く前は桑沢ね。桑沢はデザイン学校なんでね。

鎮西:じゃあ最初に、桑沢のお話を少しおうかがいしてもいいですか。

中村:ああ、そこ。

加治屋:1975年のところにありますね。

中村:ああ、そうですね。これ実はね、行きたくて行ったっていうよりも、やはりちょっと頼まれましてね。知り合いの画家さんがいて、そこで基礎を教えてました。デザイン学校だから、絵の教育なんてないんですよ。あくまで基礎のデッサン、描写力を磨けって。だからあんまりそういう話題性とかね、そういう僕自身の絵を描く上でのこと、ありません。ほとんど終わり頃です、美学校も。ダブって行ってました、最後はね。桑沢では基礎ということでね、向こうからの要求もありましてね。ここはデザイン学校だから、絵を教えるとか芸術を教えるなんてことだけはやめてくれ、と。あくまでデザイナーになるための基礎訓練だから、あなたたちがやるのは描写力をつけてくれっていうことだけでいいから、そこからはみ出さないでくれ っていう制約があって。それはもう、当然と思いました。デザイナーの養成ってことのね、またその基礎ということで。そういう意味で僕は、またそれはそれでおもしろいと思ったの、ここでの基礎デッサンは。それなりに編み出しましてね。桑沢デザイン用の基礎っていうね。

鎮西:どういうものなんですか。

中村:なんていうかね、ヨーロッパに美術史があって。これは実にきれいにできててね。ほら、ルネッサンス辺りのリアリズムがあって、バロックがあって、ロココがあって。リアリズムがあって、表現主義が出てきて云々って、つながるでしょう。全部、技法がきっちりしてるじゃないですか。それを全部やらせようとして。

鎮西:え?

中村:技法だけを。その考え方とか歴史性は別として。順番に沿ってね。全部あれ、技法に置き換えると実に特徴があってね。ノウハウ的にぴっちり言えるんですよね。まぁ表現派以後っていうのは例えばタッチを利用する、だとか。印象派だったら点描利用するとか。それ以前はハイライトを利用するとか。ルネッサンスになるとああいう、いわば細密画みたいなね。シワの勉強するとか、そういうね(笑)。そういう風にしてね、きれいに歴史がつながるんですよ。それを言いつつ、技法に置き換えていった。美大ではやらないようなね。基礎として歴史を同時に知りつつ、技法を知っていくっていう風なことをちょっと、編み出しましてね。結構評判良かったよ、学生には(笑)。

鎮西:じゃ実際にその技法で、なにかをやるという。

中村:うん。20年位やってたんじゃないの、桑沢は。専任になってからも、結構長かったね。17〜8年やってます。だから非常におもしろかった、僕は。いわゆる美大と違って、本当に勝手にできたんですよ。それでそれなりに歴史と技法というものを、しかもそれをデザイナーになる予備軍たちに教えていく。主にグラフィックの学生が多かったですよね。ID(インダストリアル・デザイン)とか、そっちの学生はあんまり来なかったですけどね。グラフィックの学生は、来ました。

加治屋:1975年の勤務っていうのは、もう専任でいらっしゃったっていうことなんですね。

中村:ええ、もうその頃は専任でいましたね。週3日くらい行ってましたよ。

鎮西:それはかなり力を。

中村:ええ、かなり力を入れてました。学校自体が、ああいう風にデザイン学校であるけれども、ちょっとエリートづいてましてね。桑沢っていうのは、ほら、バウハウスを導入しようとして桑澤洋子さんが非常にがんばった人で。ファッション界では、ちょっと戦後に名を留めるくらいの人でしょう。だから、僕自身はデザインのデの字も知らん状態で行ってるときにね、バウハウスなんかのことを、教員同士で話したり、飲み屋行ってどうのこうのって。バウハウスなんか古いよって否定する面と、いやいやまだだっていう話とか。そういう話が結構あったの。僕にとっては非常に新鮮でしたよね。日芸時代に少しかじっただけだった。自分でもだんだん調べるようになってね。バウハウスってそういうもんだったのかって。そこで結構ね、勉強になりました。バウハウスとデザインってものの考え方がね。それでそういうことの中で非常に、絵画自体を今までの画壇的絵画っていう風なもんじゃ、とてももうダメだなってことで。デザインがもう。日の出の勢いで出てくる時期でしたからね。そっちの方向もちょっと展望できたという意味じゃね。桑沢にいたことは、本当に役に立ちましたよ。おもしろかった。デザインの世界がわかった。バウハウスとかグロピウスって、校長さんがいて。その人の考え方があって。やっぱりデザインっていうのは、ちょっと日本では誤解されちゃってんだね。尾ひれつけて、キンキラするのがデザインだと思っちゃってるでしょう。全然違うんです、あれは。設計っていう意味なんですよね、直訳すると。だから図面のことなの、極端に言えば。表に表れないところを言うのに、表に表すようにすり替わっちゃったでしょ。あそこがもう、基本的に違うみたいね。中国では、設計って訳してるみたいね。うん。ブックデザインなんて、そんな言い方しない。図書設計ってうのは、ブックデザインのことみたい。だから設計って考え方があるとしたら……

鎮西:もう、タブロオ機械(マシン)ですね。

中村:ね。まさにマシン。だから、ドローイングとかデッサンを重視するっていう辺りが、非常に気に入りましてね。ちゃんとバウハウスやれば、きっとおもしろいことになるのになぁって思ったんだけど。デザインの世界がもう、ああいう考え方は古いっていうことで、やってなかったんですよ。ファッションの世界に行っちゃってましたからね、すでに。デザインってあんまり言わない、ファッションって言ってたから。もう、アカンなぁって思ってね。
造形大も姉妹校であれですけども、やっぱバウハウスの研究者が先生にいたので、初期はバウハウス教育をしようとしたんだけど、結局日本じゃできないんですね。学生がもうそんなのにはついていけないし、理論だけじゃね。デザインの世界ではダメなんですよね。だから直ぐ役に立つようなデザインを作る方向へ行っちゃったもんで。もうバウハウスもクソもないんですけど。でもね、そういうのを研究していくと非常におもしろいんですよね。先生にしたって、クレーがいたり、カンディンスキーがいたりするでしょ。あれは抽象画家とはいえ、もう抽象具象って解釈でやってないんですよね、クレーが先生にいたときっていうのは。もう点・線・面の世界だからね。非常にミニマルで、物質的な世界。だからこれはおもしろいなぁっていうのは、あるんだけどね。日本じゃどうしてもダメなの、そこも。

鎮西:そういうことなんですね。先生、そうしたら桑沢に最初にお仕事で入られたのっていうのは1975年でいいんですか。

中村:いいと思いますよ。

鎮西:じゃあ造形大に入られた時って、まだ桑沢で教えられてたんですか。

中村:ちょっとダブってた。

鎮西:今、先生造形大で教えられてるんですよね?

中村:ええ、客員教授っていいましてね。これはもう、定年ないんです。もうヨボヨボになって倒れるまでいいっていうから、もうじゃあ辞めますっていって、今年で辞めます。いくらなんでも、もう(笑)。

鎮西:何年か前もそうおっしゃってましたよ。

中村:あの時はちょっと止められちゃってね。あんたが辞めると補充できないから、もうちょっとやってくれって言われてるうちに、2年3年経っちゃってね。今度は本当に辞めます。

鎮西:本当ですか。寂しいじゃないですか。

中村:ええ。教員たちよりも、学生に対して残念。しかし、こんなじいさんがひょろっと来たってさ(笑)。見かけ良くなきゃダメでしょ、先生も。

加治屋:(笑)。

中村:そりゃそうですよ(笑)。もう、若くてイケメン。加治屋先生ならもう、どっと女子学生が(笑)。

加治屋:そんなことないです(笑)。

中村:じい様はね、異端児しか集まんない。異端児のゼミになっちゃった(笑)。5、6人の異端児がいるんだよね、実は(笑)。

鎮西:でもその異端児のために、先生は必要な先生なんですよ。

中村:そうですか。駆け込み寺と呼ばれてましたね、私のゼミは(笑)。駆け込みゼミナールでね、やっております(笑)。それもだんだん減ってきた。

鎮西:でも桑沢の話は、ちょっとおもしろいですね。

中村:おもしろいでしょう。大学よりも専門学校の桑沢の方がよっぽどおもしろかった。

鎮西:まぁある種のミッションですよね、学校って。やっぱり。

中村:まミッションっていうか、そういうのがあった方が、私はやりやすいっていうか。そうやって自分で勝手にカリキュラムも組めたし。それからさっきありました、グレーのあれ(《AIR=スフマート漸進No. 0-19 TYPE3》1976年)。あれは桑沢時代に、紀要の研究としてやったの(注:「空気遠近法に関する青色の表出実験」『研究レポート』(桑沢デザイン研究所/研修会)第10-11号、1977年、pp. 58-59)。だからあれは作品っていうよりも、研究としてやってみた。それでデザイナーさんだから、大分見方が厳密でね。あんたのグラデーションはダメだって言われちゃってね。きっちりグラデーションになってないじゃない、とか。それやるんなら、ちゃんとパソコン使ってやれよ、とか言われたりね。あれ使えばきれいにいくよ、とかね。手書きでこんなこと、やるバカあるかなんて言われて(笑)。その通りだと思ったけど。でもこう言っちゃね、絵描きさんだから。ちょっとやりますよ、って言って(笑)。という訳です。だから、いろいろ考えてね。デザイン学校で何やったらいいかなって思って、ひょっと考えたらダ・ヴィンチ先生が、ちゃんと『絵画論』に書いてた(笑)。あ、これやろう、になったんです、実は。

鎮西:そういう意味じゃ技法っていうか、先生のそのカリキュラムっていうか。

中村:そうです、技法に沿って。やたらとあの時代っていうのは、グラデーションっていうのは流行ったのか、なんなのかな。グラフィックデザインの世界でね。グラデーション描けるって。そういうのは全部もう、パソコンでやっちゃったんですかね。あるいはシルクスクリーンで、印刷技術ですごく流行ったよね。あのムードがなんとも言えず良かったんでしょうね。まぁそんなんにもちょっと便乗してね。うん。だからちょっとグラデーションってものを、単なる技法じゃなくてね。一種のこういう理念的なものもあるんだ、なんて偉そうに言って学生に見せてね。もう、でっち上げて説明しました。どうだいこれは、なーんて大いばりで(笑)。デザイナーの予備軍だからおとなしいんですよね。絵なんかに関しちゃ、全然素人だから。もう、言いたい放題(笑)。言いたい放題ってのは、いいですよ。そういう授業。

鎮西:なるほど、なるほど。

中村:そういうのがあって。だから、もうちょっときれいにやれば良かったんだけど。そういう技法的な意味でね。結構、おもしろいでしょう。ね。ちょっとこう、早くもミニマルっぽい解釈がありましてね。この時代、まだミニマルなんて言葉なかったんじゃないかな。どうなんですかね、もうありましたかね。

鎮西:いや、あったっていう話なんです。

中村:言ってましたか。じゃあもう、ありましたか。言葉としちゃね。うん。でも私はあんまり意識してなかったですよね。

鎮西:って、おっしゃってましたよね。

中村:そっちの、大先生の絵画論をやろうとしただけで。あとは学生さんがいたってことで。その場つなぎをやったってことだな、こりゃ。結果的にね。だからミニマル・アートってそういう非常に基礎的なね。原型的なところをやろうという意図も、ちょっとあるんじゃないですか。どう、ミニマル? 藤井さんは、ミニマルなんかに手だけで徹底的に関わった方だから。手はすべてを語るっていう(注:東京都現代美術館で藤井が担当した「MOTコレクション クロニクル 1964 OFF MUSEUM」展(2012年)で制作した、塩見允枝子の《エンドレス・ボックス》の映像を指す))。

鎮西:塩見さんの、ボックスを開けて中から取り出していく作品の。

藤井:あれはミッションです。

中村:でもミッションに応じるってところからがおもしろいんですよ、表現者は。出す方は、お上が命令したってキリストさんが言ったって、そりゃなに言ったっていいけどね。それを受けてどう表現するかって辺りが、ミッションとそうじゃないのの違いを見ていくとおもしろいね、実に。そこはおもしろいと思いますよ。だって、本当に自分自身で自由にやったっていったって、どっかでミッション性を持ってたり、結果的に似てきちゃったりっていうのはあるでしょう。その辺、読んでくとちょっとね、おもしろい。
自由、自由って言うけども、表現の上での自由って一体何を指すのっていうのがありますよね。やっぱりね、ものすごく物質的なものに制約されちゃってるもん。特に絵なんてね。まず支持体があり、絵の具があり。技法なんてのは、その都度いろいろ作ればいいんでしょうけど。まず、そういうものに規定されてるじゃないですか。まずキャンヴァスあるいは平面でありっていうね。それをもう不自由であり、古い、これからダメって言って捨てちゃうのも良いし、しかしちょっと待てよって言って、それそれでひとつのミッションにするための、最低限の物質性だよって言って、もう一回それをいじくりまわすってことも許すっていうか。絵画としてはね。許す部分はあるからおもしろいかなと思うね。
私の癖として、これは歳のせいかもしれんけど、やっぱりどっかミッション性があったほうがね。自分としては引き締まるところがあってね。だから本当の意味の自由って、わかってないんですよね、僕らの歳っていうのは(笑)。味わったことがないっていうか、経験もないっていうかね。戦前、戦中、戦後でしょ。あんまり自由ってもんが、どこでどういうものを指して自由っていうのかなぁっていうか。

鎮西:やっぱりなにかには絶対、規定はされているのでね。

中村:ねぇ、常に。ですよね。それをミッションとするかしないかはね、各々自由でしょうけどね。だからお上がミッション出さなきゃ、いつだって自分で自分にミッションを与えてできるわけだから。人間ってものはね。そういうときに、絵画でタブローでってことになると結構、わかりやすいような気がします。例えば、映画とか演劇ってのは集団でやるのっていうのはね、明快に出ないよね。集団としてのミッションはあるけれど。全部ひとりでやっちゃうでしょ、絵っていうのは。早い話が。発想から描くのまで。まさに自己ミッション。

鎮西:ひとり映画監督みたいなもんですね(笑)。

中村:場合によっちゃ自分で営業までやっちゃう(笑)。売るためには、しょうがないよね。だから成り立つのかもしれない。ミッション性がないとそんな、動けないもんね。誰かが命令してくれるっていうミッションもあるけども、自分で自分を動かすためには、そういう風なことを。自分で自分をミッションを中に入れてくっていうことがあるから、かえって制約に感じなかったりね。おもしろいかなぁって思ったりすんのね。逆に快感だったり。ちょっとマゾ的になったりね、するんですよ。そこがまた、絵ってのはどっかマゾ的じゃないとやれませんよね(笑)。解放しちゃったら。絵なんていらなくなるようにも思えるしね。もっと解放的にやることって、無数にあるわけだから。絵なんかより。表現の中ではね。そっちへ行くわけであって。絵なんて、もっともそういった意味じゃ、また逆に言うと不自由なもんかなと思いますね。その辺に自分の立ち位置を置ける人は、それはそれで解放なんて言わない方がいいように思う(笑)。だから戦後、ちょっとその辺を勘違いしちゃったところもあるように思います。アヴァンギャルドなんて言い方で、解放されたなんて思っちゃったけど、実は違うんじゃないかな、と。今にして思えばね。

鎮西:じゃ、ちょっと休憩をしましょうか。

(休憩)

鎮西:では、作品のお話を順を追ってお聞きしてるということもあり、ですね。続けてちょっとおうかがいしたいのは、〈タブロオ機械〉が少し、現実の私たちがいる空間と関係を結び始めるというか。例えば《限界表示》(1992年)というのは、ここに、絵の上の方に裏文字というか、鏡文字が確か書いてあったと思うんですけども。これまでの、さっきもサーブとレシーブという話がありましたけど、観る人っていうのを意識して作られてきたと思うんですが。この辺りでより積極的に、実際作品自体がもっとせり出してきたりとか、床に広がっていったりとかという展開を見せてくることになると思うんですね。この辺りの先生のお考えというか。その時の意図ですとか、その辺りをちょっとお聞かせいただければ、と思うんですけど。

中村:前から連続していて、急にそうなったとういう訳でもないのでね。その前に〈黄色法則〉(1990年〜)っていって、私には珍しく黄色って色を中心に考えた絵がありましてね。〈黄色法則〉って言い方は、とりあえず黄色って色を選んだんですが、色中心に考えるってことがなかったから、ここでそれをちょっとやってみようかなってことで出てきたんですがね。
ここで黄色という色を、つまりね。色っていうものを本当に基本的に考えると何かっていうことになってくと、よくわからなかったんですがね。結局、色自身も二次元の世界のもんだ、という風に仮に考えてしまうとね。影が二次元ですよね。色というのは、何かにくっつくことによってしか、我々は認知できない。なにか質のあるものにくっつくことによってしか、その色ってものを認知できない。色は単独に存在するってことはないと言える。単独で色を考えちゃうっていうのは、空想に近いくらいに存在できない。だけど二次元ですよ、って言ってしまえば、なにかにくっつくことによってその色ってものが、色として存在できるっていう風な。そういう位置づけしかちょっとできなかった、っていうのがあるんですよ。だから、色に形を与えるってこと自体があり得ない。色は存在できない。それからものの質感にくっつくことによってしか色は色として存在理由ができない。でまぁ、これは不定形な形でしかなくて、決定的な形ってものはちょっと無理だったんですがね。
今まで描いてきたものは大体、線とか形とか外郭があるとかっていう風な描き方を私はしてきて、それを具象とか形象とか言ってきてるわけですがね。ここでは珍しく、形はないんだけど、しかし形が結局あるという風にしない限り、色は色として画面に描けないという、そういう矛盾がある。だからとりあえずある形を作ることで、不定形であれ形ですよね。その中に黄色なら黄色を当てはめていくと。それもある種のマチエールというものを持つことによってしか、色は色として発揮できない。それでちょっと実験的にやってみたということです。
絵なんていうのはもう、だまし以外の何物でもないですがね。単純にね。まぁ鏡として描いたっていうかね。鏡文字を入れることで、タブロー自体が鏡になってしまうという。一種の置き換えのメカニズムっていうかね。錯覚を利用したメカニズムであるわけでね。そういう中でもやはり、ここから黄色というものが先にあって、それを利用しつつストライプというものは、たまたま規制の小島にあったみたいなものでね。そこをくっつけていったわけです。画面としてはちょっとだまし絵っぽく、それを利用していったってことですね。それ以上の意味っていうのは、あんまりここでは考えないことにして、ええ。視覚的なっていうか、ヴィジュアル的な意味でのもんだけです。ただ、我々の社会的な意味としては、これは立入禁止とか、ここから入るのは危険だよっていう風なのは、滲みついちゃった記号としてありますよね。それを利用しつつ、イメージで絵の中に感情移入するっていう感覚も我々には、もう習慣づけられちゃってありますよね。それに対して、ちょっと拒否だよ、入るなよっていう風なところにまたこじつけると、ちょっとおもしろい意味性が出るかなぁと。いうことでやっております。見るな、と言っておきながら見ざるを得ないというね、絵ですからこれは(笑)。一種のそういう、なんというんですか。まぁだまし絵ですかね。だまし絵的、意味としてもちょっとそういう風にひっくり返すような意味っていうか。入れと言っておきながら入るなという記号を描くって、一体それはなんだという風に思われて楽しんでいただこうかなという。

鎮西:絵なのに観るなというのは、どういうことかという。

中村:そうそう(笑)。そういうマークとして、頭に定着してるでしょ。入るな、観るな。その標示を絵にするって一体、どういうことだ、という辺りの皮肉とも、逆説とも取れるようなイメージで遊んでいただければ、ありがたいかなぁと。これまるで本当にねぇ、学芸員さんの言葉みたいな言い方になってしまって(笑)。お楽しみください、なんて(笑)。こんなこと、自分の絵に言っちゃいかんわな(笑)。

全員:(笑)。

鎮西:(笑)そう言えばこう、出てくるっていうのは。《タブロオ機械・II−A》のあたりからは本当に前面に出てきますよね。

中村:これは本当に出てるっていうかね。二重に。

鎮西:ある程度三次元のものになっていく、っていうのは、ちょっとまた全然違いますか。

中村:ああ、これこそね。ただ単にだまし絵でね。観ながら移動すると、ずれるじゃない? 立体だからね。

鎮西:ここがその枠の部分になっていて、この下は裏の板のような状況になっているんですよね。これ、くっついてるんでしたっけ。

中村:くっついてない。浮かしちゃったのね。浮いてるから、真正面だとこの模様が合うんですよ、ぴったり。少し横から見ると、だんだんずれていくという。その辺のおもしろさを。昔、ヴィトリーヌって。

鎮西:歩くとチラチラするっていう。

中村:ええ。やってますよね。山口(勝弘)さん。意識した訳でもないけれど、結果的にそういう効果っていうのは、こういう風にしていくとね。次々出てきて。

鎮西:ああ!

中村:だんだん見ていくと、方向が変わっていくという。ちょっとあの辺を利用しましてね。

鎮西:でもこの辺りは、たぶんこれは絵の前に立つっていう感じだと思うんですけども、この辺りになってくると、周りを歩くっていう感じには変わってきますよね。

中村:そうですね、確かに。観る方がむしろ移動していただいてね。画面はむしろ、静止してるという風なね。そういう、まぁ単純なだまし絵というかね。

鎮西:今のは《タブロオ機械・II−A》(1992-2006年)ですね。どんどん、〈タブロオ機械〉のシリーズというか番号が、増えて展開をしていくんですけど。

中村:そうですね。〈タブロオ機械〉って言い方から、言葉の方からの発想でいろいろヴァリエーションが出たんでね。まぁタイトルでも言葉でも、結構それなりの効力はあるかなと思ってね。単にヴィジュアルっていうことだけじゃなくて、言葉がヴィジュアルなものを生んでいくっていうこともありうるっていう風なことで。今はノンタイトルというタイトルもある。

鎮西:最近ちょっとまた、そういうのも多いかもわかんないですね。

中村:言葉としてのイメージとの絡みで絵も観てくださいっていうのは、僕は決して邪道とは思わないね。言葉を利用していって、空間をさらにカバーしていくとか。その逆もありうるんで。あんまりそこを文字か絵かなんて、区別する必要はもうないんじゃないかと思うんですがね。文学って言っちゃうと確かにストーリーが全面に出ますけど、文字とか意味とかっていう風に、抽象化してしまえばね。それ否定してヴィジュアルを成り立たせたって、どうってことないでしょって思っちゃいますね。絵だけ、なんでそんな純粋ぶるんだよと。純粋で成り立つものなんか、世の中にあるの?って言いたいわけ。だからあえて純粋にしようとして、こう引き算でやってくっていうことも、ひとつの方法論でしょうけどね。最後、ゼロになってもいいし。ついに最後はひとりもいなくなった、ってことでもいいし。それはそれでひとつの方法でしょうけど、それだけじゃなくてね。いろいろ絡みで、絵が言葉になり、言葉が絵になったって別にいいんじゃないかなと思いますが。
そういう意味でね、もう立入禁止っていうのは記号になってますから、すぐこれ見りゃ立入禁止だって、意味の方で来ますよね、これは。だから、それを逆に利用しましてね。そういうことがすでに一般化しているということの上で、なおかつそれを絵にすると、さっき言った矛盾が出てきますね。絵だから観るでしょう、って。観るなっていう記号を観ろっていうのはなんだっていう、そういうおもしろさっていうかね。絵との駆け引きがある。そういう風に観ていただいてもいいかな、と思ってます。言葉と絵の相互依存みたいなことでね。
そういうことも、とっくにシュルレアリスムという辺りでやってますけどね、彼らはね。あれは言葉を逆にもう一回新しい意味で復活させてる運動のように思えたんですよ。もう絵がヨーロッパの場合、終わっちゃったから、シュルレアリスムでもって、こういう風な形で言葉との蜜月を作ったんじゃないかなというね。だからそのきっかけを作ったのは、ダダだっていう説を言ってる人もいますよね。あれは、めちゃくちゃやったっていう、身体運動じゃなくて。言語の再構成ということが、ちゃんと詩というものを通してあったんだっていう風にみるべきだって。ダダ運動っていうの。その後ヴィジュアルとか絵画に結びつけちゃったけど、ブルトンなんかはね。あれは文学運動だったとみるとおもしろいという。

鎮西:そうですね。最初はやっぱり、文学の領域で。

中村:文学の領域で見ていくと、あれはおもしろい。絵とヴィジュアルは別な意味でくっついてるっていうのを発見した運動でもあるんですよね。

鎮西:床に置いてあったりとか、壁から床に出てるっていうのも、同じような感じで。

中村:ええ。そういう辺りはインスタレーションなんかのことも出てきていて、ああいう革新的な考えなんかおもしろいかなと思い出したので、こんな風にはみ出させたりしております。私自身が、ちょっと実験してみたいかなという程度でやっております。
これ(〈鉄道ダイヤ〉シリーズ)もね、それに近いというかな。なんていうか、既成の記号というか。これは時間と空間を表す鉄道のダイヤグラムっていう意味ではね。記号でしかないんだけども、それをこちらにほぼ模写に近い形で描いた。技法的にはね。この場合はね、線。ダイアグラムをどうのこうのって言うよりも、もうちょっと絵画的に線で網の目みたいにしちゃうっていうことで、すでにダイヤグラムってのはそうなっているなと。鉄道のね、時刻表。それを単に拡大すると、どういうことになるかなぁということで。これもやや実験。なんでもかんでも実験ですけど。そういう意味でやっております。はい。これが結構何枚かあるんですけどね。

加治屋:これは実際のダイヤに基づいて、この形を決めたんですか。

中村:基本的にはそうなっています。縦が時間軸ですよね、ダイヤグラムってね。横が駅名なんですよ。で、斜めに走ってるのが、列車が運行する時間と場所っていうかね。だからこれ、一目見で、線をたどると結構ほら、時空って。時間と空間が同時に。絵ってのは空間しか描けないんだけども、やや暗示的になるけど、線を追うってことはもう、それなりの時間が描かれているということになるでしょ。そういう要素を、表っていうのは持ってますよね。表を読むって場合ね。その辺で時間と空間と同時に表すっていうのは、線。線だって言い方があるんですよね、物理学でね。線ってのはもう、時空だって。線自体。こっち端からこっち端へこう、眼で追わなきゃならんっていうのが時間であって、離れてみたら空間。だから両方の要素が線っていうものにはあるって。

鎮西:先生、これは背景というと変ですけども。地というんですかね。この部分っていうのは、どういう。

中村:もう一息、工夫があっても良かったですね。

鎮西:いや、そういうことは申し上げていませんが(笑)。

中村:(笑)いやいや、私自身はそう思います。本当にこれはランダムに描きすぎちゃっててね。タッチでダーッと下塗りしただけ。

鎮西:これはなにか、たぶん一番最初にこの下の地の部分を描いてらっしゃるんですよね。

中村:そうです。その上に、それを乾かしてからその上に線だけを引いてるっていうんで。まぁなんていうかな。絵でこういう風なムラを作ったり、汚しっていうんですかね。マチエール作ったりっていうのは、まぁ極端に言うと一種の画面をこう、絵らしくするための手段なんですよね。悪く言えばごまかしでもあるしね。空間を埋めるための(笑)。

鎮西:そういう感じで(笑)。

中村:ある面では、観たときの一種の、なんですかね。眼に対する。まっ白のままの方が格好はいいんだけどね。どうも私はそういう風にできないので。

鎮西:でもこの線が、こう塗るってことは多分プランの中で。つまりこの、ダイヤの線がこのように画面を覆うっていうのは、先生のプランの中で考えてらっしゃるわけでしょう。

中村:それはもう、事前に頭に入ってる。

鎮西:そうですよね。で、これが乗る下地っていうのを、最初の段階で描くと。

中村:ただね、下地描く時に、どの線がどの辺に引っかかるかっていうのはあんまり計算できないので、これはあんまりしてないの。そこはもう偶然に引っかかって、おもしろい効果が出ればいいかな、っていう期待はうっすらとはあるんですがね。例えばこの黒いシミみたいのの上に、この部分の線が重なるよっていうところの計算まではね。そんな厳密には実際、できてないですね。だから僕自身も、その重なりの偶然性っていうのは、期待しつつやるんですがね。その程度です。で、特に背景に深い意味はないです。さっき言ったように、画面の汚れを作る、味を作ることでね。絵らしくする。線だけの方がかっこいいかな(笑)。

鎮西:やっぱりこう、なんか。ただ多分、近年ここ最近は、どちらかというとこの後というかはね。背景というか、後ろの部分がすごいフラットだったりしてるものも、出てきているかとは思うんですけど。

中村:ああ、これ以降ですね。

鎮西:そうですね、これ以降のものに。

中村:ああ、以降にね。確かにね。

鎮西:この時は、そうではなく。

中村:まだ背景がね、トーンが入ってて。ちょっとムード的ですよね。

鎮西:なるほど。

中村:でも僕はね、あんまりそこ意識してこう、モダンアートやる方ようにあんまり厳密に考えないですね。もっとずぼらに、トーンはトーン、味は味っていう風な区分けはするけども、あんまり見たときとか、意味としてのこととかはね。そんな厳密に考えてないんですよね。意外にベタ塗りの時っていうのは、ベタ塗りはクールに平面でいいっていう風に、あんまり思わないで。例えば最近、〈一点消失〉(2011年〜)なんてのを描いてますけどね。あれ、まっ黄々のまんまなんですよね。黄色ベタなんだけど。あれも結構、私の場合すぐトーンが入っちゃうんですね。そこが古い体質の持ち主なんで、しょうがないんですよね(笑)。トーンを入れないと絵にならない、みたいなところがあってね。汚れを入れちゃうんです。
ピターッと汚れのないところに描くっていうね、そういうモダンさは私はしんどくてダメです。ええ。技術的にはやれないことはないんだけど、出来上がったその絵のね。受け方においては、ああいうのはやっぱり厳しいんでしょうね。余分なものを切っていく、そういう勇気が必要でしょうし。そういう風に、ストーンとやる人はね。なかなかそういう風に、ふっきれないですよね(笑)。ひとつのコンテンポラリーの方向へ行ったっていう、それはわかるとして。じゃそこに乗ろうかっていうことはできない場合に、やっぱり古い体質のままトーンをつけていくってことがあるんですが。古い体質のままトーンを作るということも、ひとつあって。そうじゃなくて、それを払拭しちゃうってことがあるっていうときにね。まぁどっちを取るかってって選択の問題になっちゃって、今のところ私はトーンの古い方を取ってますけどね。

鎮西:〈絵画連鎖〉(2002年〜)というシリーズですね。

中村:大げさに言うと、集大成だけどね。集大成ってほど、大げさじゃないんですが。今までの、ひとつずつの過去に自分がやってきたことがあると。それを本当に、ランダムにくっつけていくの。まさに映画のモンタージュの原型みたいなことを、結局やっちゃったのかなぁと思いました。それが結局は集大成になっちゃったんじゃないか、元に戻ったみたいなね。
このきっかけも、本当に狭いながらのアトリエがあって、描いた絵がただなんとなく何枚もランダムに立て掛けて並べて置いてある。いいんですよね。一点一点、麗々しく陳列するよりね。ああ、これはおもしろいって。そのまま実は持ってきてるんですよ。これ(《絵画連鎖・2》2002−2006年)かな。ああ、この時なんかは、別々に単独の作品で描いてるんですよね。できた順に適当に置いて、重ねたりして置いてったんですね。そういう偶然も含めてやるしかない、ということが段々出てきましてね。連鎖っていうことに、ちょっとこじつけましたが。うん。これ丁度、9.11が重なっていたんでね。丁度、アメリカの言語学者の、チョムスキーさんってのが本を出したじゃないですか、要するにアメリカ批判を。アメリカ人がね。こりゃすげぇ奴だな、と思ってちょっと読んだら、実におもしろいんでね。もしその本の装丁を頼んで来たら、こうしようかな、なんて話はなかったけれど、勝手に描いて連鎖の一枚に入れた(笑)。

鎮西:そうでしたか。これ、装丁だったんですね。

中村:うん、装丁のつもりでやってね(笑)。こんなの採用されるわけがないよね。こう、くっつけてみたら、意外に一点一点よりも迫力が出る。やっぱりモンタージュという技法のなせる技かなと。確かにあるんですよね。この境目があって、この関連ってのは、陳列することによって出るんですよね。だから自分自身も描いていながら、その効果はわかんないの。陳列までは。その辺のスリルとサスペンスね。それを味わいたいというんで、こうやったわけですね(笑)。
だんたん、やっぱりつまんなくなってきますね。繰り返すとね。この辺はまぁまぁですかね。やっぱり意図するとね、ちょっと鈍くなってきていかんなぁと。モンタージュってのは意図して、よりスムースにうまくものを運ぶようにするモンタージュの仕方もあったり。それから激突させて両方否定するような、もう、いろいろあるんですよね。エイゼンシュタインの本を読むと、モンタージュって言っても。いろいろあって、どれ使ってもいい、みたいなことなんですけどね。

鎮西:やっぱりこの辺りは本当に、以前の作品っていうかね。そういうもののコンバインっていうか。合体しているので。この境の部分というのが、想定されているものよりも、ちょっとズレが大きい。

中村:そのおもしろさだと思うんですよね、そのズレのね。漫画のコマみたいな意味での時間性を表すわけでもないし、ということでね。結構衝撃的になるかな、と思ったら、やっぱこういうのってね。意図すると、だんだんダメになっちゃうっていうね。まだダメになるってことがわかるだけいいかな、って思ったりね(笑)。そのうちにわかんなかったら(笑)。

鎮西:先生……(笑)。

中村:全部いいと思って(笑)。

鎮西:《絵画連鎖・5》(2004−2006年)になってくると……。

中村:これはね、やっつけ仕事だな(笑)。

鎮西:これはあれですよね。ご自分の作品だって。

中村:そうそう、スクラップを何個か潰してね。全部ここへ持ち出しちゃって。うん。これにはないけども、ちょっと言い訳が書いてあってね。

鎮西:そうでしたね、言い訳が(笑)。小さなテキストがついてましたよね。

中村:手法としてこういうものをやってみました。

鎮西:先生はこの頃、自分絵画史という言い方をされていたと思うんですけど。

中村:それが重要なんですね。あれは結局、そこへ到達したというか。美術史になるものはあるじゃないですか、客観的にね。それはそれでもう、あるという。絵描きさんというのは多分、僕だけじゃないと思うけど一作一作に一応、それなりに勝負をかけてるんだろうと思います。
俗に言う自分史という、俗な言い方でもいいけれどもね。そういうことでつなげてみると、ここはダメでここは良いと。これはマンネリで嫌だと、自分でも観るの嫌だということも、全部含めて作品って言えるようになるんですよ、失敗も含めてね。
自分美術史っていうのは、失敗も含むじゃない。ダメはダメでいいんですよ。ただそのときにこういうのがあったっていう、事実だけでいい。完成度とかね、良いか悪いかは別として。そうやって自分の絵をもう一回考え直しちゃう。途端に気が楽になりましたね、私は(笑)。あ、これだと思ってね。自分を歴史化して見ちゃえたら、失敗も含めて。結構おもしろいんじゃないの、っていう風なね。私の場合、どこを最初にするかは、その人によっていろいろでしょうけどね。ある当時のルポルタージュ辺りの、リアリズムとか言ってた辺りから出していって、その中からいい所だけを取って次に拡大し、またやってくとこう、なんかおもしろいでしょ。なんか、入れ子状態になってってね。最初と最後がまた一緒になっちゃうかも知らんけど。なにやってたの、なんていうことになりかねないけどね。

鎮西:かなり意識的に、前のものを自分で見て、取り出して。結構、意識的にされているって。

中村:なんか40代くらいのときにね、もう俺は行き詰まった、マンネリになったと思ったことがあるの。ものすごく強烈に、自分ではね。これはもう、絵は辞めた方がいいかな、って。こんな絵しか描けなきゃ、みたいのがありましてね(笑)。そのときに、ふっとこういうのを思い出して。あ、失敗もマンネリもこれまた歴史っていう風に置き換えちゃえば。失敗もあっていい、と。まぁ一種の開き直りというかね。そういう風に思ったので、それをちょっと重々しく、偉そうに歴史とか言っちゃってね。自己美術史みたいな言い方でね、言ってみたんですがね。ええ、いかがでしょうかね(笑)。

鎮西:2007年に東京都現代美術館と、名古屋市美術館で先生の個展をさせていただいて、それこそ初期の作品から……。最後はこの〈図鑑〉(2006年〜)という作品だったんですけど。結局、並べ方としては基本的には大体、10年位のスパンで区切って、時系列に部屋を構成していったと思うんですが。歴史じゃないですけど、振り返られて特に印象的だったこととか、改めて思ったこととか。

中村:なるほど。実は私この歳にして、あんな檜舞台に乗るのは初めてだったんですからね。そういう意味で、このおふたり(鎮西・藤井)にはもう、頭上がらんと、そのとき思っちゃいました。

鎮西:そういうことでなく(笑)。

中村:ものすごく闘ってくれたんじゃないの?(館内の企画)会議で。

鎮西:全然闘ってないです。大丈夫です(笑)。

中村:4年も時間かかったとかなんとか聞いたよ、噂では(笑)。あれはね、鎮西さんと藤井さんが、がんばってできたんだよって。

鎮西:なんにも闘ってないですよ(笑)。

中村:本当かい?隠してんじゃない?相当反対食ったみたいだもん(笑)。

鎮西:そんなことないです(笑)。全然、そんなことないですよ。

中村:これはもう、このおふたりには頭上がらんって(笑)。本当。

藤井:なんにも闘ってないですよ(笑)。

中村:本当かなぁ。こういうのってのは、風評の方が当たってるからね。なんとなく聞きましたよ。相当がんばっていたようだよ、って。いや、なんとなく僕もわかります。自分のことは自分でね。自分の過去は。こんな絵なんてもう、受けるわけねぇって(笑)。

鎮西:過去を振り返っていただいて。

中村:過去を振り返る。それでね、展示ね。あれは本当に僕はもう、大満足でしたね。ああいう風に飾られるってのは、実に快感でしたよ。初期からずっとめぐっていってね。あの時代のあそこに達しているって、そういうことが実によくわかったというかね。うん。変化もわかるし、逆に時系列っていうと安っぽいようだけど、それが生きてるっていうかね。時系列が生きる形でやっていただけた、というんでね。単に時代を追ってるようで、実は時代の変化に沿って絵っていうものが生まれるんだなぁってところが、ちょっと読み込めるようなね。そういう話は聞きましたよ、僕自身の解釈より。だから何人かの(グループ展を)をやってるように見えた、とかね。

鎮西:ほう。

中村:こっからここまではお前さんだけど、ここはまた別の人でって。だから3人から4人くらいをだっと並べたようにも思えた、と。

鎮西:へー、おもしろいですね、それは。

中村:もちろん僕の個展っていうのは、わかってて言ってるんですけどね。そういう風に、お前さんの変化がわかったと。

鎮西:先生もある意味、意識的に変化を。変化というかね。されてきた部分って、あったと思うんですよね。

中村:それはね、美学校……偉そうに言った辺りからね。つなげるってことで、いいとこ取りで、自分の中でね。ちょっと閉鎖的になるけども。外からの中傷よりも、自分で自分を否定しつつ、あるいは肯定しつつこう、変化させるってやり方でね。所詮、絵だからね。僕はそういうやり方で十分、って思っちゃったんですよ。いろんなところから刺激受けて、常に進歩発展するなんていうことだけではなくて、むしろ閉鎖的に持っていって、それこそミッションだけでいくようなところとかね。ネガティブのパワーというかね。ポジティブだけがいいんじゃなくて、ネガティブのパワーってあると思うんですけどね、僕は。それがタブローなんかに対する絵描きの構えのような気がしましたの、ある時から。ネガの部分をなしにしちゃ、タブローなんて成り立たんのじゃないかなと思ってね。描いてる人自身が非常にネガですからね。早い話がオタクがやることでしょ、あんなもん。今で言えば(笑)。家で籠ってやるなんてのは(笑)。

鎮西:確かに。

中村:もともと絵描きなんて、オタクの親族で。新しくもなんともないんですよ、うん。だからそのことも、それを心情吐露でやるとドロドロになっちゃうから、ちょっとまずいんでね。そのことの上で、もうひとつ突き放したところで絵画っていうものを見ていくとね、それもひとつのモチーフになれるような。ドロドロまでもモチーフにしちゃえば、ドロドロをミニマルに出しちゃうと、その場合はまずいんで(笑)。ドロドロのミニマルってのもおかしいけど(笑)。いや、あるよ、そういう絵って。僕はね、あれを思っちゃうんですよ。草間彌生の。

鎮西:草間さんですね。

藤井:ああ。

中村:あれ決して現代美術じゃないよ。表現のスタイルってところだけ見ると、一見オールオーバーで今風ですが。あんなドロドロのものって耐えられないね、僕は観てて。出口がないっていうか、逃げられない感じで。どっか開けてよって(笑)。画面に対峙するとね。かぼちゃはもう、いけません。私はもう、ついてけませんね、はい。もう、いりません(笑)。
だからそういう意味ですよ。タブローってのは、そういう風にすごくなりがち。絵画っていうのはね。だからああいう風にパフォーマンスに逃げたりするってのは、非常にわかるけど。逃げたときでまた、全部閉鎖だもんね。ワンパターンの中に押し込むってのは、それですよね。水玉の中に押し込むってのは、結局そこがいつも併走してなきゃならんっていう苦しさね。だからあの辺もう一回突き放して観るっていうことが、できたほうがいいのかなって思っちゃうね。
だから美術史なんて偉そうに言ってますが、自分の絵を系列化して並べてってゆくと、行き詰まりがなくなっちゃうんです、それやると。失敗も良し、になっちゃうからね。次々に年代を追ってやってきゃいいんだから。さらに自分の絵をいつも対象にして、その中からいいとこ取りだけをしていけばいいんでしょ。それをまた膨らまし、またすぐマンネリになるから。また膨らまし、こうやっていけばね。それもひとつの方法論かなという。終わったって思う人は終わっていいし、続ける人は続けてもいいんですけどね。ともかく自分の中でひとつの、一生いくつまで生きるか、私なんか、ちょっと生き過ぎてますがね(笑)。

鎮西:先生、今、ご制作はどのくらいの感じでされているんですか。

中村:これはもうね、体力的には相当。自分でもわかるくらい落ちてますよ。もうすぐ飽きちゃうし、疲れちゃうし(笑)。

鎮西:基本的には今、練馬のアトリエで描いてらっしゃる。

中村:そう。もうあんまりあっち(八ヶ岳の山荘)は、行ってませんけど。でも一応ちょぼちょぼですが、行って大きいのを描いててね。こっちでも描いてて。〈一点消失〉はね、あれで終わらせて。今度は二点でいっておりますわ。

藤井:今度は二点で。

中村:彼女(藤井)、四点消失なんて言うから(笑)。こりゃ四点までやらなきゃいかんのかな、って。

鎮西:そうですねぇ(笑)。

中村:うまいこと言うよ、この人は(笑)。なるほど、四点ってあったかって。後で気がつきましたよ。

鎮西:ああ、砂川(《砂川五番》)。

中村:でもね、ヨーロッパ的なオーソドックスには四点はない。三点までかな、せいぜい。四点ってある? 下もパースつけなきゃならんっていう時は、どういう絵になるかね。パースっていうのはだいたいルネッサンスで確立したとするとね、三点まではあるんですよね。四点の絵ってあります?

藤井:うーん、どうでしょうね。

中村:ちょっと僕はわかんないんですがね。暗示的にはあるかもしれん、宗教画みたいな。キリストをやたらでっかく描いてね。十二使途をちっちゃく手前に描くっていうのはあるね。あんなのなんか、あえて言えば四点って言えば言えるかな。うん。

鎮西:この人(注:画面中央下に小さく描かれた僧侶)がある意味、四点なのかもしれないですね。

藤井:そうなんですよね。

中村:うん、それがあるから四点だって。かろうじて(笑)。ちょっと苦しいけどね(笑)。まぁ一応遠近感は出るはず。宗教画にあるんですよ。手前をちっちゃく描く方法と同じ。

加治屋:ああ、そうですね。

中村:ねぇ。ご存知だと思うけど。で、中心がキリストで大きく描いて、十二使途はみんなちっちゃく描くのが、イコンの約束事になってるね。キリストより大きく描いちゃいけないって。

鎮西:不思議な感じの。

中村:ええ(笑)。あれなんか、非常にモンタージュっぽいですよね。後で解釈するとね。

加治屋:ああ。

鎮西:先生、では今、八ヶ岳でお描きになってる大きいのは、齣展に出されるんですか。

中村:ええ、そのつもりだけど、どうも間に合いそうにないね(笑)。

鎮西:そんなことおっしゃらずに。齣展伺います。では先生、最後になにか一言。

中村:えっ、僕が最後に締めるの?いい質問していただいて、ありがたかったんですけど。歴史として見直すっていうかね、自分の。こういう辺りが、一種の結論っていうかな。そういう絵を描くっていうことよりも、現在できるだけの話として、どこまで遡れるかっていう。その地点を見つけ出してね。ここからずっと、現在まで。あとどのくらい続くか、それはわかりません。神のみぞ知る、と。ここまでの時空の中というものを、ひとつのスパンとしてね。自分でもちょっと突き放した形で絵を観るっていう風にしたいかなぁ、と。そういった意味でこの前の都現美のおふたりの企画っていうのは、本当に役に立ってます。

鎮西:(名古屋市美の)山田(諭)さんもです。

中村:冥途の土産(笑)。そういう意味でも、いい結論を出していただきました。あの辺の位置づけこそ歴史だね。そういうことで、展覧会として自分の作品を客観的に観られたって言う辺りがね。非常にありがたいと、最後にお礼を申します。

鎮西:どうもありがとうございました。

全員:ありがとうございました。

中村:ありがとうございました。本当におもしろかった。