2010年2月6日、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴは、広島市立大学で、ワークショップ「オーラル・ヒストリーと戦後美術の理解」を開催し、オーラル・ヒストリーが戦後美術の理解にもたらす意義について検討した。
前年11月14日に国立国際美術館で行ったシンポジウム「オーラル・アート・ヒストリーの可能性」は、オーラル・ヒストリーの活動を美術関係者や一般の方に紹介するのが目的であったのに対して、今回のワークショップは、オーラル・ヒストリーの具体的な成果を話し合うことを目指すものであった。これまで多くの聴き取り調査を行ってきた4名のメンバーが発表し、それをもとに他のメンバーも加わって全体討議を行った。
足立元氏は、オーラル・ヒストリーが西洋の学問の方法論であること、それゆえに日本美術史の中で用いると抵抗感を抱かれる場合があることを指摘した。日本美術史の創出期に美術史の概念を導入しようとした岡倉天心らが置かれた状況と並行関係があることを論じ、オーラル・ヒストリーの当事者が自らの立場を問い続けていく必要性を訴えた。
坂上しのぶ氏は、自ら手掛けた聴き取り調査を通じて、1960年代に京都にあった「北白川芸術村」でアメリカ人の反戦活動家がかくまわれていたという未公表の事実を知ったことを明らかにした上で、オーラル・ヒストリーが地域やジャンルを超えた出来事を明らかにしていく可能性があると述べた。
牧口千夏氏は、現代美術家ピエール・ユイグの《第三の記憶》(1999年)を手がかりに、語りにおける記憶の可塑性について論じた。銀行強盗犯が、それを題材にした映画のシーンと比べながら、自らの行為を再上演する作品に立ち現われる「第三の記憶」と同様のものが、オーラル・ヒストリーの集合的記憶を形成しているのではないかと論じた。
鷲田めるろ氏は、ベルギーのゲントで「シャンブル・ダミ」展(1986年)に関する聞き取り調査を行った経験をもとに、美術家でも一般市民でもなく美術に携わる中間層への聴き取りの意味を論じ、そのような「クリエイティヴ・クラス」の設定が、美術のオーラル・ヒストリーに言われる有名人主義を乗り越える可能性があることを明らかにした。
全体討議では、新たに加わった5名が発表に対する意見を述べて、発表者がそれに応答する形で議論が行われた。挙がった論点は多岐にわたったが、ここでは2点を指摘するだけにとどめておきたい。
鷲田氏の発表は、オーラル・ヒストリーが切り崩すとされる支配/被支配の関係を、美術のオーラル・ヒストリーが温存しかねないという批判に対して向けられたものであったが、そこで指摘された、支配でも被支配でもない中間層というのは、固定化された実体というよりは、社会的な関係の中で決定される相対的なものではないかという指摘(筆者)がなされた。
また、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴは、現時点では日本語のみで配信しているが、今後は英語にもしていく必要があるという考えが示された。もちろん、そこには欧米中心主義にからめとられる危険もあるが(粟田大輔氏)、英語にすることでアメリカやヨーロッパだけでなくアジアやその他の文化圏にも流通していく可能性が生じるし(池上裕子氏)、それと同時に、英語を道具として用いることで、従来の英語圏のものとは異なる考え方を伝えていけること(住友文彦氏)が論じられた。
本ワークショップは、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴのメンバーが、それぞれ行ってきた聴き取り調査の経験をもとに、そこで明らかになった知見を議論する貴重な機会となった。坂上氏の発表は、美術のオーラル・ヒストリーが、美術の文脈を超えた歴史的事実を明らかにする可能性を示すものであった。足立氏と鷲田氏の発表は、オーラル・ヒストリーに投げかけられた(あるいは投げかけられそうな)疑問に応答して行われた考察であった。牧口氏の発表は、オーラル・ヒストリーの問題は作品制作にも関わっていることを明らかにした。建築史家の辻泰岳氏が加わり、今後は、美術と建築の接点についても活動を進めていけるだろう。ワークショップでの議論を通して、オーラル・ヒストリーが直面するいくつかの課題が見えてきたし、同時に、それゆえに生じる可能性も浮かび上がってきたのではないだろうか。
今回の催しは、一地方都市にある大学で、授業期間が終わったあとの休日に行われたこともあって客足が心配されたが、学生を中心に、大学の教員や美術関係者も来場して、多くの聴衆にご来場いただいた。今回のように、オーラル・ヒストリーの具体的な知見や課題、可能性について話し合うことのできる場を今後も設けられればと思う。
最後に、本ワークショップは、平成21年度広島市立大学特定研究「1950年代と60年代の日本の前衛美術に関する口述史料の作成」の一環として行われた。関係者の方に心よりお礼申し上げます。